M
花を手向ける、純粋で純潔なわたし、私の心の中に大事にしまい込んだわたしに純白の花束を手向けよう
痛い思い、感じすぎてしまうね、わたしがわたしを嫌いにならないよう純白の花束を手向けよう
わたしの代わりに私が汚れてわたしを守る、純白の花束を手向けよう
そうすれば心の中のわたしは純粋で純潔なまま、いつまでも居られる、純白の花束を手向けよう
花を手向ける、わたしが私で居続ける為に、私がわたしである為に、、、

Inspired by M from 永遠が通り過ぎていく A Toda Makoto Film

(暴論3/3)「永遠」はガンスリンガーガールである
正確に言うと「第2期」にあたるGUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-が「永遠」にあたり、「第1期」にあたるマッドハウス製作、フジテレビ放映のGUNSLINGER GIRLは大森靖子氏による「M」に相当すると考える。
原作の相田裕氏は、少女たちをかわいそうに描いた「第1期」に不満で、「第2期」には自身の本来の世界観を反映させたという、ここでは製作費その他要因による両者の評価とは無関係に「かわいそう」のみに焦点を絞る。
「M」と「Rude」しか知らず大森靖子氏を語れるほどの知識は無いのでそこには言及しない。
「M」を聴いて「かわいそう」と思ったのは自分だけでは無いと思うが、同時に「かわいそう」だけでは表現できないなんだかモヤモヤした感覚を感じていた際に読んだ峰なゆかさんの記事が腑に落ちた。

週刊SPA!6月14日号、6月21・28日号『AV女優ちゃん』(峰なゆか)誤掲載のお詫び
https://nikkan-spa.jp/1836326

以前より居心地が悪く違和感のある感覚を知っていたが、それを「かわいそうは侮辱」だと言語化し教えてくれたのはスカイクロラの草薙水素だった。
SPAの記事を読んで、エヴァの時にも書いた「ケリをつける」目的のひとつが「私はかわいそうじゃない」と伝える事だと確信した。
大森氏には感謝しているが、同時に不快な思いもした戸田氏だが、大森氏は、その映画製作のバネとなった戸田氏の感情まで計算して楽曲「M」を録っていたとしたら?
戸田氏はまだ大森氏の手のひらの上なのかもしれない。

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