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「縄文人は30歳くらいで死んでいた」は常識か?

※作者が素人のため、浅学な部分ありますのでご容赦ください。

先日、Twitterでこんな内容のツイートが出ていました。

ツイート中にある「最近の研究」とは、10年くらい前の2011年に発表されたものだと思われます。縄文人の寿命に関する内容です。千葉県内の事例で65歳以上の個体が32.5%いたというものでした。今より環境の悪かったであろう縄文時代でも長生きした人が多かったという話のようです。

さて、僕が気になったのはツイートにある「縄文人は短命で多くは30歳ぐらいで死期を迎えていたというのが先行研究で常識だった」という部分でした。

そんな内容だったっけなぁ?と思いました。そんな短命が常識だとは聞いたことがなかったのです。

それで、僕の持っている本を引っ張り出してみました。

まずこの「縄文人は30歳くらいで~」というのがどこから出た話なのかを調べました。

ここでいう「先行研究」とは厚生省人口問題研究所の小林和正さんによる、縄文人骨235体を基に書かれた1979年の論文『人口人類学』だと思われます。小林さんは東京帝大で人類学を修めた方です。

小林さんの研究内容を紐解く前に、更に先行研究である山内清男さんの研究も見てみましょう。1936年に書かれた「石器時代人の寿命」という論文では、当時数少なかった縄文人の人骨を年齢ごとに分類し、その数を算定していました。

著者の山内清男さんは東京帝大・人類学研究室の講師で、人類学のみならず考古学でも画期的な研究を多数行った人で知られます。

この論文では壮年・熟年・老年という区分で、年齢で分けてはいません。当時は年齢を正確に推定する技術がそこまで発達していなかったのです。

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こちらがその論文にある人骨の年齢分布です。実際にはかなりのバラツキがあります。吉胡貝塚は縄文時代後期末~晩期、津雲貝塚は晩期の遺跡です。

上記の二遺跡では多数の人骨が出土したことで知られています。日本は酸性土壌のため、大半の人骨は残りません。貝からのカルシウム(=アルカリ成分)が土壌に浸透することで中和され、骨が良い状態で残ります。当然ながら貝塚から離れて埋められたものは残りが悪いか、文字通り「土に還る」んです。

さて、このグラフを見ると女性がやや長生きしてるのかな?という傾向が読み取れます。特に津雲貝塚の老年女性は36%となっており、古い研究でも老年者が比較的集団内にいたと認識されています。ここで覚えておいて欲しいのは、集団内のバラツキで数値が割と簡単に変わりやすい点です。

なお、ツイートでは年齢判定に腸骨耳状面を調べたことが書かれておりますが、古人骨では他に恥骨結合面や頭蓋縫合癒着などを調べるのが一般的で、殊更新しい調査方法ではありません。ただ腸骨耳状面・恥骨結合面については誤差がやや小さい(2~3年、頭蓋縫合癒着は数年)といわれています。


では小林さんの論文を見ていきましょう。小林論文では現代日本人の全身骨格を調べ、それを応用して縄文時代から江戸時代までの人骨の年齢推定を行いました。特に縄文時代と江戸時代はサンプルが多かったので、生命表を作成しています。これによると縄文人の15歳時の平均余命は男16.1年、女16.3年としています(江戸時代は30.0年)。

ツイートでは15歳まで生きる人が少なかったから、としていますが当時の生活水準から考えて乳幼児・小児の死亡率がかなり高かった可能性があるものの、これら子供の骨は保存状態が悪いため出土している割合はかなり低いのです。骨も小さく脆いため、大人のそれに比べて土に還りやすくなります。

15歳時としているのは骨が残りにくいからが正解で、その年齢まで生きる人が少なかった点もゼロではないのですが、特に生命表作成でデータとして活かせるほど事例が多くなかった、という側面の方が強いです。


繰り返しになりますが、乳幼児・小児の骨が残りにくく平均余命の計算や生命表の作成を難しくしています。小林さんも1979年当時既に指摘しているように女性の平均余命が31歳(15歳+16.3歳)だった場合、平均して8.4人産まなければ人口が増えない計算になるのです。2年弱で1人産む計算になります。世界中のどの民族でも、こんな高い出産率を示す事例はありません。

よって、この平均余命では人口の維持が難しいので、事例の増加を待って再吟味が必要だと書いておられます。後に続く研究でも、この所見が踏襲されます。先行研究で常識だったというにはほど遠い状況です。


実は人口問題で生命表を作成する場合、基数となる出生時の生存数は10万人なのです。ところが縄文人含め過去の人々の事例は少なく精度が悪いため、100だとか1000だとかを基数としています。更に言うと出生時の数ではありません。よって、補正を行っても前提条件に不安定な部分があるため、確度の高い数値が出にくいのです。

もう一つ言うと縄文時代は1万年以上続いていたため、古いものほど個体数が少ないほか、初期と終わり頃でも生活環境に相当な開きがあるため、出生率などの対比が難しいです。ほとんど旧石器時代の生活環境だった草創期と、稲作も行い始める晩期では、全く違うと言ってもいい。下記は国立科学博物館のものですが、色んな方向から調べていて面白いのでどうぞ。

この状況は人口人類学の発表から40年過ぎた今も変わっていません。まだまだ事例の蓄積を待っている状態で、上記の65歳以上の個体が多い集団もいたという内容は非常に興味深いものの、ある地域の突出したものだったのか、全体に広げて良いものかは評価が難しい。

さらなる研究資料の増加が待たれます。

以上です。

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