見出し画像

学ぶということ―『日々是好日』

お茶を習い始めた典子と美智子は、形をたいせする茶道に戸惑い、その意味を聞き出そうとする。武田先生は、「意味なんてわからなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」と静かに諭すように語る。

樹木希林の主演した『日々是好日』の一場面である。見終わって、樹木希林の語る、この言葉がいつまでも心に残った。

子どもの頃に「『学ぶ』ということは、『真似る』ことなの」と小学校の担任の先生から教わった。人がやることを同じように真似る。その後から意味が次第に分かってくる。それには時間がかかるものだ。忙しい現代人はまず理屈から入ろうとする。「読書百遍意自ずから通ず」のように、じっくり時間をかける余裕がない。そして分かった気になる。しかし言葉では分かったようでも本当の意味は分からないでいることが多い。

忙しいだけではない。自分のような不器用な人間は、人の真似をすることが不得手で、例えばスキーも滑る人の恰好を見て学ぶなどができずに、理屈でエッジを立てて雪の斜面を如何に制御するかを考えて学ぼうとする。結局、それの方が早いことは早い。力学で処理することができることは、それでよいのだが、精進が必要な芸事になると理屈には限界がある。

茶道のような『心』がある芸能の道は、理屈では学べないだろう。理屈では最初は分かった気になっても到底、真髄には到達できないようだ。落語家も、師匠から見て学べと言われて、芸を磨き、芸風を身につけていく。

以前に、つれあいが、海外旅行に行くと相手の話す英語の発音やイントネーションを真似て話すと相手も話してくれると言っていた。それは『形』を作り『心』を入れて行くやり方だったのか、なるほどなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?