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母校の小学校校歌の作者

母校の小学校校歌を作曲したのは乗松昭博、作詞は田澤武男という人だが、どういう人なのか、特に著作権が保護期間内かどうかを知りたくなり、手元に資料がないので、インターネット情報を調べてみた。信頼できる情報は、先ずは本人が書いたもの、次に同時代の記事、そして公的機関が発した情報、最後に研究者の情報である。

乗松昭博は、JASRACのデータベースによると、戦前から軍歌、市歌、校歌を作曲してきた作曲家のようだが、経歴の記載がなかった。ウエブサイト「懐かしの流行歌 昭和前期懐メロ 夏目魯人」によると、生没年1902-1975年とある。すでに死後50年まであと2年かと思っていたら、2018年12月30日にTPP11協定(環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定) が発効して、その時点で著作権保護期間内にあるものは70年に延びていた。公立小学校校歌といえどもインターネット上での制限があるのか。ネット上で校歌が聞けない。涙。

作詞の田澤武男は、Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス) によると1899年生とある。国立国会図書館と全国の図書館が連携して作成している「レファレンス協同データベース」によると、その生没年は、1899年- 1982年である。俳人石田波郷の『江東歳時記』を読むと、小岩に住んでいた北原白秋の紫煙舎跡(現在は市川市国府台に移築)を田澤武男(匏生)の案内で訪れる記事がある。そこには田澤武男は、江戸川区民生委員で古い俳人とある。

今のところ分かったことはこれだけだが、最大の関心事だった著作権は、残念なことに残っていた。著作権の保護期間は、作者の死後30年から50年に、更に70年にと延長傾向にある。せめて公立学校の校歌ぐらいは自由にと思いたいのだが。


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