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この年までバカをやれる友達がいることが、貴重で、ありがたい。という話

どうもこんにちはこんばんはおはようございます、Helloどうもぼくはここ、しおです。

ぼくには親友と呼べる存在が4人います。今回はそんな4人の友人の話をし、思ったことを話していきます。


前置きのような話。Sくんが亡くなった話。

いきなりですが、親友のうち1人は5年ほど前に他界。
毎年とはいきませんが、行ける時には彼のお墓参りに行っています。

去年(2021年)は、お盆の時期に、お墓参りに行ってきました。
コロナ禍ということもあり、県外に行くのは対外的にも好まれないことは承知でしたが、思えば去年もコロナを理由に行っていないな...と思いまして向かうことにしました。

その日はとても暑く、連れと車で向かったのですが、パーキングエリアに少し下りただけで汗が玉のように噴き出ました。

道中、水分補給と、知人とくだらない話をしながら向かいます。

お墓参りのために途中コンビニでお線香などを買い、すこし連れと話してから、ぼくは一人お墓に赴きました。

連れは会社の人間で、仲良くさせてもらっている他部署の先輩です。亡くなった彼とは友人関係でもなければ、顔も見たことがありません。

県外へ行くという話をすると、車で行こうと言ってくれたので、それに甘えさせていただきました。

そんな車中を離れ、亡くなった彼が入っているお墓があるお寺へ入ります。

お寺はとても静かで、お盆の時期とは言え、真昼ということと、田舎ということもあって誰もいませんでした。

ぼくはお寺に置いてある、桶とひしゃくを借り、水道で水を汲みます。

そうこうして彼のお墓へ。

線香をあげ、墓石に水をかけ、手を合わします。
いろいろあった年だったので、しばらく語っていたかと思います。
その間にも身体から汗がじわりじわりと出ていましたが、風も吹いていたせいかすぐに乾いてはまた汗が出るなど、体はせわしないながらもぼく自身はゆっくりと合掌を終えました。

それから片付けをしつつ、帰路につきました。


他にもぼくには亡くなってしまった友人が複数います。

だからと言うわけではないですが、この年齢(26、もう三十路や)まで一緒に遊んだり、バカができる友人がいる、というのは本当に貴重だと思います。

今回はそんな親友の話をしていきます。


6月に結婚式を迎えるTくん

Tくんとは小学1年からの友達です。
いや、正確にはもっと前からお互い出会ってはいますが、認知したのが小1というような形でして、要はご近所さんであり、幼なじみです。

どうして幼なじみが美少女ではなく、ただのオタクだったのか。とお互いに思っていることでしょう。

そんなぼくらは小学生時代はほぼ毎日のように遊んでいました。

中学からはお互い違う部活動で忙しかったのですが、2年から生徒会に入り、わちゃわちゃ企画したり学校に遅くまで残ったりと青春していたなと思います。

そんな中学では体育祭のようなものがあり、生徒会が仕切るイベントがあるのですが、そこで2人で実況したのがぼくにとっては良い思い出です。

ぼくは運動神経がほぼないため、運動よりもこういった実況がおもしろく、また2人とも実況らしい実況よりも、楽しく家でゲームやっている感じで話したいよね、というイメージで実況していたのを覚えています。

日本でヒカキンよりもはじめにゲーム実況をしたのはぼくらです。しかも現実で。スポーツもゲームみたいなもんです←

まあ、その放送がウケたかどうかはさておき、2人とも嬉々として実況していたのを覚えています。


時間は経過し、そんな中学時代が終わると、お互い違う高校に進みます。

ぼくは徒歩圏内5分ほどに高校があったのでそこへ。
T君は県内トップクラスの進学校へ。

ぼくはそうでもなかったですが、T君は勉強勉強で大変そうだった記憶があり、自然と連絡も取らずに疎遠になっていきました。

いや、疎遠とは違うのかもしれません。

お互いに連絡は取らなくても、別に友情はなくならんとそんな考えがあったのだと思います。


そんな気持ちもあってか、いざという時には頼りにしていました。

勉強でつまづいたときにはメールや電話で聞いたりしていましたし、近所なのでたまに道であったときは軽く話をしたりしていました。
遊ぶことはめっきり減っていましたが、なんとなく、お互いがんばってんな、くらいに思っていたと思います。向こうはどう思っていたかは知らないですが、ぼくはそう思っていました。


そんなちょい距離がありつつも、良い距離間のTくんと一番距離が空いたのは大学進学だと思います。

ぼくは東京の大学へ進みましたが、Tくんは良い結果が得られず、一浪を決意。その1年後にTくんも東京の大学へ進学するものの、どこか浪人したことにコンプを抱いていて、ちょっとトゲのある性格になっていました。

と、そんなぼくも同じようなタイミングで4年ほど付き合っていた方と別れ、ちょっと精神的に来ていたタイミングでした。

お互い傷を舐めあうようにまた遊ぶようになりました。


というのも実はぼくはこの時その4年ほど付き合っていた方と同棲していたのですが、別れるタイミングで家に帰ってこないでといきなり言われて、その間ぼくは家無し子になっていました。笑

今思えば「なんでおれがわざわざ家を空けなきゃいかんのじゃ!」と。
まあ察しの良い方は分かるかと思うのですが、この時に彼女は家にある家電やらなんやら諸々を全て持ち出していました。そのため時間が欲しかったというわけです。なので帰ったら家がほぼ何もない状態でした。予告も無しにこれはあんまりだと思いましたが、まあ今となっては笑い話です。


さておき、そんなタイミングだったこともあり、そのTくんの家に居候していまして、お世話になりました。

ぼくが荒れていたタイミングだったので、本当にお世話になりましたね。今でもありがたいとひしひし感じます。


そんなTくんとは今でも年に数回は会ってお酒を飲んだり、オンラインでゲームしたりしてます。

と、そしてTくんは今年の6月に結婚式を挙げます。もうすでに入籍はしているのですが、コロナの関係上、なかなか式を挙げられずにいたので楽しみです。

泣いちゃうかもしれん


激太りと激やせを繰り返すKくん

2人目も小学生1年の頃からの親友です。(これから紹介する3人目も小学1年からの友達なので、親友はほぼ小1からの関係です。)

彼はタイトル通り激やせと激太りを繰り返している、おもしろいやつです。

小中高と一緒だったこともあって、2人で遊んでいた時間は一番長いと思います。

高校でぼくが部活を辞めるまで部活も一緒でした(ぼくは高校の部活を5か月くらいでやめたので中学生まで、というのが正解かもしれない…笑)。


さて、そんなKくんのぽちゃり→痩せ遍歴を紹介します。

小学生時代はぽっちゃり体型でした。
同じゲームや同じマンガ、同じようなお笑いが好きなど、とにかく「好き」の共通点が多く、成長してからもお互いアメコミが好きだったり、マニアックな芸人の話で盛り上がったり、とにかく話題に事欠かない存在です。そんな存在だったことからすぐに打ち解けて、よく遊んでいました。
ただKくん、めっちゃコーラ飲んでた←

そんな小学生時代のぽちゃりKくんは、中学になると部活(運動部)もあってめっちゃ痩せていきました。
ただし3年にもなると部活を引退し、相変わらずコーラが好きだったのですぐにぽっちゃり体型に戻っていきました。
そして相変わらずぼくともよく遊んでいました。

中学卒業式後にクラスの奴らとは遊ばず、なぜか2人で遊んでいて(変なとがり方をしていた)、ちょうど3.11だったこともあり、2人で地震におびえていました。

そんな恐怖体験をした2人は地元の高校へ進みます。

彼は春休みの間にさらにぽちゃっていました。
しかしKくんは高校でも運動部に入って体を動かしていたので、すぐに痩せていきました。運動は好きなタイプなので、それが救いとなって高校時代もそれほど”ぽちゃ”らず、そのままお互い違う大学へと進学します。Kくんは相変わらず炭酸飲料が好きでした。ただコーラよりスプライトを飲んでいました。色が透明になった分、ちょっと健康そうです。もちろんただのイメージです。

大学編へ進みます。


ぼくは前述したように東京の大学へ進学し、上京します。

Kくんは地元の4年制の専門大学へ進みました。

ぼくが大型連休で地元へ帰ってくるたびにほとんど遊んでいました。東京へ出てくる時も遊んでいました。2人で遊びすぎている気がする…

さて、そんなKくんは大学へ進んだ途端、コーラよりもコーヒーを、炭酸飲料よりもお茶を、と嗜好を変えていきました。
しかし、なぜなのか、彼はみるみる太っていきました。

バイトを始め、実家暮らしだった彼の元には、遊べるお金ができていきました。彼はそのお金でぼくや地元の友達とたくさんお酒や買い食いをしてしまいました。

ああ、神よ。なぜ彼にこんなにも試練を与えたもうたのか。

責任の一端はぼくにもあるとはいえ、連休で地元へ帰ってKくんに会うたびに太っていったのでさすがに心配していました。

そして彼はなんと大学生にして100キロを超え、病院で糖尿と判断されてしまうのでした。


ということもあってか、社会人になってから彼はジムに通ったり、仕事で体もそれなりに動かすようで、今はかなり痩せているようです。

「ようです」というのは2年ほど会って遊んでいないので、話に聞いた限りだからです。


そんなKくんとも6月にTくんの結婚式で会えるのでどれだけ体型が変わっているか楽しみです。いっぱいお酒を飲ませないようにします。たぶん。


おもろい、かわいいRくん

Rくんはゲームオタクです。オフラインのゲームが好きで、とにかく黙々と1人でゲームをやることが好きなので、正直あまりゲームでは遊ばない(というより遊んでくれない…;;)のですが、それでもぼくが地元へ帰るたびに「服を選んでくれ!」「女の子と初めてディズニーデートするからおすすめのデートプランを考えてくれ!」と相談してくれます。かわいいです。

そんなRくんとも小1の頃からの親友です。

小学校の時はめちゃくちゃ明るい奴でしたが、中学の頃に先生から勉強をできないことを皆の前でいびられたりしていたせいで心を閉ざしました。ぼくはそれから学校の先生や学校が大嫌いになりました。いや、中学のその時の先生が嫌いです。

と、オコなぼくが出ましたが、人の不得意なことをクラスのみんなに聞こえるようにいびったりするのはやっぱり違うと今でも思います。ましてや教育者が。
自分の子供がもし同じような目に遭ったらぼくは学校に乗り込みます。どうも、モンペ予備軍です。


冗談じゃないけど冗談はさておき、心を閉ざしたRくんでしたがぼくと前述の親友、TくんKくんには心を開いてくれています。(ぼく含めT、K、Rは今でも4人でよく遊びます)

しかし先輩とか年上の方には委縮してしまうようで、傍から見て、自分にあんまり自信も持てない性格になってしまったなと、ぼくは思います。


そんなRくんはずっと地元組です。地元へ帰るたびに遊んでいます。

もう地元へ帰っても遊べる友人がいないので、貴重な存在です。


そんなRくんはゲームが好きなのでやっぱりゲームがうまいです。一緒にAPEXという銃を打ち合うゲームをした時は、初プレイなのにぼくよりずっとうまかったです。その後も一緒にプレイしたときは、敵部隊3タテしてました。スタヌもびっくりな「なんだこいつー!」です。


でもオンラインでも暴言とか吐く人とかが怖いようで、友達としかやらないようです。過去の弊害がここにも...…


さておき、そんなRくんとはなぜ仲良くなったのか、なぜ今まで一緒に遊んでいるのか、正直よくわからないです。
ゲームという共通の趣味はあるものの、とくにこれといった接点は今までないのですが、お互い何となく一緒に遊んだりしてます。

こういう関係こそ、本当の友達なのかもなと、ふと思います。

お互い一緒にいて居心地の良い関係、そんな友情もあるんだなと、人ごとのように考えました。


おわりに

Tくんとは幼なじみで、Kくんとは悪友で、Rくんとは居心地の良い関係で、なんだか親友といいつつも、みんなそれぞれ違いますね。当たり前ですが。

みんな違ってみんな良いですよ、ほんと。金子みすゞの言っていることが良く分かります。


それでも社会人になって、みんな仕事や家庭の事で忙しく、今までのように遊ぶ時間はなくなっています。


でもたまにあった時にくだらない話ができたり、お酒を飲めたり、ゲームができたりできる関係って、いいなと思います。

ぼくは友達が少ないです。ラノベのタイトルではなく事実です。

ぼく自身が内向的で陰キャ、コミュ障というのもありますが、あんまり深い関係にならずに終わることが間々あります。あとぼく自身がそんなにマメに連絡しない性格もあって、関係を続けられる人はなかなかいません。

そう考えるとやっぱり、貴重な友人たちだと思います。


そう思うようになったのも、やっぱり亡くなってしまった1人の親友のおかげ、といったら不謹慎でしょうか。

いつ亡くなってしまうかなんてわからない。と考えるようになってから、なんだか気持ちが変わった気がします。でもだからってたくさん連絡を取り合うべきとも思っていません。ただ今いる友人たちを大切にしていかないといけないなと、そんな風に思うようになった感じです。


3月で気温も暖かくなってきました。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。コロナの”まん防”が解除されたら、たまには友人とご飯とか食べて、くだらない話でもして、遊んでください。

いつ亡くなるかわからない、なんてメンヘラな発言かもですし、ぼくだって大して意識していないですが、心の奥底ではそんな気持ちがあるのも確かです。

これから周りの人たちが家庭を持ったり、仕事で環境が変わったりするともっと遊べなくなります。自分自身だってそうです。
そう考えると、人生であと何回ぼくらは遊べるのかと、ちょっと考えてしまいます。

こんなご時世もあります。友人とゆっくり遊んだり、だべったりできる時間はどんどん無くなっていっていくと思います。

これからの季節、友達を誘ってゆっくり花見でもしてください。ゲームでも、カフェでコーヒー飲むでも、なんでも良いです。きっと楽しいです。


そんなことを考えた今日この頃でした。

ーおわりー


コーヒー代を投げてくれると、大変喜ぶ習性があります。