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騎馬戦から取り残された思い出

小学校の運動会では、6年生が行う騎馬戦が合戦絵巻のようで見ものだった。5年生は来年の運動会では騎馬戦ができると楽しみにしていた。その頃は、騎手を落すルールは危ないというので、騎手のかぶる紅白帽子が取られたら負けというルールに変わっていた。

騎馬は、先頭と左右2名で馬を作り、その上に騎乗者が乗るというのは言うまでもない。マスゲームであり全員参加できるので、子ども間の格差がないものだった。そういう点では足の速い子が選ばれるリレーとは異なる。選ばれるから選手というのかと今なるほどと思った。

運動会のリハーサルの日、騎馬のメンバーが決められた。クラスごと背丈の低い順に並んでいるので、前の方から4人ずつ一組となり、体格の良い子は先頭に、身が軽そうな子は騎手に、他の2人は左右の役目を担うのが普通だった。

私は背丈が高い方で後ろから2番目だった。4人ずつ騎馬が決まり、最後は、私を含む5人だった。体格のよい子が先頭になり、騎手が決まり、左右があっという間に決まった。その決まり方のすさまじいこと。そして、私は残された。まるで私がそこに存在しないかのように。

運動会の日は、ひとりポツンと立っている私に担任は、騎手のお尻を支えなさいと言ったが、実際やってみれば、それは全く意味のないことだと分かり、ひとり騎馬合戦を見物していた。

この少年の思い出は、ずっと心の奥にしまわれていた。人間は限られたパイを奪いあう。時に早い者勝ちといわれ、あるいは巧妙な仕組みでパイは取られていく。例えば、朝の通勤時間帯では、始発電車のドアが開くと同時に座席に走り込むという光景が見られる。

かつて、竹ノ塚団地に住んでいる友人A君の所に泊まり、翌朝一緒に出勤したことがあった。私たちは、竹ノ塚駅のホームで列の先頭に立っていた。東京方面行の始発電車が入ってきて、ドアが開いて、空席ばかりの車両に入り、座れるなと思っていたら、ドドッと後から人が押し寄せてきて、あっという間に席が埋まっていた。空席はひとつもない。

「あれ!一番前にいたのに」と感嘆の声をあげたら、A君が「一番前にいたからって、座ろうとしなかったらすわれないよ」とつぶらな瞳でうれしそうに笑っていた。A君も座ろうとしなかったのは同じだ。私も笑った。競争社会から取り残された2人がつり革につかまっていた。


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