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無茶はするけど、無理はしない。【ありのまんまでいいじゃない vol.9】

先日久しぶりにほぼ二徹をした。
朝7時に起きて2日後の朝3時まで仮眠1時間でノンストップ稼働だ。
起床→仕事→LIVE→打ち上げ→仕事→打ち合わせ→打ち上げ(呑み会?)→サウナ→就寝
なんだかもうとんでもない2日間だったね。
途中から朦朧としていた。
こんなに動き散らかしていたのは20歳ぶりくらいかもしれない。
なんだよ僕まだまだ行けるじゃん。
そんな無茶をしたんだけど、今日は無茶と無理について書こうと思う。

僕は無理はしない方が良いと思うが、無茶はガンガンした方が良いと思う。
無理っていうのは自分や他者から強制的に体力の限界を超えることを選ばされている状態、無茶って言うのは体力の限界を超えることを自分で選んでいる状態。
同じ体力の限界を超えることでも意味合いが全然異なるんだよね。
無理は世の中が言うように心にも体にも良くない。大体今の時代の鬱病はこの無理から来ていると思う。
誰かに言われてやるしかなかった、自分で使命感を持ってしまいやるしかなかった。
どちらにせよ強いられてる状態で限界を超えるなんて言葉の通り無理だ。
ちょっとはこなせるかもしれないけど、長くは続かない。
無理をしすぎるとそのうち人は壊れてしまう。
だから無理をせざる得ない環境なんかにはいない方がいいと思うんだよね。
逆に無茶は意外と平気なんだ。
これは自分で心から選んでいる状態にすると思ってるよりどこまでもいける。
だからちょっとでもやってみたい!と思ったことは無茶してでもやるべきだ。

意外と人生の充実度って暇な時間といかに無茶したかで測定されている気がする。
友達や大切な人となんでもない話をするのは暇な時間だ。
好きな人に好きって言うとか、やりたいことやるとか、諦められないこと諦めないとかは無茶なことだ。
この2軸が人生の全てじゃね?
逆にやらなきゃいけないことってなんだ?
まあ期限があるものは存在しているから、そう言ったものはやらなきゃいけないものだね。
人と約束した時間には間に合わせたいよね。
そういったものを取り除いてやると人生って言うのは思ったより自由に豹変する。

ごちゃごちゃと書き連ねているが、行動が大事だっていうけど、1番大事なのは自分のスタンスであるのだ。
僕のスタンスは
・無理はするけど無理はしない。
・とにかく目の前の人と分かち合う。
の2本立てだ。
この2個を守ってれば人生を間違うことはない。
だって僕たちは生まれた時から素敵なんだから。
無理しないでありのまんまでいようぜ!

読んでくれてありがとう!
僕に興味を持ってくれたら、誰かと分かち合いたくて続けている「宙を走る六等星」の音楽を聴いてほしい‼︎
よろしくねb

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