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潮路 2024年3月

2024/03/31
千年希望の丘を散策した。初めてゆっくり見て回る事ができた。
大きな丘を目指して歩いて、でも思っていたよりずっと広くて、吹きっさらしで、体がこわばってしまう。背の高い松林があって家々が並んでいた頃は、こんな強風にあおられる事はなかったもんね。同じ場所だけど違う場所になってしまったと、いまだに少し寂しい。

ここにはいつも誰かが居て、家族連れ・犬の散歩・海釣りに行く人と帰る人・駐車場に車を止めて休む人。もしかすると知人とすれ違っているのかもしれないけれど、お互い年を重ねているわけで、10代の頃の面影だけで見分ける事はできない。そして知らない人たちであっても、故郷だった場所で一人きりでない事にほっとする。

思っていたよりずっと高い丘を、てっぺんまで登った。海を見ようとしたけれど、大きな看板が目に留まる。
「写真」だ。震災前に上空から撮った、この土地の写真が掲げられていた。「もともとは何があったのか」と「今は何があるのか」を重ねて示した写真だった。

ほしいと思っていたものに、たどり着いたと思った。
私は日記に「失くしたものを取り戻したい」と書いていて、同時に「それは無理だよ」とも思っていた。「新しい土地になっていく事がこわい、せめて何もないままでいてほしい」と書きつづって、気持ちを持て余していた。でもこれは、現実は、とても優しくて、驚いて、しばらく見つめて、私の家を探した。

掲げられた写真を頼りに、おぼろげになってしまった記憶の景色を、目の前の景色へと当てはめていく。そんな事を何回も繰り返して、ふと家族や幼なじみと来ればよかったなあと思う。今この景色を見ながら話がしたい。帰ったら「あの写真見た?」って聞きたい。今まで昔の故郷の話をする事はあっても、新しいこの土地の話をする事がなかった。だからまあ、まずはそれぞれのタイミングとスタンスを知る事からなんだけれど。

ながいながい階段を降りながら丘を囲む木々を見て、この景色の解像度が上がったように感じた。ちゃんと、寄り添われていたんだなあ。傷付くのがこわいと、今まで知ろうとしなくて情けない。関わった方々が丁寧にすくい上げて選択してくださった事、それがとても嬉しかったし、ありがたかった。新しいこの土地に私の居場所があるのかもしれないと思えて、これから大きな森や林になろうとしている風景は好ましくて、こわばった体は緩んでいた。風に揺れる若木のそばに、植樹に協力した団体・会社・学校などの名前があり、ひとつひとつを見て帰った。


私の家があった場所は、丘があるエリアからは外れていて、まだ何にもなっていない。相変わらず雑草が生い茂って、風になびいて、ささやくような音がする。ずっとこのままなのかもしれないし、変わるのかもしれない。その時がきたら悲しむのかもしれない。だけどその悲しみは受け入れられるんじゃないかと、そんなふうに思っている。

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