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ラジオしかなかった頃

幼少の頃は、電気製品と言っても電球の他はラジオしかなかった。夕方には「ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団」の主題歌が流行った「少年探偵団」等の子ども番組や黒柳徹子が出演したホームドラマ「一丁目一番地」等が放送されていた。「一丁目一番地」の主題歌は、「ちょっと失礼おたずねしたい。ここらは何丁目何番地?」という歌詞が印象的な軽快な曲だった。

風邪をひいて学校を休んだときにサザエさんのラジオドラマを聴いた記憶がある。サザエさんのお父さんの名前が波平でなく、磯野アワビといっていた記憶があったが、職場のアニメに詳しい同僚に聞いたが、イイネと関心を示したが、真偽は分からなかった。今でも磯野アワビは何者かにこだわっている。

ラジオ以外に電気製品はなかった。洗濯機はないので、母がたらいと洗濯板を使い洗っていた。いっとき家に氷冷蔵庫というのがあった。大きな四角い氷を入れて冷やすのだが、氷は、自動車で売りにくるのを買っていた。氷を維持するのはどこの家庭でも大変だっただろう。すぐに廃れて、やがて冷蔵庫に変わった。

蓄音器があった。ハンドルを回しゼンマイを巻いてからSPレコードに針を乗せてから回すのだが、1曲聴き終わり2枚目のレコードを聴こうとすると、回転力がなくなり、音がふにゃふにゃとなるので、またハンドルを回すという流暢なものだった。床の間に置かれたまま、ほとんど使われず状態だったが、電気レコードプレイヤーが出始めた頃に、廃品回収業者に持っていってもらった。

東京オリンピック(といっても1964年の)の頃までには、三種の神器と言われたテレビ、洗濯機、冷蔵庫は揃っていた。今では、随分と電気製品が家の中に溢れている。停電時には使えたはずの黒電話が、コンセントにつながれた電話機に代わり、災害には役立たなくなった。アナログ回線からデジタル回線に変わったから、黒電話があっても役に立たない。昔のラジオしかない生活もそれしか知らないから不便とは感じなかった。今では、電気のある便利さと共に、停電時のより大きな不便を背負っている。

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