コロナ禍「成人の日」に際する一考

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成人をお迎えになられた皆様。そしてご家族の方々。おめでとうございます。

うちも数年前に成人を迎えた子どもがいます。成人になるということの奇跡。そして育てた親のご苦労を思うと讃えるほど素晴らしい営みをされていると思います。

昨年までは皆に祝福され、女性は振り袖を着、会場に向かいます。しかし今はコロナ禍。そして一都三県は緊急事態宣言のまっただ中。外出もはばかれる状態下での成人の日。朝より振り袖姿の女性がハレの日ながらも控えめに街を歩く姿を見て、何だか心苦しくなりました。

式典をやめている市町村もあり、讃えるどころか、「騒ぐだけだからヤメろ」というような声もあったようです。

成人の日の式典参加は不要不急の外出でしょうか。日帰り旅行のひとつ程度のものなのでしょうか。

成人の日は、祝日であるくらいの大切な行事。一生に一度の、将来を担う存在への自覚を確認するための大切な日です。

工夫をして成人式を開かれた自治体もありますが、密にならぬようただヤメろではなく、サポートしていこうよという機運がもっとあってもよかったのではないかと思います。

儀礼を経るということは、「わたし」という存在が継続しながらも、きちんと変化したことを自覚して生きる。そして周囲にも知らしめ縁を再構築するために必要な要素。「成人の日」は、人生において関係性を再構築しながら、善き繋がりを維持するための大切な場面のひとつ。

変わりゆくものを想い合え、存在を確かめ合うこと。繋がりを持ちながら互いにそこにいることを自覚して生きるということ。

一生に一度しかない節目の年齢。大人と子ども、学生と社会人の狭間の貴重な節目の時期である将来ある20歳を、全ての大人と子どもが一堂で祝うことをし、サポートすることができない社会ならば、その社会は衰退に向かわざるを得ないのではないか。

節目の儀礼を大切にするということは、自分への尊厳と、他者への敬虔の確認でもあります。そして儀礼に伴う作法は深い文化の体現です。

文化として継続している儀式は、エビデンス的な科学としては意味がないかもしれませんが、批判でなく依存でなく、自分が自分として安寧に生き、良縁となりつづける個人と社会となるためには大切で必要な営みなのではないでしょうか。

コロナ禍「成人の日」に際する一考でした。

藤井隆英 拝

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