人間の真理分野と「ポストコロナ」の関係

-未来に向けたコロナ禍における振り返り-
-「ポストコロナ」を標榜する人々と意味-
-望む生き方、流行りとは-

近年12月になると、11月までの講座講演がだいぶ落ち着き、来年に向けての打ち合わせが入ってきます。特にこの時期は、次年行う新しい試みの構想構築を詰めていくことが多く、ワクワクしながらも、挑戦の不安やプレッシャーと向き合い苦しんでいます。今年も例年に違わずそうではあるのですが、例年と違う様相があり苦心しています。

違う様相とはコロナ禍であるということ。今年は昨年予定していた計画の変更を多く迫られながら、社会に向け何をどのように伝えるかということが見直され、試行しつづけた一年でした。

コロナによって刻々と動向が変化する中、常に社会状況と折り合いながらどう進めていくかが問われ例年よりも考慮することが多く、大変骨が折れています。これはきっと来年も続くことであり、さらなる変革が求められ、どうコミットしていくかに悩むこととなるでしょう。それゆえ例年のこの時期に比べ、ワクワクよりも辛さの方が大きい感があります。

しかし、伝える内容が個人や社会にとって善き影響を与えるものだと認識しているからこそ、カスタマイズしながらでもできるだけ多く、そしてきちんと伝わるべく模索し続けています。

私はコロナにおける大きな変革をわざわざ「ポストコロナ」という言葉で表現することをあまり好ましいことだと思っておりません。確かに大きな変革ではありますが、変化は常に置き続け、それに応じて生活や活動の変革を迫られるのは自然の理だからです。決して「ポストコロナ」“だから”何かが変わってしまうことではないはずなのです。

「ポストコロナ」を標榜したい方とはどのような方かを考えてみました。
〇「ポストコロナ」での今後の社会予想をし、いち早く流行を作るべくイニシアティブをとり、上位から示唆することで利を得ようとしている者や会社。
〇各業界に於いて「ポストコロナ」としての作られた流行に乗り遅れないよう取り入れ、身につけたものとして振る舞い工夫し利を得たいと思っている方々。
などが考えられるのではないでしょうか。逆にそれ以外で「ポストコロナ」という言葉を使用し利用する意義がある方はいるのでしょうか。

この「ポストコロナ」における流行の観点は、決してダメなものだとは思っておりません。例えば、社会に生きる私たちの生活に役立ったり、流行自体に乗っかるような研究・商品開発・販売。そして社会動向を考えざるを得ない金融分野ならば必要重要な観点だと思います。

しかし、本来脈々と変わることのない人間の真理分野に於いてのことで、この「ポストコロナ」としての流行り観点を取り入れるとなると話は別だと考えられます。

人間の真理分野に関わる業種とは、身体・心・霊性に関わる分野です。これらの業種は各ウェルビーイングを高める方向に進むために提供されるものであり、決して害する方向に導く職業はないはずです(イニシアティブ側にはそのような意図がある者もいるかもしれませんが)。

現代社会に於いて真理分野に関わる業種といえば何でしょうか。
〇「身体」に関して言えば、特に健康に関わるもの。西洋・東洋医学、マッサージなど施術者、ヨガや体操指導者など。
〇「心」に関して言えば、特に精神疾患や社会における生き方に関わるもの。カウンセラー、コーチングなど。
〇「霊性」に関して言えば、特にこの世界における大切な存在としての人間に於ける人権や尊厳、敬虔に関わるもの。そして世界が平和になるよう導いていくもの。僧侶、ヒーラー、社会活動家、哲学者など。

本来これら真理分野に関しての知識や経験は、各人がこの世に生きるにおいて、自らの生への洞察による気づきによって結果的に回復や調和に向かわしむための触媒になるものです。決して依存に向かわしむものではありません。

前述した真理分野に関わる業種の中で、この事実を理解して行っている方はどの位いるのでしょうか。また、分かっていて、これは流行りですので本物ではありません。と最初に行っていただけるならまだしも、分かっていながらも自らの利潤のため「これが本物だ」と断言し、依存に向かわしむよう進めている方もいるのではないかと感じます。

今時節で、真理分野において依存に向かわしむのに有効な言葉であり要素が「ポストコロナ」と、それにまつわる流行ではないでしょうか。

もう一度。真理分野は本来流行りで進むものではありません。人間というものは、その存在自体によって成り立っているものです。流行りによって作り変えられるものではないのです。自らが触媒となるものを助けとして洞察し続けることでしか生き方としては変化しないのです。

最近でも、身体・心・霊性各分野に於いて様々な流行りがあります。身体の方法に於いてはヨガ?、心の方法においてはマインドフルネスやポリヴェーガル?、霊性の方法においてはティール組織?

それらは研究や社会経験という名で深められ、認知という形で広がり、それが真理解明の進化とみなされるように感じられることもありますが、それは違うと言わざるを得ません。本来の存在自体で成り立っている人間真理側からすると、どこまでも流行りを追い、イニシアティブをとるべく競い合っているようにしか見えないのです。

研究や洞察は誰のために何をするものか。
世界にとってどのような意味があるのか。
その上で私はこの世界で何をしたらよいのか。

そこから進めていくことに、
流行りは必要ないはずです。

それが誓願を持ち、真理・本質側から立脚し、
智慧として洞察し、
慈悲からの眼で進めていくという、
仏法としての方向性でもあるのです。

「ポストコロナ」でも、そうでなくても、
自身を含め、誰のために何をしていくかという生き方を洞察し続けること。
それからでしか個人の安寧と世界の平和を築いていくことはできないと信じています。

皆さんはどのような生き方を望んでいるのでしょうか。

2020.12.7
zafu代表 藤井隆英 拝

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