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電車の座席と優先席

60歳になった時に、同年齢の同僚と乗った電車の優先席が空いていたので、後ろめたい気持ちで座った。その時、同僚が「俺達もう座る権利あるんだよな」と確かめるように言った。その時、漠然と彼の言を認める気持ちと、とうとうそういう年になったのかという複雑な思いを抱いた。

電車の座席の問題は、限られた資産をどうやって分けるかという問題だと思う。その資産をもらう権利が誰にあるかのひとつの解決策が優先席である。

電車の電車の優先席は、かつてはシルバーシートと言われたように高齢者を想定していたと思える。いつの間にか、優先席を必要とする人の席ということになった。車内の優先席の説明を見ると、ロゴマークの下に「お年寄りの方、体の不自由な方、内部障がいのある方、乳幼児をお連れの方、妊娠している方」とある。優先席を必要とする人に範囲が広がったのは、良いことだと思える。

まずは、お年寄りの方である。誰でも年相応に体力は衰え、膝や腰の関節に支障が出てくる。これはありがたい。

私事だが、初めて席を譲られたときは、うれしいより、そう見られるようになった衝撃の方が大きかった。韓国やシンガポールの電車では、若者から席を譲られた。長老への敬いの精神の表れだと思った

しかし、高齢者だからといって、すべての人が座りたいわけではない。「どうぞ」と譲ろうとしたら、「今ダイエットしてるから大丈夫です」と断られる様子を目にしたりした。

リュックサックを背負った行楽に行くシニアグループが、高齢者だからと優先席に座って、おしゃべりしている光景は、余りしっくりしない。仕事をしていない高齢者より仕事帰りの勤労者の方が疲れているだろうと思えることもある。早朝に出勤するサラリーマンが、行楽に行くシニアグループのおしゃべりのけたたましさに「静かにして下さい。私たちは朝早くから起きて眠いのだから」と注意した話がある。

次に、杖を持っている体の不自由な方は分かりやすいが、内部障がいのある方は分からない。若くても、心臓などに支障がある人もいる。自分から、私は内部障がいがあるのでとは言いづらい。静かに席が空くのを待っているしかない。

そこへ行くと、乳幼児を抱いている人は、分かりやすい。乳幼児を抱いまま、立ち続けるのは大変だ。席子ども好きの人の目に止まりやすいようだ。乳幼児に席を譲る光景は微笑ましい。

だからと言って、空いた席を探して真っ先に元気な子どもを座らせるのは美しくはない。子どもはこれから何年も生きて、座る機会が多いが、年寄りには時間がない、子どもは座らせない、座る権利は子どもより老人にあるという考えを聞いたことがある。

なお、父親が抱いている場合と母親が抱いている場合に違いはあるだろうか。ないと思いたいが、男女の問題になると意見は分かれそうだ。

優先席の光景がしっくりする場合とそうでない場合がある。さらに本当に優先席を必要とする人を見極めるのは中々難しい。見かけの判断はよく間違える。若者や中年の内部障がいは本当に分からない。

見かけの基準は、社会的な尺度ということなのだろうが、実際に座席を本当に必要とするかどうかは個人差がある。政策は、紋切り型にならざるを得ないが、細かく見ていくと必ず齟齬が生じるようなものだ。

働く世代には座る基準はない。疲れて帰る勤労者が帰りの電車で立ち続けるのは、大変だろう。皆疲れているといえばそうだ。座れば居眠りをする。

先日、仕事帰りなのだろうか、疲れた顔で立っている婦人がいた。少し顔色が悪い。前の席が空いたのでどうぞと言ったら、礼を言いつつ、座ってくれた。やはり、立っている辛さは本人にしか分からない。


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