小川原格さんのことども

(2019/12/22のFacebook投稿記事を一部修正し再掲)

小樽・静屋通のそば店「籔半」主人の小川原格(おがわら・ただし)さんが12月15日、逝去されました。71歳。膵臓がんで闘病されていたそうです。


今から20年ほど前の1990年代末、北海道新聞の記者だった時に小川原さんやご友人たちと親しくさせていただきました。私は30代後半、小川原さんたちは50代に入った頃でした。

拓銀、山一証券が相次いで破綻し、マイカル小樽(現ウイングベイ小樽)が開業した頃。小川原さんたちは、今はオープンスペースとして公園化されている旧国鉄手宮線跡地に路面電車を走らせるべく奔走し、さらに第1回小樽雪あかりの路の準備を進めていた頃でした。

小川原さんの功績や思い出はSNS上でもさまざまに紹介されています。以下は90年代末の小樽で、小川原さんらに接する幸運を得た元新聞記者による、ごく私的な感想です。

小川原さんは、まちづくりが実は「政治」そのものであることをよくご存じでした。理念に埋没することなく、政治的に立ち回り、まちづくりの果実を最大化することを考えるリアリストでした。

だから行政や政党の理不尽に怒りながらも、そうした「権力」と市民運動との接点を少しずつでも広げていこうと考え、行動できる人でした。まちづくりや市民運動は継続であることもよくご存じでした。

小川原さんは、まちづくりが「経済」であることも熟知していました。小樽運河保存運動は街並み保存の先駆として知られるけど、港湾都市小樽に「観光」という新しい「経済」を創出したことがすごかった。

1970年代の悪臭漂う小樽運河から、どう考えたら観光という要素が出てきたのだろう。イベントの効用や「お金もうけ」の大切さもよく知っていた人でした。

生粋の左翼にして義理と人情の人。そして寂しがり屋で、本質的には楽天家だった小川原さんへ。

私も3年前に会社勤めをやめ、今年(2019年)からは東川で雑貨店を開業しました。小樽のそば屋の親父には及ばずとも、年賀状に「私も個人事業主。小川原さんに、ほんの少し近づきました」などと書いて送ろうと思っていたのに。寂しくてなりません。


訃報に接して以来、昔交わしたメールなど読み返しながら、小川原さんのことばかり考えていました。東川町から、心よりご冥福をお祈りいたします。

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