神の至福と宇宙創造について
ここに書くことは私が瞑想によって直接体験したことです。
神の超認識の中に入って、直接神から聞いたことです。
原初の意識がありまして、全知の性質を持っております。
神の光明意識から持ち帰った生きた真実です。
・神の至福
私たち人間が最後に達成することになるのが神の至福です。
究極の喜び、究極の満足ともいえるものが神と一体化すると得られます。
私たちの喜びや知覚力が制限されていることを理解することで、この話は見えてきます。
通常の人は肉体の中に自分の意識をとどめて、五感を通して世界を認識しております。
味覚、聴覚、視覚、触覚、その他数えきれない肉体の知覚力があります。
しかし、それだけでは知れることが限られています。
そのため、完全な満足が永久にないのです。
知っても知っても、この宇宙の本質にたどり着くことがありません。
人間の肉体だけではなく、人間が作った機材を通しても限界があります。
人間の考えで生まれたものも、また完全ではないからですね。
知っても知っても、完全に知ることができない。
ゆえに、人は完全な満足を得ることができません。
五感には五感の喜びがありまして、見たり、聞いたり、食べたりすることで五感が刺激されて各種の喜びが生まれます。
例えば、音楽を聴いたり、美しい景色を見たり、美味しいものを食べたりすることです。
そうすることで、五感の喜びが生まれます。
また五感レベルで、人は知ることになるのです。
しかし、五感には制限がありまして、感じ取れる範囲が限られています。
そのため、喜びや満足というのも制限された状態にあるのです。
この制限をなくした状態にこそ、答えがあります。
究極の満足とは何か。
すべてを知ることであります。
究極の喜びとは何か。
すべての喜びを感じることであります。
神と一体化することで、肉体の五感に縛り付けられている意識を無限大に拡大することができます。
そのときに神の至福が訪れる。
人は至高の瞑想を通して(神エネルギーと繋がる瞑想を通して)
神と一体化することが可能です。
ここからさらに進めて、私が瞑想で体験したことをお話します。
神に目覚めた師たちが本当に存在しまして。
その師は、キリスト意識の権化とも呼ばれるものです。
イエス・キリストを筆頭として、実は十数名近く存在しております。
彼らは最初の意識とされるキリスト意識と一体となっています。
彼らは真実の意味で道です。
真実の瞑想をしていると出会うことになります。
彼らの手引きを受けて、彼らから出ている光の中に道を見つけます。
私はその光の道を通って、いくつかの門(ゲート)をくぐり抜けました。
神の最初の意識の中に入り込みました。
それは無限大の光でありまして、粉雪のような真っ白な光でした。
光そのものはきめ細やかで、何も見えないぐらいにまぶしかったです。
その光の奔流に飲み込まれると、地上では体験できない最高の喜びに充ち溢れました。
私の「形」がなくなりました。
それは霊体であり、人の形としてのイデアでもありました。
光の中に溶け込んで、無限大に意識が拡大していきました。
あまりの喜び、最高の満足。
あらゆる達成者たちが神の中で最後体験する。
それが神の至福であります。
・神と一体化する条件
私がありのまま神の中で悟ったことを語りましょう。
実は、神と一体化する条件は存在しておりません。
それはあらゆる魂が神の中から現れたものだからです。
神そのものだからです。
すべての人が神と一体化することは可能です。
ただ完全に神に意識を合わせることなのです。
神の権化の手引きを受けて、その光の道を通ることにあります。
それが究極、最短の道です。
私がお伝えしたいことは明白です。
誰もが神と一体化できるということです。
男性でも女性でも、お金持ちでも貧乏人でも、社会的に地位が高い人も低い人も、まったく関係がありません。
国籍も出身も言語も文化でさえも、まったく問題とはなりません。
どんな国に生まれようとも、どんな状況下にあろうとも。
ただ一つ、あなたの意識を光の道を通して神へと合わせればよいのです。
そのとき、すべての人が達成したように神との一体化を成し遂げます。
なぜ、多くの人に自己浄化が必要なのかをよく聞かれます。
それは明らかにしておきましょう。
ほとんどの人は地上に意識を合わせているのです。
あらゆる欲望と葛藤に悩まされています。
そういう人が神に意識を合わせなさいと言われても、難しいのです。
自己浄化が進めば、あなたの心は透明な鏡のようになります。
ありのままの真実を写すようになります。
すべての重荷を捨てたように自由になります。
魂は軽やかに飛翔できるようになるのです。
ゆえに自己浄化というものはあります。
チャクラの浄化はあります。
もし、あなたが地上の意識に囚われていないのならば、すべての条件を超えて、神に完全に集中できます。
完全に、です。
そのときに神との一体化を達成します。
あなたの意識を100パーセント、神に集中すること。
これが究極のカギであります。
・宇宙創造(音と光)
宇宙創造を神に明かされたので、私はそれを語ります。
私は神意識を通って、宇宙の原初の状態まで意識を上昇させました。
そこで見たことは地上の人間の理解を超えたものがありました。
ありのまま語りましょう。
どこまで時間をさかのぼっても、最初の地点からずっと「音」がなっていました。
そこは無限の空間と永遠の時間の中にある場所でした。
時間という概念が超越されていました。
最初から「宇宙音」が鳴っていたのです。
私は悟りました。
これ以上さかのぼることはできないことを。
最初の存在が、存在しなかったという状態がないということを。
このゼロ地点から宇宙創造についてみていきましょう。
音が鳴ったのです。
鳴った、という表現も正しくないほどに無限に鳴り続けていました。
それは振動音でした。
原初、神が振動したと同時に「光」が出ました。
音と光は同時に生まれました。
あらゆる振動音には光のエネルギーが伴っております。
ここからすべての創造活動が始まりました。
無限の空間で、音の振動と光のカーテンがハーモニーを奏でるようにして宇宙を創造していきました。
その原初の宇宙音は、あらゆるヨガで聖音とされている「OM」や「AUN」のようにも聞こえました。
正確には人間の喉では再現できない精妙な音をしていました。
最初に「A」に近い音がなされたことで、宇宙が生まれたのでした。
多くの言語の最初に「A」の発音が来る意味を私は悟りました。
それを真似ていたのだということです。
宇宙もそのように生まれたのでした。
最初の音が神の意志によって大天使たちに運用・変換されることで、あらゆる宇宙と神々と人間存在が生まれたことを知りました。
この世のあらゆる物質でさえ振動音があり、音と光で構成されている。
・神・ロゴス・聖霊
神はすべてのすべてであります。
原初の音と光であります。
それだけではなく、その音と光によって生まれたあらゆる存在であります。
宇宙のすべてに遍満している意識でもあります。
この宇宙のすべてでありながら、すべてを超越しているのが神の真実の姿です。
あらゆる神々と大天使と人間と悪魔の中にさえいて、それら一切を超越しているのが神であります。
全知にして全能、全力にして全愛。
そして、全生命であります。
ロゴスとは何か。
神の全知の性質にして、神の最初の意識のことです。
宇宙の最初に音と光は同時にありました。
その最初の究極の光の中に「意識」がありました。
この「意識」こそがロゴスです。
意識はすべてを知っております。
すべてを意識しております。
この最初の意識こそがキリスト意識とも呼ばれ、アベルとも呼ばれる究極の光明意識なのです。
この光明意識を分け与えられて、神々も人間も「意識」を持つことができます。
つまり、ロゴスとは究極の最初の意識です。
私たちはその意識から、一筋の光を頂いて魂を持ち、人間存在として表現しているのです。
聖霊とは最初の光の中にあった生命そのものです。
命の働きです。
それによって私たちの心臓はいつも脈動しています。
聖霊とはあらゆる人間と動物の中に生命を吹き込んでいる愛の働きです。
あらゆる大天使たちが創造するときに用いる生命力の起源であります。
私にはすべて光に見えました。
神の無限の光の中に意識(ロゴス)も生命(聖霊)もありました。
それらは同じ神の光でした。
光の中の働きの違いでしかなく、ロゴスも聖霊も神の光として完全に一致しています。
無限の光の中に生命の働きがあります。
無限の光の中に意識があります。
コインの裏と表のように切り分けることのできない同じ存在。
よって、神・ロゴス・聖霊は同一です。
これらはすべての始まりの意識であり、生命なのです。
私たちは最初の神意識を通って、究極の神へと帰っていく。
・大天使の役割と神々の生まれ
大天使たちは神の意志によって宇宙を創造しています。
彼らにも音があり、光があり、それぞれの役割があります。
しかし、その真髄は創造だけではありません。
破壊も担っているのです。
創造と破壊の両方を最高レベルで担っているのが大天使です。
彼らと人間の違いはシンプルです。
人間には自由意志があります。
人間はこの宇宙のプレイヤーです。
大天使はこの宇宙のクリエーターなのです。
よって、神の意志を明確に表わすのが大天使の役割です。
彼らの創造活動を私は見たことがあります。
隠されたチャクラを通って、偉大なマスターに見せてもらったことがります。
その霊的空間に私が入ると、そのマスターは述べました(彼は生命と復活を象徴する)
私「ここはどのような空間なのですか?」
マスター「ここには悟りがある」
マスターが指差した方角には扉がありました。
その扉を開くと、創造活動を表す階段が上と下に二つあったのです。
上を見ると、まばゆいばかりの白い光の空間が見えました。
下を見ると、大天使たちの創造活動が見えました。
大天使が泥人形をこねるようにして形を作り、そこに音を吹き込むと生命が生まれるのです。
その創造活動を常に大天使たちは行っていました。
彼らは神々(ガネーシャやクリシュナなどその他すべての神様)にさえも特徴的な音を吹き込み、創造していました。
大天使は常にその創造活動を欠かすことなく行っていました。
神々は我々と同じ兄弟姉妹であり、形ある存在です。
形を超えた究極の神こそが、あらゆるものを超えた完全性そのもの。
しかし、より核心に迫ると我々の表現は形がありますが、我々の本質は完全性にあります。
さらに階段の下の方を遠くまで見つめると、宇宙空間のようなものが見えました。
物質宇宙であると見た瞬間に悟りました。
ここまで明確に創造活動の原理を見ることができるとは思いませんでした。
この原理を知ることこそが、一つの真理を悟ることであったのです。
大天使が神の意志によって宇宙を創造している。
・宇宙の無限性(宇宙転生)
神が無限の存在である以上は、宇宙も無限であります。
最初の音は鳴り止むことを知りませんでした。
そこは永遠の時間と無限の空間でありました。
一切の抵抗を受けることなき純粋な空間でありました。
音がいくら鳴っても空間の摩擦を受けることがないから、減衰することなく無限に鳴り続けています。
原初の空間は無限であります。
しかし、この物質宇宙はどうなのでしょうか。
ここには摩擦もあり、減衰もあります。
そのため、物質自体は常に変換されていくものなのです。
無限の空間から、この有限にしか見えない物質空間が創造されているということは論理的には整合性を取ることができない真実です。
究極のパラドックスではありますが、神は無限性と有限性を同時併存させたのでしょうか。
私がありのまま神に見せられたビジョンを明かしましょう。
この宇宙が転生していくさまです。
宇宙の潜在意識があります。
それは虚空(アーカーシャ)であり、何もない空間に見えました。
そこには完全な静寂がありました。
それを見つめていると、あらゆる存在(動物、人間、物質宇宙でさえ)が一気に現れて、一回転するとまた虚空に帰っていったのです。
まるでメリーゴーランドのようでした。
さらに見つめていると、また虚空から全生命が生まれて一回転すると虚空に帰っていったのです。
私はそれで悟ったのです。
宇宙でさえも転生している。
それを無限に繰り返しているということを。
この物質宇宙も無限でした。
幾十億年という時間をかけて、物質宇宙は輪廻し続けているのです。
・聖音(マントラ)の意味
真理の観点から聖音(マントラ)の意味を考えてみましょう。
なぜ、ヨガでは聖音を唱えるのか。
ここまでじっくりとお読みいただいた方はご理解できると思います。
宇宙の創造音を唱えることで、創造の聖なるエネルギーを引き出していたのです。
神様の音を唱えることで、神様の聖なるエネルギーを引き出していたのです。
このように聖音を唱えれば唱えるほどに聖なるエネルギーが流れてきて、自己浄化が進んでいきます。
やがて、宇宙創造の原理にまで到達することができます。
真理を悟るための最速の手段として、聖音が存在します。