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今日やらなくていいことを今日してる時点でダメなのかも。

今日やらなくていいなら明日以降にやれば良くね?

ではなく

今日までにやっておけることを昨日までに終わらせとかんかい!

の話です。


毎日「明日のことを今日のうちに済ませとく」をやってます。

んで「明日のことを今日のうちに済ませとく」をしてる時間を、少しずつ長くしていってます。

相対的に「今日のことを今日やる」が減っていってます。

んで、ふと思ったんですよね。

これって意味あるんか? と。


今日済ませるべきノルマに「明日の準備」があって、それが「今日やるべきこと」になってるなら、 それはもう

「今日やるべきことを今日やってるだけ」

なのでは?

と。

意味わかります?


スーパーに買いに行くのは基本「今日食べるもの」ではなく「明日食べるもの」で、

「今これ食べたい」ではなく「明日の自分に食べさせてあげたい」で買う物を決めてるんですよね。

でも、毎日スーパーに行くのであれば、今日のぶんを買うのも明日のぶんを買うのも、一緒じゃないのか?

と。


じゃあ「明日の自分にしてあげたい」より「今の自分が食べたい」のほうが、より「自分の正直な気持ち」なので、そっちを満たすようにしたほうがQOL(生活の質)が上がるんじゃないのか?

と。

そんなふうに思ったんですよね。

でも、僕の出した結論は「ちゃうねん」です。


昨日の自分が今日食べるものを買っておいてくれたおかげで、今日の僕はスーパーに行く必要がないんです。

「行ってもいいし、行かなくてもいい」

の状況を獲得できてるんです。

そのために、今日のうちに、明日のぶんを買っておいてるんです。

明日、選べるように。


「今日食べるものがないからスーパーに行かざるを得ない」

という状況は

「スーパーに行きたい」
「スーパーに行きたくない」

という僕の気持ちに無関係なので、それはストレスになってしまいかねないんです。

当日までにやっておけることを前日までに済ませておくのは、ストレスの発生の予防になります。


たとえばトイレットペーパーの残りが少なくて、ほぼ芯だけの状態になっていると、イラッとしませんか。

「こんなに残量がわずかなら、新しいのに替えておけよ」

と思うでしょ。

「交換してもいいし交換しなくてもいい」

のうちに、直前の誰かさんが交換しておかなかったせいで、選択肢がない。


まだ残ってるうちに捨てるべきなんです。

必要が生じる前に処理しておく。

やってもやらなくてもいいことをやると、気持ちがいい。

「能動的に行動できてる感じ」がするから。

でも「やらざるを得ないからやる」を繰り返していても、そこに自分の意志はなく「やらされてる感」が募るだけです。


いや「やらざるを得ないからやる」でも「やった」という事実は残るので、達成感を得ることはできるでしょうけど。

より達成感を得るためには

「やらなくていいうちにやる」

をやったほうが効率が良い、って話です。


お金の話で言えば、支払い期日になって

「今日までに払わないとまずい」

と思いながら振り込むより

「別に今日払わなくてもいいんだけど、さっさと払っておこ」

と思いながら振り込むほうが精神的にラクですよね。


ここでまた夏休みの宿題の登場です。

夏休みの宿題は、夏休みの初日に終わらせても、夏休みの最終日に終わらせても、量が変わるわけではないですよね。

でも、初日に終わらせたら、周りの人は「すげえな!」と驚きますし、自分でも「俺ってすげえ!」と思えます。


夏休みの宿題を最終日に終わらせても、あまり褒めてもらえません。

「やらざるを得ないからやっただけでしょ」

と思われてしまうのです。

「勉強が好きじゃないんだな」

と思われてしまうだろうし、なんなら

「勉強が苦手なんだろうな」

とまで思われてしまうかもしれません。


そう、同じことをやってても、前倒しにできてるかどうか、その差だけで、周囲からの印象が全然違う。

夏休みの宿題を初日に終わらせたAくんと
夏休みの宿題を最終日に終わらせたBくん

どっちのほうが学校の成績が良いと思いますか?

Aくんのほうが「賢そう」ですよね?


今日やらなきゃいけないことを今日やったら、間に合ってて問題がないようですが、そうではなくて。

ほんとうは

「今日までできなかったことを今日やる」

が正解なんだと思います。

「昨日までにやっておけたことを今日やらない(昨日までにやっておく)」

が正解なんだと思います。


今日のうちに明日の食事を済ませることはできないので(ご飯を食べる、という行為は「当日にならないとできないこと」なので)仕方がない。

でも食べる物を買っておくことは、前日までに可能。

じゃあそこは、あらかじめ済ませておこうよ、って話です。


朝起きた時点で、昨日の自分が、昨日のうちに準備できることを、ひととおり済ませておいてくれてる状況だと、気持ちよく目覚めることができますし、朝起きるなり

「明日の自分のための行動」

にとりかかることができたりします。

「前倒しにできてる感」

は精神的余裕をもたらします。


「QOL(生活の質)を決めるのは3つの具体リソースと2つの抽象リソースだ」

という話も、これまでに何度も書いてきましたが、最近書いてない気がするので、あらためて書きます。

具体リソースは

・お金
・時間
・体力

抽象リソースは

・頭
・心

です。


今日は特にヒマなので、それぞれのリソース(資源)について、説明もしちゃいます。

具体リソースの「お金」はわかりやすくて、ようするに金銭的余裕のことです。

お金がないとつらい。
お金があればしあわせ。

そりゃそうですよね。

お金があれば、たいていの悩みは解決できますもんね。


急にディズニーランドに行きたくなっても、新幹線に乗るお金も入園チケットも買えない状態だと、行くことができない。

好きな人にプレゼントを贈りたくても、お金がなければ、アレも買えない、コレも買えない。

やりたいようにやるためには、お金があるに越したことはない。


具体リソースの「時間」は「お金」のように目に見えるものではないので、具体というより抽象なのでは、という気もしますが、数えられるので具体リソースです。

1日は24時間と決まっているので。


急にディズニーランドに行きたくなっても毎日仕事があったら行けない。

好きな人にプレゼントをしたくても、忙しかったら買いにもいけない。

お金さえあればどうとでもなるわけではない。

常に時間的余裕のない生活をしていると、QOLも下がる、というりくつです。


具体リソースの「体力」は「若さ」と捉えても大丈夫です。

そう捉えることができるのは「時間」もなんですが。

具体リソースの「体力」と「時間」を合わせたものが「若さ」と捉えても良さそうです。

「お金」も「時間」もあるけど、高齢者はディズニーランドに行けないでしょ。体力がないから。


たくさんお給料を稼いでいても、休日にヘトヘトになっているお父さんは、疲れて寝てるので、子供をディズニーランドに連れていけないので、子供にとっては「くそじじい」だったりします。

「お金」「時間」「体力」すべてのリソースに余裕があって、はじめてディズニーランドに行くことができます。


抽象リソースは具体リソースほどQOL(生活の質)を左右しないんですが、それでもやっぱり、ないとよろしくないので、一応「頭」と「心」にまとめてます。

「頭」は「賢さ」と捉えても良いです。

考えなきゃいけないことがてんこ盛りだと「余裕がない」と感じますよね。


この問題について、今日中に答えを出さないといけない。
あの問題について、まだ結論を出せていない。

そういうのが積み重なってる状態は

「頭のリソースに余裕がない」

であり、QOL(生活の質)も下がる。 そういう考え方です。


抽象リソースの「心」は、もっと漠然としたもので、数値化が困難です。

ディズニーランドで言えば

「ちょっと今そんなとこに行って楽しめる気分じゃない」

みたいなやつです。


金も時間も体力もあるけど、ディズニーランドってテンションじゃない、みたいなやつです。

精神的余裕がないと、ミッキーマウスの耳をつけて踊れないですよね。


だからこれらの具体/抽象リソースの確保を意識しながら生活すると、QOL(生活の質)が上がると思っていて、

だから僕は常に「余裕を確保したいマン」なのです。

5大リソースさえ確保できていれば、とりあえず笑っていられる。

そう思っています。

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