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ザッハ・トルテをめぐる、甘い7年戦争

ザッハ・トルテといえば
チョコレートケーキの王様とも呼ばれています。

あのメッテルニヒ侯爵が、お抱えの料理長に命じて作らせたものです。

並みのお菓子では満足しなくなっていた貴族たちを
満足させるように
シェフは命じられました。

1832年のことです。
メッテルニヒ侯爵の大邸宅で、見習い2年目だったフランツ・ザッハーは
突然の病気で倒れたシェフに代わって

夜会を締めくくるスイーツを
大急ぎで作らなければならなくなりました。

ザッハトルテ

まだ、16才のフランツにとって試練の時になりました。
急いで
小麦粉、バター、砂糖、卵、チョコレートを混ぜ合わせて
小型の生地を作ります。

それを焼いたあとに、温めたジャムをぬり
チョコレート・グレーズで包みました。
こうして出来上がったチョコレート・ケーキは
夜会に来ていたゲストたちに大好評となりました。

ホテル・ザッハー

このチョコレート・ケーキのレシピは、門外不出となりますが
すぐに、あちこちの菓子店でも
ザッハー風のチョコレート・ケーキに
似たものを作り始めたのではないかと想像されます。

デメルの厨房

それでも、肝心な部分でレシピが流出しないようにして
秘伝のレシピを守ります。
ある程度は、まねをすることができても
まねできないオリジナルの部分が存在したと思われます。

他の菓子店が、さまざまな工夫をしても、同じ味のザッハトルテを
再現することは、できなかったのです。

その後、息子のエドワルドは、ザッハトルテの味をより高めながら
販売においても、マーケティングの才能を発揮し
売り上げを伸ばしていきます。

やがて、ホテルを開業することができるまでになります。
その場所は、ウィーン国立歌劇場(オペラ座)の
すぐ裏手という絶好のロケーションでした。

エドワルドは、若いころ、王室御用達菓子店であった
デメルで見習いをしていました。
エドワルドが見習い修行をした店であるという
オーナー気質によるものか
デメルは、オリジナルのザッハトルテを売る権利があると
思ってしまったようです。


ホテルザッハー、夕方のラウンジ

一説には、3代目の時にホテルザッハーが経営難に陥り
そこにデメルが援助を申し入れ
援助の見返りに、秘伝のレシピがデメルに渡ったともいわれています。

やがて、時が移り変わり
ホテル・ザッハーはデメルに対して異議を唱えます。

「甘い7年戦争」とも「甘い7年伝説」などと呼ばれ
長きにわたり、紛争が続くことになってしまいました。

結局、ホテルザッハーがオリジナルだということになりますが
デメルも、「デメルのザッハトルテ」と名乗っても良いという結果になります。

「デメルのザッハトルテ」は「敗者の甘い誘惑」と呼ばれるようになり
まったくダメージを受けることなく、販売を続けていきました。
両者の味の違いは、「好みの差」といってもいいくらいです。

コロナになる前は
現地で、ホテルザッハーのカフェでザッハトルテを味わい
デメルのカフェに移動して、そこでもザッハトルテを堪能し
お土産にザッハトルテを持ち帰るといった
ゴージャスな楽しみ方をされている方がいました。

アンナトルテ

ちなみに「アンナトルテ」は、デメルのオリジナルで
デメル3代目の経営者
アンナ・デメルの名を冠したトルテです。
ザッハトルテよりも、しっとりしています。

ザッハトルテは生クリームを添えないと
乾燥した食感ですが
アンナトルテは、クリームメインでしっとりしているため
ケーキ単品でも楽しめるようです。
もちろん、メランジェ(ウィンナ・コーヒー)や紅茶といっしょに

ホテルザッハーのカフェは、宿泊せずとも
利用することができます。
いっしょについてくる生クリームは、甘くないので
ケーキと一緒に食べると
チョコレートの甘さが引き立って美味しいです。

この話題にもまた、メッテルニヒ侯爵が大きく関わっています。
あの大邸宅では何が話し合われているのでしょうか。
影響力の大きさを感じます。

メッテルニヒ公爵夫人(絵画)












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