3月11日 東北を巡って

3月11日で東日本大震災から12年が経ち13回忌を迎えた。

震災翌年夏、何かの運命により石巻を訪れ町が一つ消えた一面瓦礫の山を目の当たりにし、震災復興支援、復旧支援の現在の活動の礎となった。
その活動の原点石巻には3月11日毎年訪れ黙とうをさせて頂いている。

今回は福島県相馬市、双葉郡、宮城県石巻市、気仙沼に訪れることになった。

町にもよるがハード面においては復興が終わったかのような街並みにも感じてしまう。

しかしボランティアさん、現地の方々との集いの場所では、家族をすべて失った方の話を聞いた。
淋しさは癒えず、仕事終わりにその場所に来られたと、
生かされた方々は悲しみを全て背負いその悲しみは一生背負い生きているのかと思うと、私にできる事はちっぽけな事だろうとも感じる。

それでも来てくれてありがとうと言われ、わずかであるが無力ではないとも感じられるが、この想いは伝わらない方に伝わらないのは事実。

しかし12年経った今復興事業の失敗により困っている地域もある。

ある地域では復興事業の中心になる商業施設を行政に計画があり区画整理に協力し土地を移動して事業を再開させたが、市の商業施設事業は頓挫した!

また昨年ようやく嵩上げが終わったその地域は、昨年とさほど変わっておらず空き地が目立った。
話を聞くと安堵する暇もなく、その嵩上げされた地域に建ったアパートは地盤沈下した。
その地域の嵩上げは国、県、市と担当が区画わりされて行われた。
区画によっては基礎もなく土を盛り上げただけの区画もあり、地盤沈下も想定内の結果だと

それを取材されたが、表に出ることはなく報道規制をかけられている。
それを伝えているのは地元で活動する方々だけだろうし、先が見えない状況が続いており、様々な問題が残り続けていくのだろう。

これから復興し街づくりを行う人吉においても、被災地域でエスコートされて話を聞くのもいいが、それは表の話であり、失敗談を聞くことはないと推測されるため、ぜひ過去の被災地の地元住民の声も参考にしていただきたい。

そしてこれからも災害復興を市や行政のみに任せていると、とんでもないことが起きる可能性は否定できない。

13回忌の節目にここを訪れ、改めてここに来る意味を考えさせられた。
今後は東北応援を背負うことなく、一つのコミュニティとして遠くから応援したい。
そして明日を生きたかった方々の想いを胸に刻み、自分の人生を悔いなく生きていきたい。

#みらい見守り隊
#笑顔食堂

よろしくければサポートお願い致します!災害支援、社会貢献の活動費に充てさせていただきます。