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現実とドラマどちらが架空か?そこから未来は紡げたか。

一回だけ感動した紅白があった。
クドカンが担当した年。

その年の朝ドラで大人気だった「あまちゃん」のキャラクターがキャラクターとして出演した。

司会にはこれまた大河ドラマ「八重の桜」で主役を務めた綾瀬はるかが抜擢され、正にNHKドラマが進行を務める配役だった。

現実と架空が入り混じる不思議で軽快な演出だった。

ただ一箇所、
たった一箇所だけ、
出演者が台本に従っていない場面があった。

東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」
司会者の綾瀬はるかが話すシーン

感極まって、言葉が出ない。
周囲から励ましが響く中、
彼女なりの言葉でなんとか進行した。

ネットにはその拙い司会者ぶりを批判する言葉も見受けられた。
ある意味当然かもしれない。
単純に歌を聴きたい人には邪魔シーンだったかもしれない。

でも、私にはあの瞬間救われたものがあった。

震災と同時に原発の問題を抱えた福島。
大河ドラマ「八重の桜」の主役を務めるにあたり、綾瀬はるかは福島の人達に会いに行く番組もやっていた。

役作りとして、
福島の人達が、過去をどう受け継ぎ、震災で何を思い、今どんな暮らしをしているか。
丁寧に現地の人と話し、時を共にする良い番組だった。

私の妻が福島出身だった為、大河ドラマはこの年正座して見ていた上、この番組も併せて見ていた。

あれを見ていた私には、
綾瀬はるかさんがあの場面で言葉に詰まる理由は
容易に想像がついた。

福島について言及する度、
出会った多くの人達を思い浮かべ、
様々な想いが去来している。

あのシーンだけ、
台本ではなく、配役でもなく、
1人の女性が言葉を紡いでいた。

そう思ったら、
クドカンのこの演出が
見事過ぎて身震いした。

ドラマのキャラクターだけが台本に従っていると思ったが、
そもそも出演者全員が台本やら配役があり、
全員それに従っているだけだ。
とふと気づいてしまった。

もちろん、各出演者が自分で考えて話すシーンもあるけど、
それとて計算された内の話で大幅な逸脱は許されない。

福島の原発問題は、そうして生まれた。

各自が会社から与えられた役割を演じて、
本当の世界とは向き合わずに、
不備のある計画の通りに物事を進めた結果だった。

途中で計画の不味さがわかったら
止めるべきものが沢山ある。

あの日を振り返る
歌が、
番組が、
それで良いはずがない。

もちろん、
番組は番組で成立しなければいけないし、
歌を楽しみにしている人達や
クオリティの高い番組を求めている人にも
応えなければいけない。

当然、秒単位の進行が求められる。

あの場面は
それを成立させつつ、
台本や配役に縛られない一人の人間としての本音
を言わせた大事な場面だった。

途中、彼女が天然ボケしていたのも良かった。
それがあったからあの場面が目立たない。

番組の中にも関わらず、
福島を本音で語ってくれた彼女と、
それを成立させた裏方の巧さが今も頭から離れない。

私達は本音を隠し過ぎた。
それで出来ることもあるけど、
出来ない事もしっかり見させられた。

かと言って、
いつ何時でも本音を言うのは無理。
駄々っ子になってしまう。

その両立が今求められている。
そんな事をいつまでも思わせてくれる良い場面だった。

いだてん終了と、再度の司会登板を機に、

今更ながらの御礼を。

綾瀬はるかさん、クドカンさん、本当にありがとう。

私はあのシーンをきっと忘れない。

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