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夏休みの宿題

私のこの夏の宿題は論文を書くということだった。

論文?それを書いて何がしたいの?あなたの人生にとって論文を書く意味は?

自分でもわかっていません。今もなお。

それでもこの夏、何かに駆り立てられるように、私は毎日毎日向き合いました。


6年前の今頃
論文を書いてみたい!と思いました。
その晩ネットを見ると、「明後日、説明会があります。」
ちょうどその日は行けそうだな。そこで行ってみました。
その時に出会った指導教員が「自分の実践の根拠を得たいのですね」と私の意図を理解し「授業づくりを通して学生の自己肯定感を育むこと」これが私のやりたいことなのだろうと、その先生は引き出してくれました。

大学院では「生活指導論に基づく大学での授業づくりについての一考察〜田中容子実践を手がかりとして〜」
というタイトルで修士論文を書きました。

卒業はさせていただいたものの
私の中には嘆きが残っていました。

考えてみれば、6年ではなく、もひとつ前に起こした出来事も
いやもっと前に遡れば、あのことも
何度も繰り返す・・・

私はたくさんの人と関わって、たくさんの喜びを得たけれど、悲しみもあった。
特に、先生と呼ばれる人から怒りを買う。
私にはそういう人に対立する何かがあるんだと思う。→私の中に3人の私がいる


去年の今頃、嘆きなのか、怒りなのか、それらの黒い塊が私の体の中に生まれて外に出された。
体の中にもうその黒い塊はないはずなのに
私の心がまたそれを産んでしまうのではないか、私はその恐怖に襲われた。

この夏の始まりに、ご縁のある2人のセラピストとのセッションから
私の中にいる幼子の嘆きを聞いた
「諦められない」
「一人ではできない」

それは何かはわからないけれど
この夏休みに論文を書く
それしか浮かばなかった。
小さな頃できなかった夏休みの宿題を
今回はやり遂げる。という裏ミッションも受け取った。


不思議なもので、そう覚悟すると
とにかくやるしかないという状況ができた。
一人ではできないという嘆きを聞いて、人を頼ろうと思った。

「愛を受け取る練習だよ」
そう言ってくれた友人がいた。
何人かの愛ある人に助けてもらって
毎日毎日、とにかく書いては直した。
8月末に、あー夏休みの宿題ができたと思った。

しかし、論文になっているのかわからない。
そこで、心ある先生にお願いしご指導がいただけた。
これは論文ではない。
論文は主題について結論に向かって一本通っていないといけない。

私は私の言いたいことを
とにかく言いたい言いたいと書いているだけだった。
多分修論もそういうものだったのだ。

もう一つの目的、論文を書けるようになりたい、諦められない
と言う嘆きを叶えるためにこれを論文に引き上げたいと思った。

そこから、また、毎日毎日直した
「意味がわからない」
「何を言いたいのかわからない」
次男から厳しい添削が真っ赤になって届いた。
それが新しいヒントになる。

一つ一つ閃くたびに
嬉しいなって思う。

たとえ誰にも認められなくっても、成長ができていることが実感できた。

昨日、提出期限となり、論文を提出した。

正確には論文は書けていない。
レベル的にも到達していないし
一人で書けていない。
複数のサポートがあったからできたことだった。

それでも、私は
自分で毎日毎日
本当に小さな一歩の成長をしていると思えた。
その瞬間の小さな成長を嬉しいと思った。


できないことに嘆くのではなくて
年齢や周りの目を怖れ、言い訳するのではなくて

いろんな人を巻き込んでしまったと後悔するのではなくて

私には愛ある人が周りにいて
一人ではできないけれどなんとか幼子の嘆きに答えたよ。
がんばれたねと認めたい。



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