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第二話 許されざる者 後編



Ludgardis Nyalam Deng
彼女の慈悲と献身を礎に

ミスカトリック大学病院は水見市の田園風景が一望できる山頂にあります。交通手段は大学側が用意したシャトルバスだけ。病院までの道のりは結構急で、それでいて車一台がようやく通れるほどの幅です。
登り口にはゴシック調の大きな門と警備棟があって、一般車両も人も動物も、目に見えるモノ全ての侵入を拒んでいるかのようです。
病院の入り口に向かう坂道に街灯はなくて、生い茂った木々が影となって昼間でも薄暗く、むしろ星空が道を照らす夜のほうが明るいのではと思うほど、そうですね、少し違うかも知れないんですけれど、昼間ではなく夜間に営業している病院のような、ほんの少しだけ不気味さを感じる、そんな場所なのでした。

病院の入り口に着くとすぐに目につくのは、小さな、それでいて不思議な存在感を醸し出している石碑です。
そこにはこの大学病院の設立者らしい女性の肖像画と、その功績が彫り込まれていました。

Ludgardis Nyalam Deng、ルディガルディス・ニャラム・デン。
人々から聖母と呼ばれた女性。
彼女の出生については多くの謎があるそうです。
恐らくスーダン共和国、今でいう南スーダン共和国に存在する少数民族出身ではないかと言われています。
彼女が初めて人々の前に姿を現したのは、とある難民キャンプ。
偶然そこに居合わせた戦争カメラマンが撮った1枚の写真が、世界中で注目されたのだとか。
そこにはシスターの前に多くの難民が跪いている様子が写っていました。
一体彼女が何をしたのかは、もはや都市伝説のような噂話しか伝わっていません。
ある都市伝説を専門に取り扱っているYouTubeチャンネルでは、彼女は多くの難民の前で、パンと水を何もない空間から取り出したと言っていました。
またある有名な超常現象研究家はこう言っています。

「私がこの世の不思議な現象に対して、猜疑心ではなく好奇心を優先させてきた理由は、シスター・ニャラムのような人物がいたからです。奇跡は確かに存在します。そしてそれは、失ってからではもう遅いのです」

その後彼女は世界中を行脚したそうです。
噂では彼女の行動を、カトリック教会は黙認はしていましたがあまり好意的には思ってなかったそうです。それは彼女が黒人であったからという差別的な思惑もあったそうですが、一般的に言われているのは彼女があまりに奇跡を見せてしまうからであると言われています。
奇跡は神と師父イエス・キリストの専売特許であると、そのような意思が働いたのでしょうね。
そのような事もあり、彼女は最後までたったひとり、世界中の貧民街を訪れては人々を救い続けたと言います。

彼女を金銭的にサポートしていたのは、日本の旧華族櫛引家の当主櫛引耕作であったとされています。
彼はシスター・ニャラムの晩年、彼女を水見市にある実家に迎えいれ、多くの学びを得たそうです。
彼女の最期の言葉は「弱き者が弱き者を救う世界が終わらなければ、強き者富める者の世界を神はきっとお許しにはならないだろう」だったと言われています。
その後櫛引家は全財産を大学病院設立に費やしたそうです。

「さあ。着いたね」
私はおじさんに連れられて、友人の千夏が入院しているミスカトリック大学病院にやってきました。
あの日起きた地下鉄での無差別殺人事件について。
私はおじさんのおかげで難を逃れましたが、友人の千夏は被害にあってしまいました。
何故あの日、千夏は職場へは行かずあの電車に乗っていたのか。
あの日見た不思議な生物は一体なんなのか。

千夏は助かるのか。

それら全てが今から解決する。
そのような根拠のない期待と、常識の範囲内で襲い来る不安とが私の中にありました。

「行こう。僕の友達がね、千夏ちゃんの主治医なんだよ」

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