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映画『純愛』の鑑賞&対話会に参加しました

「私には愛があるよ」そう教えられて、「信じることが愛」の結論までもらっていながらも、私は、自分の中の愛を実感する?自信を持つ?ことができずにいた。

ある人が私の意識と繋がって次の言葉をくれた

「私は人と愛でつながれます、つながり続けます。そうなります。そうなっています」

私は、春分の日にその言葉を宣言してみた。

そこから何かが変わるような気がしたが、その日の夜は、大きな勘違いだったと妄想が吹き飛ぶ出来事があった。

しかし、翌日、私は、自分のコミュニティで、愛を実感する体験をすることになった。私は人と愛で繋がっていた。そうなっていたのだと実感できた。

少し元気を回復してフェースブックを開いた瞬間に、なぜか『純愛』を製作した奥山さんのページが1番に表示された。そして、奥山さんの春分の日の宣言に出会い、導かれるように『純愛』鑑賞&対話会に参加することになった。

『純愛』を鑑賞した私は、大きな視点の変化を得た。

一言で言って、

愛とは命

それが私が今回得たことだった。

愛を命と考えると愛とはよく分からないとか、私にあるかないかと考えていたことは意味のないことで、愛が命であれば誰にでもあるし、わかることとかできることの世界ではないのだと感じた。

『純愛』の対話会のテーマは「つながり」

私が映画を通じて感じたつながりは、愛とは命のつながりで、つながって、生まれて、育まれて、またつながっていく。日々の営みであり、人がつないできた歴史であると感じた。

その言葉から「愛は命と考えると、愛は体感できるのではないか」と言葉のフォローをしてくれた人がいた。それはどういうことかを尋ねてみれば、母親ならば命を体験しているし、手に触れただけで伝えていることもあると。

そう想像してみると、そうした愛の体験を自分もしていたことをすごく実感できた。

すでに何度も映画を見ている人たちが考えるつながり、20年この映画の制作から、純愛を通して世界を愛でつなげる取り組みをしている奥山さん。たった1度の体験の私ではその視点に大きな違いがあるかもしれない。けれど、私は大きな視点の変化を得て、そして自分自身にもあったということを実感することができた。

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