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今日努力出来てる時点で、目標は半分達成できてるようなものなのかも!

たとえば

「漫画家になりたい」

という夢があったとして。

「毎日漫画を描いている」

としたら。

それってもう

「漫画家になれる可能性の高い人」

には、なれてますよね?


「100%漫画家になれる人」

なんていなくて、

どれだけ絵がうまくて、
どれだけ話をつくるのが上手で、
どれだけ毎日漫画を描いていたって、

今日交通事故に遭って漫画家になる前に死んじゃったら、漫画家になれない。

あるいは、売った漫画を買ってくれる人がいなきゃ、漫画家になれない。


どれだけ絵が下手で、
どれだけ話をつくるのが下手で、
ぜんぜん漫画を描いたことがなくても、

ある日ふとツイッターに投稿した作品がバズって、
大勢が読んで面白がって、
お金を出して買ってくれたとしたら、

それはもう

「漫画家になれた」

と言えるかもしれない。


生まれつき足がめちゃくちゃ速かったとしたら、いっさい練習せずオリンピックの陸上競技で金メダルが獲れるかもしれない。

いちばん練習した人が金メダルをもらえるのではなく、一番速く走った人が金メダルをもらえるので。

成功は、努力した人だけにもたらされるものではない。


では

「努力は無駄なのか?」

と言えば、全然そんなことはなく、

「望む結果に至る確率を少しずつ上げる作業」

と表現することができると思います。


生まれつき可愛かったら好かれるための努力なんてしなくて良かったし、しなかっただろうから 「かわいくなくてよかった!」 って話なんです。

先天的に元々あった価値でなく、後天的に自ら勝ち取った価値で、今ここに立っているんだ、という話です。


たとえば勉強しなくても元々あたまが良くて、教わらなくても全部最初から知ってたとしたら、誰かに何かを教わって

「知らなかったことを知れる喜び」

を得ることはできないし

「教えてくれてありがとう」

の感謝も生まれない。

知らないから「知る」ができる。


「全知全能の神」という表現があるけど、なんでも知っていて、なんでもできる人は

「知らないことを知る」

もできないし

「できないことができるようになる」

もできない。

全知全能って、全知ではあっても全能ではないんですよね。


いや、全知でもないのか?

まあいいや。


最初から満たされていたら「努力して勝ち取る」はできないんですよね。

これはアンダーマイニング効果とも密接な関係があることだと思います。

たとえば僕は「義務教育」がキライなんですけど。

アレのおかげで僕達は

「好きなだけ勉強できる環境」

に生きてるじゃないですか。


先人たちが頑張って

「どんな人でも自由に学べるように」

と環境を整備してくれたおかげで、 望む望まざるにかかわらず「好きなだけ勉強してどうぞ」というお膳立てが整えられている社会です。

それって明らかに「豊かさ」なんですけど。

同時に「余計なお世話」でもあるのかもしれなくて。


「どんどんやりたまえよ」

と奨励されると、かえってやる気が削がれるところはあって。

「どうせキミには努力なんて無理だよ、無理無理」

みたいに言われたり思われたりすると

「くそ、見返してやる」

と燃えたりする。


たぶん可愛いだけではアイドルになれないと思うんですけど、それでも「とにかく顔が可愛いアイドル」は「顔が可愛いだけでアイドルになれてる」みたいに言われたり思われたりすると思うんですよ。

顔が可愛くないアイドルのほうが「なんであんなブスなのにアイドルなんてやってんの」とか言われる。


「顔が可愛いだけでアイドルになれてる」と言われた側は「褒めてくれてありがとう」だし「まあ可愛いだけでアイドルになれてるわけじゃねえけどな」と思うだろうし

「なんであんなブスなのにアイドルなんてやってんの」と言われた側もまた「褒めてくれてありがとう」と思えなくもないのかも。


「そうなんだよ、私ゃこんなブスなのにアイドルやれてんだよ、すげぇだろ、悔しかったらお前もなってみろ」

的な。


昔は仕事がぜんぜんできなくて、できるようになりもしなさそうだったので絶望してたんですけど、最近はわかりやすく教えてくれる人のおかげで、少しずつできることが増えているので「そのうちできるようになるんだろうな」と思えているので、全然しんどくないのです。


この 「少しずつできることが増えている」 という状態になれている時点で、もう目標は半分達成できているようなものなので、

「全部できるようになった」

という結果がまだ得られていなくても幸福なんです。

それは時間の問題だから。

いずれそうなるか、それに近い状態になるはず、と思えるから。


最初の例え話に戻すと、漫画家になれていなくても「漫画家になれるだろうな」と思える努力を日々おこなえているのなら、すでに半分(以上)達成できているようなものです。

ていうか、漫画を描くことを楽しめているなら、別に漫画家になれなくても「夢はもうかなってる」って言って良くないですか?

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