見出し画像

質の高いエンターテイメントを享受し続けることについて。

めっちゃ難しい。
何を持って質が高いというかは、人それぞれなのでとやかく言おうとは思っていませんが、YouTubeや色々なサブスクなどが、自分のベッドの上で楽しめる中で、もちろんその中にも質の高いエンタエメはたくさんあるけど、やっぱり自分で時間をかけてその場に行き、それなりのお金を払って楽しむ娯楽は良いなと感じたこの頃。最近、連勤続きで、久しぶりに来た5月14日と15日の2連休が嬉しすぎて、弾丸旅行と予定を詰めまくったので、その時みたもの・感じたことの備忘録です。


◎ ポーラ美術館 『 モダン・タイムス・イン・パリ 』 

仕事が19時に終わって、20時から職場の近くでレンタカーを予約していたので、職場から直で箱根へ。
14日の天気は雨、明日は晴れ予想で、これはポーラの遊歩道が雨上がりでめっちゃ綺麗だぞやばいぞ!って思ってたら、ドライブする道のりが気持ちよすぎて、もうすでに満足。箱根に近づくともう雨は止んでいて霧がすごくて、本当に所々にある電灯の光の筋がくっきり見えるのよ。舞台みたい。
ヘッドライト付けないと前見えないけど、この電灯のライトの綺麗さをずっと感じてたいから、ヘッドライト入切しまくってて、この時間に対向車なんて全然来ないから下手なゆっくり運転でも迷惑かけないし、もう最高。

ホテル(メルヴェール箱根強羅)も良くて、リゾートホテルだったけど、深夜2時の誰もいないラウンジを独り占めして、薬膳茶のみながら、あああぁ〜って人生疲れたサラリーマンごっこやるの楽しかった。また外がすぐ木が生えて緑がすごいから、朝カーテン開けたときの、光が入ってきて部屋の中がちょっと緑になる感じもいいのよ(伝われ!!!)ランニング用の靴も持って行ってて良かった。最近、朝のランニングにハマっている。

お目当のポーラ美術館は遊歩道歩きたいっていう目的もあるけど、「モダン・タイムス・イン・パリ」がもうすぐ終わると気づいて行かなきゃって思ってたところで。
人間とAIを並べて「人間の価値が〜」なんてよく言われるけど、確かに、産業革命があって、あの時代から人間と機械の共存の仕方や、それに伴う人間の本質や価値はずっと考えられてきたもので。AI時代の始まりだ〜、人間がAIに取って代わる〜を、怖いという感覚が何か間違っている気がした。その怖いと思ってしまう感覚や、歴史・教養が備わっていない自分の方がよっぽど怖いしやばい。

ポーラの遊歩道が本当に最高なんだけど、それでもって「自然が好き〜」っていうのは嫌だ。ポーラの遊歩道が好きなだけで、木が好きなわけでもないし、森が好きなわけでもないし、自然が好きなわけでもないと思っている。いや、好きなんだけど。
木から溢れる光は大好きです。ポーラの遊歩道の木は、ちゃんと全ての木がそれぞれそこに立ち並んでいる理由がある感じがするところが好き。
聞こえるフルートの音色と、自然と反する人工的なスピーカー。林の中に併設されるその他の芸術作品もそうだけど、ちゃんと管理して、整備して、人工的なところが垣間見えるところが良かったりする。
あとベンチの位置がベストすぎるんだよね。「あぁ〜、やっぱベンチ置くならここだよね!」ってなる。遊歩道の入り口から入って、1つ目のベンチに到るまでの道が一番好き。

こんな感じで遊歩道に圧倒的な時間をかけすぎてしまったので、リヒターの所蔵作品とか早歩きだったし、シーフードカレーもほぼ飲み込んで食べたけど、やっぱり、ポーラ美術館は圧倒的に大好きすぎる。また行く。月一くらいで行きたい。川村記念美術館も月一で行きたいから、ポーラ美術館の遊歩道を川村記念美術館に持っていくか、川村記念美術館のロスコルームをポーラ美術館に持っていくかしてほしいけど、やっぱロスコルームは、あの川村記念美術館の森の感じの中で見ないと意味ない気もするし、絵画に周りの環境も含めて意味付けされてしまうことはよくないかもだけど、やっぱり好きな美術館が郊外にあるのは良いなって思っている。

◎ ジャック&ベティ 『 悪は存在しない 』

そんな感じで、郊外に好きな映画館もあれば良いな〜と思って行ってみた。濱口竜介「悪は存在しない」をめちゃくちゃ楽しみにしていて、こんなに楽しみなんだから、見ることにもう一つ思い出のっけたい!って公開前から思ったから、ここで見ようと決めていた。わたしの地元の豊劇に「全国のミニシアター特集!」みたいな本が置いてあったときに、この映画館が紹介されていて。ただ、ポーラでのんびりしすぎたせいで、14:20上映の回、ギリギリだった。近くのコインパーキングもいっぱいで、隣のもうすぐ出ようとしてるおじさんの車に擦りかけて、嫌な顔で睨まれてたから「駐車下手ですみません〜」って叫んだら、車から降りてくれて、「はい!切って!右に切って!もっと切って!まっすぐ!」って一緒に駐車手伝ってくれた。道を走っている分には何も怖いことがないくらい運転に慣れたけど、ずっと駐車が絶望的に下手で。ずっとそのおじさんの目つきは変わらなくて、怖かったけど、でも、ありがとうございました。

そんなこんなで、映画館に到着が14:15っていう本当にギリギリだったけど、間に合ってよかった。そして客層もめっちゃ地元のおじさん・おばさんが多くて、めっちゃ良い!って思った。その方々にとっては日常だけど、わたしにとっては非日常で、特別で。あの映画泥棒とかの映画館のルールも、劇場固有のやつで、本当に最高。椅子の座りごごちもいい。始まる前に、支配人さんが「まもなく〜、悪は存在しない、上演開始します〜」って直接声でのアナウンス。高まるぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして始まる。
が、非常灯がぼんやりついたままだった。そっか。完全に暗くはならないのか。普段、2席くらい左右にあいた人の顔はもう映画が始まったら見えないけど、ずっとぼんやり見えている感じが、良くも悪くも、新鮮だった。

上演後、こんな紙が置いてあるのに気づいた。

著作権とか疎くてそのまま載せていいのか分からなかったから線をいっぱいひきました。

今どき、手書きでのこのフリーペーパー…..、最高すぎる………………….。お母さんも仕事でよくこういう文字書いてたな〜…。今もやってるのかな…。手書きの字が好きすぎる。意味もなくラブレターとか書きたくなる衝動にかられることってあるあるだよね?。
遠くまで来て良かった。素敵な映画館だった。

で。映画本編についてね。
正直、難しかった。「これはもともと音楽のための映像として作っていて、そこからサイレント映画っていう構想があって〜」みたいな部分をちゃんと意識していかないと最初に乗り遅れてしまう感じがあって、1分くらい目を閉じてしまったことは謝罪。(明日、K2でもう1回見にいく予定。)
濱口さんを好きになったきっかけは「ドライブマイカー」で、でも「寝ても覚めても」は見ていたし、あと「不気味なものの肌に触れる」を見ていたから、まじで良かったと思った。「ドライブマイカー」と「ハッピーアワー」しか見ていない自分だったらこの作品は受け入れられていないかも。
この作品テイストがすこい好きかと言われたら、好みじゃないはずなんだけど、でも圧倒的に好きで、なんでこんなにも好きなのかは、もう少し頑張って噛み砕いて、言語化しないといけないなと思う。

最後の解釈も、今のところ自分なりにあるから、明日もう一回見たときに確かめたい。

あ〜〜〜〜〜〜、長野行きたい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、
うどん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、食べたい〜〜〜〜〜。

◎ こまばアゴラ劇場 『 阿房列車 』

わたしと青年団やこの劇場については、他の記事で話した気がするから、色々書かないけど、結局さよなら公演は全部見に行けた!
やっぱり、最後本当にウルってきて、本当に卒業のエモさ搾取しちゃってるんじゃないの自分?とも思って反省。
わたしは平田さんの閉館の挨拶文がめちゃくちゃ好きで、やっぱり時代やその業界のトップランナーってずっと新しいし、その新しさがかっこよくて、ずっと付いて行かせてください!って感じになった。
演劇人って基本的に一昔前の感じの人しかいないけど、平田さんは演劇人っぽくなくて、ずっと新しい。新しいというか、わたしのアップデートが追いついていないから、新しく見えてしまっているだけなんだろうけど。
これまた、すごい当たり前のことをいうから恥ずかしいんだけど、終わるということはつまり始まるということで、ワクワクする。

あとそうだ。
この前、田舎の地元に帰った時に「あ〜、やっぱいい街だな〜、戻ろうかな〜、でもここでは濱口竜介の新作は見れないからな〜」なんてほざいてたら、悪は存在しないも、めちゃくちゃ地元で上演してた。やばい。
地元でも濱口竜介の新作が見れて、平田オリザの新作も見れるのであれば、まじで東京にいる意味がなくなってしまう。
あとは東京03が来てくれれば完璧…って思うけど、まぁ大阪出れば見れるし、男性ブランコが、これからもたまに来てくれるのであれば、充分だなって思ったりもする。まじで、仕事いつ辞めようか。

◎ 東京03 『 腹割って、腹立った 』

こまばアゴラ劇場からの恵比寿エコー劇場というなんとも言えないスケジュールだけど、割と客層被ってるんじゃないかな?って思う。
やっぱり、会話劇は面白い。

もうね〜〜〜〜〜、でもね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、オークラさん……。
オークラさんが好きすぎる………………………..。

◎ 以下ネタバレ含むので注意です ◎












主題歌が好きすぎた。これは毎年言っている気がする。
なんだか、東京03の単独なのに、ネタよりも、全体の構成やらの方が好きなのは、やばいことだと思っていて、いや、ネタがいいのはもちろんなんだけど、構成やらなんやらがそれを上回ってしまう感じ。でも、今回はネタが全部好みだった。
その上で話すけど、やっぱ主題歌が最高すぎるんです。主題歌かエンディングにオークラさんの思想が毎回溢れすぎていて、本当に大好き。それで、やっぱ、オークラさんはちゃんとこっち側の人間だって思うから好き。腹割って本音を話すことが良しとされる空間ってめっちゃあって、わたしは同調する方が大事だと思ってしまうことも多くて、面白くない人間だと思われているだろうし、もっと腹割ってコミュニケーションとろうよ!とも言われるから。うるせーな!こんな感じでしか生きていけないんだよ!って毎回思うけど、オークラさんも同じようなことに悩んだことあるのかな〜って思ったから好き。

あと1本目のど頭の飯塚さんの説教内容に、わたしの先輩が重なってシンプルに自分に言われているような気がして泣きそうになった。もうこんな令和の時代で、こんなにも職場で怒られている27歳、少数だよなって思うけど、期待されてるのも理解はしてて、自分の世界入っちゃうときある。あれを角田さんに感情移入して「あるある」として楽しめている20代って、どれだけいただろうか…?多分わたしだけな気もする。

あと、4本目ね。
漫才師じゃなくて、コントの人は、素のキャラクターを好きになったら、コントを楽しめない気がして怖くて。まぁ大体の芸人さんが自分の延長上にネタのキャラクターがあるように作っているだろうけど、豊本さんの粗相のせいで東京03をもう応援できないかもしれないって思っていたところでもあるから(詳しくはラジオで。有料のアプリコンテンツだから内容は伏せる)このタイプのネタは嬉しい。飯塚さんのネタはいつも嘘がなくて好きだ。すごく信用できる。

わたしがお笑いにハマったのが、社会人になってからで遅くて、単独に長く通っているけども「ヤな塩梅」からで。が、今年、通い続けていることの意義というか、面白みというかをようやく感じることができた気がして。コントを見て毎年感じることが違って、それが日々を無駄に生きていない感じを実感できて。

やっぱり生活していたら、イラつくこともあって、自分の不甲斐なさに落ち込むこともあって。
「自分と他者」「自分と社会」「社会と世界」みたいなことを常に考えていないと生活できなくて、その思考を補助して、さらに苦しい世界に希望や存在肯定してくれるのが、今挙げたようなエンターテイメントだなって感じています。

やっぱり、お金を払って見る質の高いエンタメは大切。
YouTubeに人生のヒントなんて、簡単には落ちてないから。

ちょっとハイボールが回ってきたので、終わりです。

これからも、色々アンテナ張って、いいものを見て、いい生活をしよう。いい人生を生きたいと思う。

いえぇ〜い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?