架空喫茶ホボハチ~たられば~

カランカラン

その音で、読んでいた本にしおりを挟み閉じる。すこししか時間が経っていないと思いきや飲んだ豆乳ラテはすっかり冷めていて集中して本を読んでいたんだな、と思う。
今読んでいる中山七里さんの能面検事は、続きが気になって一気読みしてしまいそう。検事と新米事務官、ふいにスパイス的に飛び込んでくるこてこての関西弁の先輩とのやり取りがなんとも、面白く次に次にとページをめくってしまう。

少し目を休めようと、ふぅと一息ついたときに耳に飛び込んできた

「君を傷つけるつもりはなかったんだ」

という男性の言葉。ふと声の方を見てみるとフルーツジュース店のお姉さんと見たことのないスーツ姿の男性が対面に座っていた。その男性が言ったのだ。

「君を傷つけるつもりはなかった」

ほうほう。なんだか雲行きの怪しい言葉。あまり聞きたくない言葉。私が言われたらどんな気持ちになるだろう、と思いをはせていたら、すこし低音なハスキーな声で

「そっか。勝手に傷ついてごめんね。言ってくれてありがとう。」

と聞こえてきた。

「でもね。私の気持ちだから、傷つくかどうかは、私が決めるよ。それに、傷つけよう、という意気込みで行動する人なんていないと思う。だからやさしさからくる嘘だったとしても、バレそうになって音信不通になって最後には白状するのであれば、最初から事実を伝えてくれた方がいいと思うんだ。もしも、自分や誰かや誰かとの関係性を守るために、つかなくてはならない嘘をついてしまう場合は、守りきるために嘘はつき続けなければならないと思う。
『傷つけるつもりはなかった。』
あなたがそう言った時、きっとあなたは傷つけた事柄や言葉に心あたりがあったと思う。それが私が傷ついたこととは違っていたとしても。すでに起こってしまったことや、過去は変えられないから、そこに対してとやかく言うつもりは毛頭なくて、どちらかと言えば保身のために言ったように聞こえる
『傷つけるつもりはなかった』という言葉の方が心にずしん、ときた。
傷ついたか、そうでないかって私が決めることなのに、なんで傷つけるつもりがなくても最初に本当のことを話してくれなかったんだろうって。」

「多分あなたにこの先会うことや連絡をとることはないだろうし、幸せになってね、と言われたくも言いたくもない終わり方って悲惨だけど、お互い知らない世界に戻って健康に生きていこうね。」

そういってお姉さんは千円札をおいて、席を立ち、細いお姉さんには少しだけ重いであろう扉をよいしょと押して、店の外へ出ていった。
店内に響くカランカランの音はいつもより鮮明に聞こえた。
そんな彼女を追うように、窓辺の学生が席を立った。きっと扉を開ける手が震えているのを見てしまったのだと思う。扉の前でレジを通り過ぎるとき、はっと思いだしたように伝票を取りに行こうとするが
さすがはホボハチ、「お会計は今度でいいし、机の荷物も片しておくから、行きな」と一言。学生さんが戻ってきたときのために、きっと今日のホボハチは閉店時間を越えても開いているのだろう。

大きく頷いて、駆けていく学生に心の中から念を送る。きっと彼女に追いついた時、彼女は「どうしたの?大丈夫だよー!言いたいこと言えてすっきりした!」と笑顔で言うと思う。
そんな彼女の震える手を優しくあったかい手で包み込んであげてね。と。

ちなみにお会計は、いつもホットコーヒーの2杯目を少し残す常連さんが払ってたよ。

次にお姉さんに会うときには、とびきり甘くてとびきり美味しいチョコレートを渡そう。お姉さんにとってホボハチが暖かい場所で居続けられますように。

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