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喜望峰の旅とアフリカ最南端

喜望峰に行ったのだから、アフリカ最南端に行ったと言いたいが、実はそうではない。喜望峰より東方にアガラス岬という最南端の岬がある。アフリカ最南端を周り、インドに行くというのは大航海時代のヨーロッパ人の悲願だったが、私も、せっかく船でアフリカに行くのだから、アフリカ最南端を周ってみたかった。

喜望峰は、バーソロミュー・デュアスが嵐にあい偶然に発見して、嵐の岬としてポルトガル国王に報告したが、国王ジョアン二世は、インドに至る希望の岬という意味を込めて、Cape of Good Hope(希望の岬)と名づけたということはよく知られている。

私がアフリカ最南端のアゴラス岬を周れなかったのは、こういうわけである。私の乗った船がダーバンに寄港した時、上陸して、ビクトリアの滝を観光し、帰路はケープタウンに行ったために、アフリカ最南端を船で周ることができなかった。だから喜望峰には行ったが最南端には言っていないと言わざるを得ない理由であるが、個人的なこだわりに過ぎないと言われればその通りである。

喜望峰は、ケープ半島の先にあるが、最先端は灯台のあるケープポイントであり、喜望峰はそれよりも西にあり、ケープ半島の最南端ではあるが、最先端ではない。観光バスでケープ半島を下っていたら、船底を上に向けてひっくり返えった姿の難波船が見られた。「嵐の海」や「さまよえるオランダ人」-喜望峰の海域をさまようオランダ人の幽霊船-の言葉が浮かんできた。

バスを降りて海岸を歩き、喜望峰の先端に着いた。Cape of Good Hopeの看板前で観光客が記念撮影をしていた。現地ガイドさんが、海岸に落ちている昆布を拾って、尺八のように器用に吹いていた。拾ってみたら管状の昆布だった。真似をして吹いてみたが、まったく音がでなかった。このような人のさり気ない仕草によって思い出は作られていく。

アフリカ最南端と言っても喜望峰、ケープポイント、アガラス岬とキャストが何人かいるわけだが、大航海時代の歴史では、アガラス岬を周ってインドに行ったと言われずに、喜望峰を発見してインドに行ったと言われていることに、歴史が作られていく妙技を感じている。

ケープポイント頂上から見た喜望峰
ケープポイント入口
ケープポイント頂上への鉄道
ケープポイントと灯台
ケープポイントから見たケープ半島。
左に喜望峰が望まれる。
「喜望峰 アフリカ大陸最南西端」の看板
喜望峰

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