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法蓮寺を訪ねて

北葛西の宇喜田という地名は、16世紀末に宇田川喜兵衛定氏が荒地を開き、宇喜新田と名づけたことに由来する。喜兵衛は、晩年隠居し法蓮と称した。喜兵衛が亡くなった後に寺となり、法蓮寺と呼ばれた。そういうことを知ってから、ここを時おり訪れるようになった。

ある日、法蓮寺の境内に入り、法蓮法師像のある墓地を歩き、さらに奥の方に行くと墓石の上に色鮮やかなバイク用ヘルメットが置いてあるのに気づいた。墓石には、富士山と桜の花が描かれていて、ヘルメットはその上に置かれていた。墓誌を見ると享年二十歳。逝去した年月から息子とほぼ同年齢だと分かった。バイク好きの青年が富士山の見える場所で事故により亡くなったのだろうか。かつて息子もバイクを乗りまわして、雨の日に転倒し、軽い打撲を負ったことを思い出して、他人事には思われなかった。

息子の結婚式の次の日に、北葛西を歩きながら、ふとあの青年のことが思われて、法蓮寺を訪ねた。墓にはヘルメットが以前と同じように大切に置かれ、供されたばかりの鮮やかな花に秋の日差しが和かに注いでいた。いつの間にか静かに墓に向い手を合わせていた。

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