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朱子学がおもしろい

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そういえば朱子学って知らないな
ふとそんなことを思った。


なんとなく朱熹という人物が作った思想で性善説であり、科挙に使われていたという歴史は知っていたが、その内実は不勉強にして知らずに生きてきた。

中医学を標榜する一人としては一応読んどくべきかと思い、Amazonで『朱子学入門』なる本をポチッと買ったのだがこれがなんとも面白い。鍼灸の領域からしか「気」というものを見ていなかった自分としては目からウロコな話が山のようにあった。備忘録として感想を書いていくが、興味が湧いた人はぜひ書籍を買って読んでほしい。


そもそも「気」がわからない

東洋医学が好きな人は気が大好きだ。一介の鍼灸師としては、仕事の中で気に関する用語が普通にでてくるし、気という言葉抜きで人体を理解するのは難しい。


しかしいざ気ってなんですか?と言われると本当によくわからない。最近でも某有名人が「氣付き」なるものを体感し、SNS上を騒がせたのは記憶に新しい。なんとなく旧字体の「氣」を使う人達はヤバい人だという共通認識ができたような気さえする。


しかし気という言葉は、中国の伝統文化に触れれば避けて通れないキーワードの一つで、正直東洋医学の怪しさはこの気という言葉のつかみどころのなさから来ていると言っても過言ではない。今回の朱子学はこのつかみ所のなさにすこし輪郭を与えてくれた。

「無」に対しての「気」

ところで朱子学は、儒教と仏教の覇権争いの中で生まれたとされている。朱子学の誕生前夜、仏教の高度に抽象化された思考法と坐禅になどを通した心の精養で当時の支配階級の心をつかんでいたようだ。それに対抗すべく、気を再解釈して仏教における「空」や「無」の対比としての気が登場する

儒教は、仏教の「無」や「空」を批判して、徹底した「有」の世界観を提示する。この成果は仏教がいうような虚無でも幻でもなく、たしかな質感を持った「有」の世界であり、そのたしかな質感とは「気」の質感にほかならないのである。

『朱子学入門』より抜粋

今でいう地球の自転や暦などのさまざまな物理法則から僕らの心の機微にいたるまで、世界中にはなにかが「有る」のであり、これを「気」と呼んでいたというわけだ。「気は何でできているのか?」という問いに誰も答えられないのは、気が「何かが有る」以上のことを語れない言葉だからという。なるほど目からウロコだ。

どうやら気だけじゃなくて理もあるらしい

気を分割する理

気はあまりにも漠然とした概念であるため、人はこれを直感できない。そのため、人は自分が経験したことを通して気を理解しようとする。


「分かるとは分けること」
とはよく言ったもので、大くて漠然とした「気」から、それぞれの出来事に沿った理屈を人は学び取る。朱熹はそれを「理」と呼んだ。朱子学が別名「理学」と呼ばれるのはここから来ている。


「理」はあらゆるところにあり、それぞれ個別の「理」がある。あらゆる物事には正しさや妥当性があり、それゆえにあらゆる物事は説明可能だと朱熹は言う。

天下の物事について言えば、かならずそれぞれ「しかる所以の故」と「まさに然るべきところの則」がある。これがいわゆる理である。

『朱子語類』より

東洋医学の理論でも明らかにどうとでも解釈できそうだが、実際に施術として使える考え方は数通りということがある。朱熹は単なる哲学者ではなく実践者として「やってみなはれ」の精神をもっていたのかもしれない。この「理」をきわめるべく研鑽することを窮理という。

気と理を一致させる

朱熹のすごいところは、窮理の実践として人が頭だけで考えて暴走するのを戒めているところだ。

人はよく道理というものを宙に浮いたような空虚なものと考える。『大学』が「窮理」と言わず、「格物」とだけ言うのは、人に事物に即して考えるよう求めたからで、そうであってこそ「実体」がわかるのだ。ここにいう「実体」とは、事物に即してでなければ理解することはできない。たとえば、船を造って水の上で動かし、車を造って陸の上で動かすようなもので、たとえ多くの人がカを合わせて押したとしても、船を陸の上で動かすことはできない。その事実にぶち当たったとき、人は初めて、船は陸の上では動かすことができないということがわかるのだ。これが「実体」だ。

『朱子語類』巻十五より

船のたとえが秀逸だが、事物に即して考えなければならない。朱熹は単に窮理と言わず格物窮理と言うのはそのためだ。

ちなみに頭でっかちな人に対して朱熹はなかなか辛辣で、ただ高尚そうに語るだけでの人たちを名声や見栄を求めるだけで、他人だけでなく自らも欺くと言っている。どこかの言論空間で炎上だけしてろくに行動もしないネット民たちが聞いたら発狂しそうである。

集中してやる・形から入る

朱熹はさらに具体的にどう格物窮理を実践するのかに進む。朱熹はこれに対して、居敬という方法を提示している。

ちなみに朱熹は当時いろいろと実践されていたようで、静座(ほぼ座禅)や当時の流行りをいろいろと試していたらしい。ブッダもいろんな苦行の末、坐禅に行き着いたというから、いろいろ悩んで試して答えを探すというのはが正しい賢者ムーブなのかもしれない。

居敬は、要は集中して取り組むということ。つまり居敬して格物窮理するというのは現代風に言い直すと、しっかり集中して物事に即して考えたり実践したりするということになる。

しかしまぁこれだけだと抽象的で分かりずらい。朱熹は居敬の実践において、徹底的に真似る(形から入る)ことを推奨した。顔の表情から姿勢、立ち居振る舞い、服装まであらゆる形から入ることで、先人たちの集中して物事に取り組む姿勢へ到達しようとしたわけである。

格物窮理と居敬

この格物窮理という理論と居敬という態度が朱子学の二大テーゼである。徹底的に形にこだわる居敬と理屈と実践の窮理。
二つは両輪でどちらも大事で、どちらが欠けても成り立たない。しかし後世はそうもいかなかったらしい。

言葉が二つあると皮肉な物で、窮理こそ朱子学の本懐!と言うやつもいれば、いやいや居敬こそ朱子学の本質!と言う輩も現れる。窮理だけが先行すれば、頭でっかちな大人が仕上がり、居敬だけが先行すれば、科挙のような形式主義に陥る。


朱熹は窮理と居敬によって、形と実体をを統合しようとしたのだった。しかしそれを分断させたのもまた朱熹だった。歴史というのは恐ろしい。

デカルトと朱熹

ここからは読書メモとして、自分の思うことをつらつら書いていく。

朱熹はこの格物窮理を誰にでもできることとして提案していたらしい。そうえば倫理の教科書に似たような事を言う人がいた。


デカルト

この西洋哲学の巨人ことデカルトだ。
良識はこの世でもっとも公平に配分されているものである

というのはデカルトの有名な言葉だ。朱熹もデカルトも、人には本来備わっている才能があるがそれを発揮できないでいるという主張なのだ。


儒学だとこれを性善説というが、生まれながらに持っているが曇った状態の才能を発揮するためには、自ら曇りを払うように研鑽しなければならないという展開が見えてくる。この行き着く先は成功=自分の努力という構図であろう。

ちなみに成功は自分努力のおかげとかいうマッチョな思想は現代ではサンデル教授の著書『実力も運のうち』の中でボコボコに叩かれている。こちらも名作なのでぜひ読んでほしい。


とはいえ1300年生まれの朱熹を、いまの価値観で殴りかかるのも酷な話なので許してあげてほしい。しかし、朱子学が個人から社会へという思想なら、構造主義のような社会から見た個人という思想は中国哲学にあるのだろうか?気になるところである。

朱子学の立場としては、自己の研鑽が家族さらにひいては国家に繋がる。家族を大事に出来ない奴に国の運営なんて出来るかという発想らしい。個人的には性格が終わっていても仕事ができる大人というのは一定数いるのでほんとかなぁ?と疑問である。

心の問題に形から入る

朱子学には心の精養としての側面もあったようだ。朱熹が居敬によって形から入ることを推したのには、心の営みがともすると主観的で、つかみどころがなく、他人からは見えないからであった。とらえることができるところからという考えあってのことらしい。まさに隗より始めよというスタンスだ。『朱子学入門』を読むと心がうつろいやすく、捉えどころのないものであるがゆえに朱熹が心をとても慎重に扱っていたことがよく分かる。


そういえば、ちまたでは東洋医学は心を整えると暗に言われているが、東洋医学の古典を紐解いても意外に心を調整するような施術というのはほとんどないに等しい。もしあったとしても、それは身体所見の一つとしてであり、心をはっきりと扱ってはいない。心身一如と東洋医学でよく語られるが、朱熹同様かなり慎重に心を扱おうとしていたのかもしれない。

その他の話

『朱子学入門』はこのほかにも、日本における朱子学の変遷や、朱子学から出た陽明学についても言及がある。ここでは書ききれないほど盛りだくさんな内容なので、ぜひみなさん一度読んで感想を教えていただきたい。

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