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水天宮とのご縁 東京から久留米に

1 水天宮に安産祈願

東京三田の東京専売病院で、妻は長男次男を出産した。そこは赤羽橋の南側にあり、その頃は大江戸線赤羽橋駅がなかったので、日比谷線神谷町駅から歩いた。今は国際医療福祉大学三田病院に変わっているが、この辺り一帯に有馬藩上屋敷があった。錦絵にも描かれている藩邸内の火の見櫓と水天宮が江戸っ子に人気があった。約9mの高さを誇る火の見櫓は、有馬藩が大名火消しの任務を負っていたことによる。水天宮は毎月5の日に江戸庶民に開放されて、賽銭は藩の貴重な収入源になっていた。有馬藩の大名行列が犬を引いていたことが評判になり、この曳き犬と水天宮が結びついて、安産のご利益があるとされるようになった。水天宮は、明治維新後の明治5年に日本橋蠣殻町に移転した。

江戸から東京に変わっても、水天宮の人気は高かった。明治43年11月5日は、60年に一度の戌年戌月戌日と縁日が重なる大戌の日で、たくさんの参拝者で賑わった。その日の水天宮の写真を見ると地面に直に建っている。昭和40年代に嵩上げされて、今は二階に本殿がある。「以前は水天宮は下にあったね」とその頃の水天宮を知っている職場の先輩が言っていた。現在、第17代当主有馬頼央さんが宮司を務めている。

この水天宮に安産祈願で何度か訪れた。子どもの安産祈願に参拝し、岩田帯をもらった。無事に産まれたので御礼参拝にも行った。孫の安産祈願でも行った。最後に行ったのは2020年の孫のお宮参りだった。コロナ禍で皆マスクをして参拝していた。

日本橋人形町の水天宮

2 久留米水天宮に参拝

水天宮の祭神は、壇の浦で入水した安徳天皇である。歴史をたどると壇の浦合戦での平家滅亡に遡る。壇の浦で、安徳天皇、二位の尼(平時子)、建礼門院徳子は入水したが、建礼門院は助けられて大原寂光院に隠棲した。平時子と建礼門院徳子に仕えていた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は、各地をさまよい、筑後川の辺にやって来て、小さな祠を造り、天之御中主神、安徳天皇、二位の尼、建礼門院を祀った。祠は水天宮と呼ばれ、尼御前大明神として次第に庶民の信仰を集めていった。第二代藩主の有馬忠頼により筑後川を望む地が寄進され、社殿が建てられたのが、久留米水天宮である。

文政元年(1818)、第九代藩主有馬頼徳が、三田の江戸上屋敷内に久留米水天宮より分祀した。月一度、屋敷門が開かれて、江戸庶民は競って水天宮を参拝した。これが日本橋人形町の水天宮の起源である。

一度、久留米水天宮に行きたくて、数年前に夫婦で参拝に訪れた。

久留米水天宮に参拝する前日に柳川を観光した。そこにも沖端水天宮という水天宮があった。思いがけない出会いであった。明治2年に稲荷神社に久留米水天宮から分霊されたとある。

柳川の沖端水天宮

西鉄久留米駅からタクシーで水天宮に行った。西鉄久留米駅とJR久留米駅が離れていて、その間の地域が賑わっている。久留米水天宮は全国水天宮の総本宮、元祖だから当然といえる。筑後川を見下ろす高台にあり、樹木に囲まれている。祭神は天之御中主神、安徳天皇、二位の尼、建礼門院の四柱。東京からはるばるやって来たとの思いを込めて夫婦で参拝した。お宮参りの家族に出会った。乳児を抱いた若夫婦、それぞれの両親の7人の家族写真を請われて撮ってあげた。境内に尊王攘夷家の真木和泉守保臣命を祭る真木神社があった。神官は代々真木さんといい、真木家の住まいが近くにあった。JR久留米駅への道を男の子に尋ねたら、自転車を引きながら、駅まで案内してくれた。

全国総本宮の久留米水天宮
水天宮から筑後川を望む

3 下関赤間神宮に参拝

ここまで安徳天皇に縁があると下関の赤間神宮に参拝してみたい。そこで、帰路は下関に寄った。

平家滅亡後の建久2年に朝廷が安徳天皇を弔うために勅願寺を建立した。江戸時代は阿弥陀寺と呼ばれ、耳なし芳一の舞台になっている。

正面の龍宮城を思わせる水天門の造りに平家物語の「海の中にも都はあります」と言って、二位の尼が安徳天皇を抱いて入水したことを思う。平家物語では「この国は粟散辺土と申して、物憂き境にて侍ふ。あの波の下にこそ、極楽浄土とて、目出度き都の侍ふ」とある。安徳天皇は、「小さう美しき御手を合わせ、先づ東に向はせ給て、伊勢大神宮正八幡宮に御暇申させ御座し、其後西に向はせ給て、御念仏あり」、かく神と仏に祈り、二位尼に抱かれて、「波の底にも都はありますよ」と慰められて、千尋の海底に沈んだ。明治維新の神仏分離のとき、安徳天皇を弔う阿弥陀寺から安徳天皇を祭神とする赤間神宮に変わった。阿弥陀寺町の名が残っている。

子どもたちが水天宮のあった有馬藩邸跡地で産まれたのも、水天宮の縁かと思う。東京の日本橋人形町の水天宮参拝から始まり、柳川沖端水天宮→久留米水天宮(全国総本宮)→下関赤間神宮(阿弥陀寺)の旅は、半生の思い出につながる心の旅でもあった。

赤間神宮 水天門


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