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東日本大震災から11年 現地を訪れる①

震災の津波で襲われた建物など震災遺構として後世に伝える為に保管している建物が各地域に存在している。


3月9日から15日までの間、宮城、福島を回らせて頂き、3月11日には石巻で黙祷。



その間、福島県浪江町の請戸小学校に初めて訪れた。

小学生、教員、約100名が校長の指示により、避難して全ての方々が命を守ることができた。

小学校は海岸線から300mのところにあり、日頃から教員での避難計画が立てられていたようだ。

地震が発生し教室などの机の下で収まるのを待ち、校庭での人員確認。
児童全ての無事を確認すると2km離れた小高い大平山に向かった。
主任を先頭に6年生から順次に

子供を迎えに来る親御さんに伝言するため教頭は学校に1人残った。
そして、迎えに来た親御さんに大平山に避難し、そこでお子さんと合流するよう伝える。
親御さんの来校がなくなると教頭も車で大平山へ

一方子供たちを連れた集団は大平山へ
当初、3mの津波予報が出ていたが、6mに変更され、
その場所では危ないと考えた集団は山を超えて国道を目指した。
野球部の児童が練習で山を走っていたこともあり、誘導して木が倒れている山中を歩いた。

6号線まで出ると、あとは役場までの道。
そこでも余震も続き、地割れも起こっており、どうしたものかと考えている矢先、そこを偶然通りかかったトラックの荷台に乗せてもらうことになり、全員無事に避難することができた。

しかし、その反面、遠浅の海が広がり、昔からこの地域には津波は来ないと言われており、それを頑なに信じて、避難せず命を落とされた方もいた。

それからは幾度の原発爆発により、役場諸共避難所を北へ北へと移動させられている。
その際は国からも県からも連絡はなく、町独自の判断で移動を行なっている。

その後は立入禁止となり、その請戸小学校が本格的に片付けに入ったのは、5年後の2016年になる。
その時の3月に私たちも浪江駅を訪れており、5年経ってもゴーストタウン化している街並みを見て言葉が出なかったのを覚えている。

それから部分的に禁止解除は進んでいるが、以前よりも人は見かけるようになったが、まだまだ時間がかかるのだろう。
住宅街だった場所も災害危険区域に指定され、公園になるようだが、まだまだ嵩上げなどこれから10年は有にかかるだろう。


そして、住民の多くが戻ってきていない背景には、戻りたい気持ちは重々あるが、原発での心配は大きい事が目に見えない物だけに安易に予想される。

地元には戻れないが地元を愛する気持ち

私たちは地元に住める幸せ
それは当たり前ではなく、そのあたり前はいつなくなるかわからない事


そして強い決意で行動した教職員のように日頃からの備えや訓練の重要性を再認識させられた。
皆さんにとっての大平山はどこですか?

犠牲になられました方々のご冥福をお祈りいたします。

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