2021年挨拶 初心表明 「依存・絶対・誘導」的生き方からの脱却

ー「権威・現代科学・流行」とのつきあい方ー
ー安寧で幸福な「関係・作用・影響」を築くにはー
ー簡単消費から思慮丁寧へのシフトー

あけましておめでとうございます
ご縁のある皆々様方
旧年中は大変お世話になりました。
また、zafuの活動である
・身心堂講座へのご参加、動画等視聴でのご活用
・「zafuざふ」や「zafu瞑香」のご購入、ご活用
・諸文章をご髙覧いただくこと
など、どうもありがとうございました。

例年とは違う様相の年末年始、いかがお過ごしでしょうか。
昨年は世界中のほとんどの方が、身体・心に際する不調を強いられた一年ではなかったかと思います。ご多分に漏れず、私もバランスを保つのに苦悩した一年でした。

私は元来、物事を身心総体の本質から見据え問い受容し、ミッションを持って臨まなければ何も動けず調子を崩してしまいます。だからこそ

◎権威:
 思考「依存」を強いられやすいことで、
 ”関係”要素の固定化に向かう。

◎現代科学:
 エビデンスの多数を「絶対」とみなし、
 各自の問いによる創造を重視しないことで、
 ”作用”要素の固定化に向かう。

◎流行:
 広告媒体により踊らされ、
 自らを多数派の一端とすることで、
 安心感を得るよう「誘導」していき、
 ”影響”要素の固定化に向かう。

これら各要素から起こる物事をうのみにしてしまうと精神の自由さと安寧さが崩れるので、できるだけ思慮選択して接しようと心掛けています。

私の投稿にて、時折「権威、現代科学、流行」に対して批判的にとられがちな文章があるようです。しかし私としては決してそのつもりはありません。自分がそれらのものに対して思慮選択しようと心掛けているからこそ、多くの方に「依存・絶対・誘導」軸でない、別軸の「自分にとって」適切な選択があるのだと気づいてもらいたいと思い、軸の対比として表現している部分が批判的に見られているものもあるかもしれません。

現代社会は、知らず知らずのうちに「依存、絶対、誘導」に向かいがちです。皆がその進行に合うわけではありません。それらが蔓延する社会や同調的生き方に合わない方も多くいらっしゃると感じています。私自身がそうだと自覚しています。ですので同様に苦しんでいる方へ、自分が苦しんでいる理由の観点を知ることで、楽になる方がいればという想いで書いているのです。

「権威、現代科学、流行」に沿った「依存、絶対、誘導」的な生き方で本当に安らかで幸せだというならば、それで結構ですし、時流にあった大変素晴らしい生き方だと認識しています。しかし私はそれができないということが半世紀生きてきてやっとわかってきました。私の文章が、同じように「依存、絶対、誘導」の生き方が、その方にとっての本当の幸せではないと気づいた方への寄り添いと解放への示唆とエールとなればと思っております。

仏教の言葉を絡めていえば私は「[智慧的]存在となるべく生きていたい」ということ。

それは仏教の観点では[知恵的]と捉えられる、社会的適応力を常に有したバランスのある存在になっていくということではありません。

[智慧的]存在とは、生き方の本質を知識だけでなく自分という存在全部で感知し、深い安寧と幸福の境地となるべく洞察・実践し続ける存在です。社会適応とは別軸の、社会と折り合いを付けながらも、自らと寄り添い思慮し丁寧に生きていくことが心地よいと感じている存在です。

このような存在は、社会的にはもしかしたら不利益なことが多いかもしれません。例えば
〇社会から批判的に見られることもあるかもしれません。
 ⇒生き方が違うだけであって、決して批判したいと思っているのではありません。
〇「使えない人」として見られるかもしれません。
 ⇒社会適合からすると、不利かもしれませんが、だから排除していい存在ではありません。

確かに現代社会では「権威・現代社会・流行」に乗っていた方が、圧倒的に有利です。取り上げてもらえるし、人も集まってきます。場合によっては「稼げる」かもしれません。しかし、社会全体が「稼げる」ために”活躍”できる存在になっていく社会が、本当によい社会なのでしょうか。

仏教では全ての方が「知恵」でなく「智慧」の存在になることでしか平和は築かれないと捉えています。
◎「知恵」からの”成果”を基にしたものではなく、
◎「智慧」からの”誓願”を基にした
個人の築き方と社会への関与への気づきを持って物事を進めていくこと。それが安寧と幸福な存在として生きるということです。

◎智慧的存在となるための生き方の基礎が「思慮丁寧」です。
◎反対に知恵的生き方の基礎は「簡単消費」でしょうか。

《丁寧に生きることは、愚鈍になることではありません》
社会的動きとしては愚鈍に見えるかもしれませんが、自らの身心感覚総動員して気づき続けようという意志を持って生きているということ。その気づきは個人の安寧を生み、社会の平和の基となります。

現代社会は”簡単消費”を誘う文句があります。
例えば本来“生きる”すべてに関わる身体や心を扱う分野でさえ
・誘導として:一ヶ月で身につく
・権威として:◇◇時間コースを修了した
など、終了すれば身についたことになるもので溢れています。

昨年、zafu@身心堂にて、
「禅セラピーインストラクター[禅療法士]養成講座」を4ヶ月に渡って行い、18名に戒を授け、禅セラピストネームを授かった禅療法士が誕生しました。

私は受講者の皆さんに「これは学びの入り口ですので、研鑽し附に落としてから教授して下さい」とお伝えしています。また、サンガ会を作り、共に研鑽しあう仕組みも作りました。今講座、禅のトータルな学びに際し、講座内容が深すぎて生き方を問われる局面もあるので、すぐに咀嚼できないと一様に言われました。私はこれからも、弟子のように見守り続ける責任を持ち、受講修了者と相対していく所存です。

禅セラピー・bosatsuマインドフルネスの基礎概念は
「待つ・信じる・寄り添う・見守る」です。
これは、簡単消費でなく、思慮丁寧な生き方シフトを図り「依存・絶対・誘導」に進みにくい生き方シフトを図る概念だともいえます。

自ら沸き上がるものからでしか本質の安寧と幸福は訪れません。
○子どもはそれを知っています。
○高齢者はそれを知っています。
○病人はそれを知っています。
○死を覚悟した者はそれを知っています。

そして
・健常者と言われる者は、それを知っていますでしょうか。
・知っている者へ、本質の安寧と幸福が発揮されるようサポートする個人と社会を築けていますでしょうか。
・慈しみの感情と行動ができていますでしょうか。

「やりたいけれども社会の流れが...」であるならば、社会を変える一端として、自分の生き方を
◎「依存・絶対・誘導」軸から築かれる成果とは別に、
◎「待つ」ところから始めて、沸き上がるものを問い
社会と対峙していくことが大切ではないでしょうか。

・私の全てが世界の全て。
・さらに私の全て自体も変わり続け、
・世界との関係性も変わり続ける
それが仏教の基本です。

物事を
◎一時的絶対として簡単消費的に捕まえようとするのが「実利マインドフルネス」
◎変化自体を思慮丁寧として受容し続けるのが「bosatsuマインドフルネス」
です。

仏教における幸福への進行は、社会的成果を上げることとは別軸の、個人の仏法的安寧感への深さを、個々に見据えていくこと。そして安寧の広がりを社会に手向けていくこと。それは決して簡単消費として見えやすいものではないかもしれませんが、大切な「生きる」営みだと認識しています。

私はこれからも、この観点や、本質的安寧への具体的方法を、
〇講座講義にて伝えていくことで
〇禅セラピー、bosatsuマインドフルネスを広めていくことで
〇文章等にて啓蒙していくことで
〇共に伝える仲間を増やしていくことで
進めていきたい。

是非各地で行っている講座へご参加し仏法の安寧感をご体感下さい。そして基礎、養成講座をご受講いただき、深い境地を得、伝えるお仲間となって下さい。

長文お読みいただきどうもありがとうございました。
今年も引き続き、ご指導ご鞭撻、お見守り。
どうぞよろしくお願い致します。

2021.1.3
zafu代表 藤井隆英

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