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消えてなくなりたかった24歳【オヤスミの前にvol.40】

どーもです!
20代前半を振り返る自分語りシリーズラストです。
タイトルが暗くなってしまってすみません。
ただ全部本当なのでいつも通り書いていこうと思います。

24歳は僕にとって社会人2年目に当たるんですけど、社会人2年目になる瞬間を中国のホテルで迎えるというちょっと特殊な社会人2年目の迎え方をしました。
中国語でおはようってなんていうのか今も分からないままですが、中国で朝を迎え日本に戻って出社して移動してきた上司に挨拶をする。
そして取引先に直行すると今でもスケジュールが綺麗に思い出せますね笑
この社会人2年目の頭はもう怒涛でした、なんとか続けていたデュフフ★こんぱにおんからオリジナルメンバーであるドラムが脱退したいという申し出を受けました。
まあ、経緯は色々話すと長くなるので割愛しますが、急な脱退の申し出がありました。
人の人生なので当時の僕は誰かの人生を背負おうなんて覚悟を1ミリもしていなかったので受理することしか出来ませんでした。
そして脱退以降残ったメンバー達に意思の確認をさせてもらったらもう少し続けたいという話だったのと、僕自身もこんなことで自分の夢を諦めたくないと思っていたのでバンドを続けることにしました。

そこから続けていくに当たって、仲良しアニソンカバー動画が基本的なデュフフ★こんぱにおんのスタイルだったのですが、メンバーが抜けてしまうとそれがもう出来なくなりました。(別に仲が悪くなったと言うわけではないですが、メンバー1人がいなくなると言うことはそのくらい大きい出来事です。)
簡単に言うと今までのようなやり方では続かないと言うわけでございます。

そこで僕らはオリジナル曲を作ろうと言う話になりました。
ヲタクの視点から作る歌、というか僕ら自身がヲタクだからこそそこが前に出ると他のアーティストにはない熱量が作れるんじゃないか?と言う話になり路線変更でオリジナル曲をやるバンドになると言う決意をします。
それに伴って新しいイメージを伝えていくために2020年には毎月オリジナル曲を作って新しいデュフフ★こんぱにおんになろうと新しい挑戦テーマを作りました。

大体この年の九月ごろから来年のオリ曲毎月公開に向けての制作期間に入りました。
しかし制作期間が順調に進んでいた12月に入り事件が起きます。
メンバー失踪事件です。
オリジナルメンバーのもう1人がここで失踪をしてしまいます。
失踪だけなら恐らく僕は耐え切れたのですが、ここで続けていた仕事がえげつないくらい仕事量が増えてしまっていて毎日日付が変わる手前までの残業がだいぶ続いていたことと、短い睡眠時間に限界が来つつあったことが最悪の重なり方をしました。
失踪の連絡も新潟から終電で帰ってくる新幹線の中で受けとりました。

僕は今まで何をやっていたんだろう?

一生懸命やっていたはずのバンドではメンバーの脱退と失踪で失踪。
バンドで成功するために頑張っていた仕事で食事の時間と睡眠時間を犠牲にして、一つ前の食事すら思い出すことが出来ないくらいギリギリの状態。

乗り換えで降りた大宮駅のホームから一歩踏み出したらもう解放されるのだろうか?と頭をよぎったのですが、そんな勇気もなくこの日は帰宅しました?

しかし、この日を境に明らかに体の様子がおかしくなります。
夜寝ようとしても30分に一回目が覚めてしまい、日中は動悸が止まらず9時くらいに職場で1人にならないと落ち着かなくなり、更に1週間くらい経つと食べ物を食べると吐き気がする様になりました。
人と食事をする時はバレないようになんとか味の分からないものを飲み込んでいました。
「正月に休めばきっと良くなる」
そう信じていたのですが、もう限界でした。
正月に入っても上に上げた症状は治らず、おせちも好物だったすき焼きも食べられずずっと天井を見て過ごしました。

とある経緯で同期の仲良かった方が、僕の異常に気付き電話をくれました。
そこで僕は初めて人に自分の今の状態を話しました。
彼から「病院に行ってくれ、なんなら俺も行ってもいいから」
その一言で僕は彼と直前まで電話をしてもらいながら病院に行きました。
その診断結果は「鬱病」。
脳みそからアドレナリンという興奮物質が出なくなってしまい、常に寝起きの瞬間みたいな状態になっていたそうです。

仕事へのドクターストップが出ました。

僕は「人生が終わった」と思った。
元々ロックンローラーに憧れて27歳で死ぬつもりだったのでその予定が2、3年早まったのだとそう考えていたのですが、人ってそう簡単に死ねないんです。
惨めだったし消えてしまいたかったけど、僕は生きることしか出来ませんでした。

病院からは好きなことをしろと言われていたので思いついたことをしながら、栄養補給のスープを飲む日々が僕の療養期間でした。
毎日自己嫌悪の日々でしたが1ヶ月ちょっとしたらご飯が少しずつ食べれるようになりました。
バンドはもう辛かったから今決まっているスケジュールをこなしたらぼんやりと辞めようかな?と心の中で思いつつ、決まっていた出演スケジュールをこなしていました。

しかし僕の転機がありました。
Twitterにいつもライブに来てくださる方からDMが届いたんです。
「ちょっとご飯でも行きませんか?」
僕としては断る理由もなく、毎日基本的に予定すら無かったので残っていたちゅーると一緒に食事をしにいきました。
そこでその方から
「メンバー2人で大変だと思いますけど、どうか頑張って続けてください。」「スタジオ代を僕にも出させてください。」と言葉を頂きました。
僕は恥ずかしい話自分の全てがもう嫌いになっていたのですが、この時僕のやっている音楽がこの方にはそんな風に思って頂けていると知り、この上なく暖かい気持ちになりました。
現金だと思われても構いません。
僕はこの件でもう少しバンドを頑張ることを決めました。
許可なくエピソードを載せてしまい申し訳ございません。問題がありましたら、この日記は削除します。

そこからは真剣に今抱えている病気を治すことと、どうにかしてバンドを続けようと決め25歳となる去年を過ごしました。
去年のことはこのnoteになります。
https://note.com/sioduhuhu/n/n8dea52432290


最後に
なぜこんな自分語りをしたのかを書かせて頂きます。
ちょっと自慢話になるかもしれませんが、最近すごく褒めて頂く機会が増えました。
更にはなんでそんなに色々出来るの?とまだまだ道半ばの僕に色々と聴きにきてくれる人が数人現れたんです...!
嬉しい反面、僕はこんなに弱くておバカな人間なんだよ とどこか曝け出したくなったんです。

読んでくださりありがとうございました。

お休みなさい。

【本日のベストソング】
負け続きの日々/Revision of Sence


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