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私の中に3人の私がいた

私の中に、生徒の私と先生の私がいてその境界が曖昧なのではないか

そんな指摘を受けて気になっていた。

振り返ってみると、自分が無自覚に起こしている妄想が生徒側の私で、その子はめちゃくちゃダメな子だと評価している私がいる。人に褒めてもらっても、いえいえダメだダメだと言っている。

そして、教師側の私は私で、そうは言っても非常勤講師ですし、パートタイマー労働者ですの。と、やっぱり世間から取りこぼされているということをアピールしたがる。

そんなおり、私の中にいるもう一人「コーチの私」を発見した。この人は目の前の人と愛で繋がり、その人の可能性を信じている。そうありたいと、愛の探求をしていくことに使命を感じている。

私はこれまで何度か人と対立をしてきた。特に指導者的な人には、対立しやすい。生徒としての嘆きもあれば、教師の私は正しさを正しいと、そうでなければならないと譲れない頑固さを持っていた。

言葉と行動がアンバランスでなんでこうなるのかがわからなかった。

はっきりとそんな私の中にいる3タイプの私の存在を意識したことで、なぜ頭と心と行動がずれてしまうのかがわかったような気がした。私がありたいのはコーチとしての私なのだよ。生徒の私も先生の私も、過去の出来事や人から影響を受けた私。私がありたい姿として願っているのは、コーチの私。

在り方としてのコーチ

あーそれを目指してやってきたのだった。

今から何かを作り直すのではなくて、過去のこととこれからの私と捉えようと思う。

これから私は過去の生徒と教師の私とは決別してコーチとして生きる。

やはり少し違和感。

私は関わる人と愛で繋がってその人の可能性を広げます。

そうして生きてきたし、これからも関わる人の笑顔を増やしていく。

それは特別新しいことではないけれど、やってきたこと。それでいいじゃない。

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