友達、そして親。


お久しぶりです。半年ぶり。
この6ヶ月で私は大学を卒業して、大学院に入りました。またいつか、その話も書きたいなと思っています。
知らんけど。

深夜に勢いでポエムを垂れ流すだけの当ブログ(ブログ?)ですが、昨日嬉しいことと悲しいことがあったので、そしてそれを書きたいと思っていたけれど疲れ切って髪も乾かさずに寝てしまったので、土曜日の真昼間に書いています。
昼にポエムを書いてもいいじゃないか。

さて、昨日あった嬉しいことからお話ししたい。
昨日、友人と半年ぶりに会い、もう9時間ぶっ通しで語るに語り倒して、それから私の院入学祝いと愛の詰まったお手紙をくれたんです。とっても楽しかったし、スッキリしたし、お祝いとお土産も嬉しかった。
私は院進で友人は就活中なのですが、昨年夏の時点で院合格を報告したら、すごい喜んでくれて、合格祝いもくれた友人です。貰いすぎだな・・・。

友人も内定を勝ち取ったようで、最後の2社どちらに行くか迷っていると言っていたので、就職祝いならぬ内定祝いを贈りました。就職祝いは何を贈ろうか、今から考えています。

少し、この友人の尊敬するところについて話したい。
同じ文芸部出身の友人ですが、私よりずっと文章を書くのが上手で、それは彼女がたくさんの本を読んできたことの証だと思っています。私も読書好きを名乗っていますが、彼女の足元にも及ばない。
そして、感情を言語化するとき、その表現がとてもうまい。語彙力が少ないので上手い、としか言えないのですが、ただ「嬉しい」というよりも真に迫った喜びや感情を読み手に感じさせるのが上手いのです。すごいなあ。

さてこの友人、小学校から高校までずっと一緒ではあるものの、本格的に仲良くなったのは中学生後半から、さらに私の中で唯一無二の友人となったのは大学に入ってからです。これは彼女も言ってた。大学違うのに、もしかしたら違うから、週に何回か深夜に何時間も電話するようになって、互いの誕生日に長文のお手紙を送り合うようになりました。
友人の少ない私は、遊びに行くような友人自体5人ほどしかいないのですが、彼女はその中でも、私の弱みを晒せる人です。(別に他の人に心を開いていないわけではなく、友人5人それぞれ付き合い方が違うというだけなのですが)
私が自分の顔に、体型に、親に、他人の交友関係にコンプレックスを持っているということを、スッと受け止めてくれるんです。お互いコンプレックスを持っている部分が似ているというのもあるのかもしれませんが、とにかくそういう意味では私のことをこの世で一番知ってくれている人でしょう。

私は大変面倒くさい人間なので、自分の顔が嫌いだとか友人ができなくて辛いだとか話した時に、安易に共感は欲しくないのです。共感するなら実体験に基づいた共感をしてほしい。
じゃないと、いやあんたはそんなこと思ったことないやろ!と言いたくなるので。
それから、「そんなことないよ」って言われるのも腹が立ってしまう。あからさまなお世辞にしか聞こえない歪んだ耳を持っています。
さらに言うと、「へー」みたいな、もういかにも興味ないですという風な返事も傷つく。あ、この人私のことどうでもいいんだな、と思う。これは私の両親です。

こう書き出してみると、本当に面倒くさいなと自分でも思う。
でもそれを、この友人は「受け止めてますよ」と恩着せがましさもなく、受け止めてくれるんです。

これがどれだけ私の救いになるか。

いや本当に……。いつもありがとう。
時々、私は同じだけのものを返せているのか、不安になるくらい、それくらい私に愛をくれる大好きな友人です。
これ見つかったら恥ずかしいな。



さて、友人について惚気たところで、毎度おなじみ私の親の話をします。
毎度おなじみというか、私が親への文句がある時にしか書かないというか、ストレスの原因の大半が親というか。
とにかく、最初に書いた、悲しいことについて。

昨日久々に友人に会って、入学祝いだとくれたバッグを抱きしめながら帰ったのですが、それを見た母に「どうしたの?」と聞かれ、〇〇ちゃんが入学祝いにくれたんだよと答えた時の返答が悲しかったのです。
あろうことか母は「あんたに貢いでも意味ないのにね(笑)」と言ったのです。

は???

いやいや、仮にも親が言うことじゃないだろうと。良かったねとか、お返ししなきゃねとか、そう言う言葉ならわかるのですが、「あんたに貢いでも意味ないのにね」???
帰り道歩きながら、怒れば良いのか悲しめばいいのか、とにかく傷ついて溢れそうな涙を抑えるのに必死でした。
今もこの文を打ちながら泣いてます。いやほんと、泣きすぎ。

友人が純粋にお祝いとしてくれたプレゼントを、「貢ぐ」っていう一方的な言葉で表現されたのがショックだったのだと思います。
そう言った母にも、それに頷いていた父にも、そんな深い意味はないと頭ではわかっているのですが、仮にも五十路を過ぎた人間が、しかも自分の親がそんな発言をしたことが本当に悔しかった。それに言い返せない自分も。

冒頭に大学を卒業して院に入学したと書きましたが、父からも母からも、「おめでとう」の一言はありませんでした。同居の祖母はきちんと目を見て言ってくれて、私の大好きないちごまでわざわざ買ってきてくれたのに。
それだけのことがものすごく悲しかった。学費を払ってくれているのも、生活費を出してくれているのも両親で、私の進む道を反対せずに高い学費を払ってくれていることに感謝しかありません。
でも、ただ「おめでとう」の言葉がないことが、それを思い出してもう両の手で収まらない回数泣いてしまうくらい、悲しかった。

こればっかりは、自分の感情を言語化するのが好きな私も、理由がわかりません。
虐待されているわけでも、愛されていないわけでもなくて、喧嘩もするし理解してくれないなと日々思ってもいますが、でもどうしておめでとうがなかったことがこんなにも辛いのか、忘れることすらできないのか、分からない。

とにかく、そのこともあって、友人(と、さらに友人のお母様までおめでとうの手紙をくださった)が祝ってくれたことを茶化すような両親が許せなかったのだと思います。


この話にオチはありません。
なんとも後味の悪い終わり方になってしまいました。

これを読んで、いやいや、なんでそんなことで泣くん?とか、それより酷い親はたくさんいるとか、分かり合える友人がいるだけ良いとか、思う人はたくさんいるでしょう。私もそう思う。
それでも、消化しきれませんでした。

子供の自分が言うのは自己弁護のようで気まずいのですが、子供は親が思っているよりずっと、親のために空気を読みます。
私が親に言い返せなかったのも、もちろん自分の弱さと、和気藹々とした空気を壊したくなかったから。両親が喧嘩している時に仲裁したり、わざと呑気なふりをして空気を和ませようとするし、嫁姑の間にも入って両方から愚痴をぶつけられるし、父の機嫌を取るために行きたくもない場所に行って、母の会社の愚痴に付き合って、両親からのイジリに道化を演じています。
きっと私が知らないだけで、両親もそうなのかもしれません。
でも、だから、私は両親に自分のことは話したことがない。
私の友人の名前も、私の好きなゲームも、キャラクターも、服の系統も、どんなコスメが好きかも、彼氏がいたことも、コンプレックスも、泣いたことも。私の友人しか知りません。
聞かれたことがないし、話しても共感も理解しようともされず終わるから。

両親のことは決して嫌いじゃないんです。
趣味も合うし、色んなことを知っているし。

人は手の中にないものを欲しがります。私が求める両親像も、ただ”そうじゃない”からないものねだりをしているのでしょう。
でも、私がもし死んだ時、パスワード再設定時の秘密の質問の「初恋の人の名前」が門田京平であると、私の友人は知っているのに、両親だけが知らないままでいるのだと思うと、少し虚しくなってしまう。

まあ、だからと言って私も親のこと知らないんですけどね!


書きたいことがまとまらなくなってきたので、この辺で終わりにします。
こんな文章を世に出して良いのかと思わないわけではないですが、匿名だし、と言うことで。
いつかこれが黒歴史になることを願って。

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