長沙のこと。

WDRACアドベントカレンダー2022によせて書いたものです。
https://adventar.org/calendars/7686

長沙、という内陸の町を訪れることにしたのは、昔から三国志が好きで、英雄たちが剣を交え、知を競ったこの地が、どんな場所か行ってみたかったからだった。

ただ、この旅の中でそれまでに訪れた、上海、広州といった都会とは違い、高いビルはあまりなく、化粧をしている女性もまばらな田舎町だった。
バックパック旅行の私は、町に着いたら、まず宿を決めなければならない。
でも、この町の情報は少なく、ちょっと勝手が分からず、戸惑っていた。
そんな不安が伝わったのだろうか、駅から少し歩いて、周りをきょろきょろしていた私に声をかけてくれる人たちがいた。

彼らとは、広州から長沙に来る電車の中で、少し話をした。そうだ、確か、長沙が故郷だ、と言っていた。私と同い年くらいの青年と、高校生くらいの妹。

「宿を探そうと思っているんだけど、手持ちもあまり多くないし、どう探したものか、迷っているんだ」
そう言うと、彼らは「思い当たるところがある」と、ある宿を紹介してくれ、そこまで連れて行ってくれた。そして、宿の人と交渉してくれたが、残念ながら予算が合わなかった。

「本当にありがとう。あとは自分で探してみるよ」
「何を言っているの。一緒にさがそう」

そう言って、彼らは、町を歩いて、いろいろな宿に飛び込んでは値段を聞き、交渉をしてくれた。探すこと、1時間。
「ここは良いと思うよ!」
こうして私はその日、宿を見つけることができた。
初めての町で不安な中、とても安心できたこと、彼らのことをとてもありがたく思ったことを今でもはっきりと覚えている。

20年以上前のこの長沙での出来事を思い出したのは、今年の2月。
ウクライナ侵攻の件がニュースで流れた時だった。
「とても辛く悲しい思いをする人、将来がどうなるか分からなくて不安に沈む人がたくさん出るんだろうな」と思った。

「そんな時に、あの時の彼らのように手を差し伸べることができたら」
「もし、私が戦災に巻き込まれた人の立場で、そうしてもらえたら、どれほどうれしいと思え、どれほど心強く思えるだろうか」

これが、WDRAC(戦災復興支援センター)という、いま戦地で苦しむ人をサポートしようという活動に参加することになったきっかけだった。

あの時の彼らに聞いたとしても、きっと、
「そんな大したことはしていないよ」
と言うだろう。
私も大したことをしようとは思わないし、できるとも思わない。
でも、そんなちょっとしたことを、心強く思ってくれる人がいてくれるかもしれない、と思うと、ほんのもうちょっとだけ何かしてみたい、と思うのだ。

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