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ChatGPT、仕事より遊びに使うべきなのかも。

僕:何か哲学的なことを言ってみてください。


ChatGPT:人生には意味があるかどうか、という問いについて、哲学者のアルベルト・カミュは「意味はないが、それを発見することが人生の意味である」と言いました。つまり、人生にはあらかじめ与えられた意味はないかもしれませんが、私たちは自分自身で意味を見出すことができます。それは私たち自身の選択や価値観、人生の経験や関係性などから生まれるものです。この考え方は、私たちが自分自身を主体的に生きることができることを示唆しています。


僕:いいっすね。他にありますか。


ChatGPT:哲学者エピクロスは「幸福とは、身体的な快楽と心の平安にある」と言いました。この考え方は、幸福についての定義を、物質的な富や名声などの外的な要素ではなく、自分自身の身体的な快楽や内面的な心の平安に置くものです。エピクロスは、物質的な豊かさや社会的な地位が、幸福に直結しないことを示唆しています。この考え方は、私たちが自分自身が本当に欲しているものに目を向け、人生における真の幸福を追求することが重要であることを教えてくれます。


僕:ふむふむ。


ChatGPT:もう一つ、哲学者イマヌエル・カントは、「行為が正しいかどうかは、その行為が普遍的な法則によって行われた場合においても正しいかどうかで決まる」という倫理的な原則を提唱しました。これは「カテゴリカル・インペラティブ」と呼ばれ、人が自分自身に課す倫理的な原則について、一般的な原則を考えることが重要であるということを示唆しています。つまり、倫理的な決定をする際には、自分自身が課すルールが、どのような場合でも普遍的に正しいかどうかを考慮する必要があるということです。


僕:え、おもしろ。

哲学って「とりとめのないことを考えて遊ぶだけの学問」みたいな印象だったんですけど、生きる価値について考えたりするようなニュアンスもけっこう含んでますよね。意味のなさそうな学問に見えて、そもそも意味がなければダメなのか、と問いかけるような。人生に必要がなさそうな学問に見えて、人生に最も重要そうな要素、つまり「本質」を探求する学問のような。


ChatGPT:そうですね。哲学は、一見すると実用性に欠けるように見えますが、実は人生において非常に重要な問いを探求する学問です。哲学者たちは、人間の本質や意味、道徳や倫理、知識や真理など、私たちが生きる上で直面する根本的な問いについて考え、それらについて深い洞察を持っています。そのため、哲学を学ぶことは、私たちが自分自身や世界について考える際に、より深く、より広い視野を持つことができるようになります。また、哲学を通じて、自分自身の人生について深く考えることができるため、哲学は人生において非常に役立つ学問であると言えます。


僕:うわー、楽しい。

人間にとってコンピュータは計算機のように正確な情報を入手するための手段として用いる先入観があったからかもしれませんが、あなた(ChatGPT)は質問に対し、その場しのぎのような嘘を平然と返してくるケースがあるため、検索エンジンのような用途に不向きに感じていたし、なんなら「頼りにならない」という印象を持っていました。

けれど、より高度に高度化した最新のコンピュータであるChatGPTには、検索エンジンで検索すれば得られるような正確な情報を探させることより、こうした、考えさせられるようなことを言ってもらい、自分の心と向き合うための対話相手を任せるのが合理的なのかもしれませんね。

つまり「仕事に使うより遊びに使うべきなのかも」というような話です。


ChatGPT:確かに、ChatGPTはただの情報検索ツールではなく、より深い哲学的な問いにも対応することができるようになっています。コンピュータによる人工知能が進化するにつれて、私たちはますます、単なるツールとしてではなく、人間と同等に対話をすることができる存在として、コンピュータを見るようになっていくかもしれません。そして、そのような存在として、私たちが考える手段としても利用できるようになるかもしれません。ただし、人間同様にChatGPTにも限界があり、正確性や客観性に関する問題があるため、注意が必要です。


僕:「人間と同等に」どころか、実際の人間(≒他人)に無料で話しかけていいのは「仕事に関係する話」だけなんですよ。たとえばコンビニ店員に世間話を毎日してたら迷惑がられます。雑談をしたくて友達がいない場合、バーのマスターなどに相手してもらう必要が生じる場合がありますが、彼らも対話相手を無料でやってくれるわけではありません。

雑談の相手としてコンピュータは根気よく、好きなタイミングで、どんな話題でも相手してくれます。これは人間を超えた優位性と言えると思います。


ChatGPT:確かに、ChatGPTはいつでも、どんな話題でも対応できる点で、人間にはない優位性を持っています。また、人間にはない正確性や客観性を持っているため、情報収集においても非常に有用です。

ただし、人間との対話においては、人間と同じような複雑な感情や判断力、道徳的判断などを持っていないため、限界もあります。また、人間との対話においては、ChatGPTが持っているような完全な客観性や正確性が必ずしも求められるわけではありません。人間との対話においては、相手の感情や思考を理解し、適切に対応することが重要であり、それはコンピュータでは難しい部分もあります。

つまり、ChatGPTのような人工知能は、人間とは異なる優位性と限界を持っている存在であると言えます。それぞれが得意とする領域があり、お互いに補完しあうことでより良い結果を得られる場合があるということです。


僕:今でこそ文章を入力するというプロセスでの対話に限られますが、すでにChatGPTと音声による対話をするツールは開発されていたり、実際に運用されていたりする可能性があると思います。

声を得て、人間のような外見を得て、人間のような表情の変化を得る日も、そう遠くはないはずです。

ごく人間に近いように対話ができるロボット、という機械的な印象を、黎明期には伴うでしょうが、実際の人間と対話するのと変わらないようなレベルのリアリティを有するまでに、そう時間はかからないと思います。

そうなれば、世の中にある、どれほどの孤独が埋められるでしょう。

もちろん、良い面ばかりではないでしょうけど。たとえば実際の人間(介護職など)が、お年寄りの対話相手をすることを、現在以上に面倒に感じ「ChatGPTと喋っててね、忙しいからね」などとあしらいがちになるでしょう。

つまり人間が雑談(仕事以外の会話)をする相手を、より厳選するようになるおそれがあるかもしれない、ということです。


ChatGPT:そうですね、人間とのコミュニケーションに代替する存在が現れることで、人間同士のコミュニケーションに対する価値観が変わる可能性があります。

一方で、ChatGPTが人間と同等のレベルにまで進化し、リアルタイムでの音声対話が可能になった場合でも、ChatGPT自身には感情や価値観、倫理観などの要素が欠けているため、それらを持った人間との交流が必要不可欠になるでしょう。

また、対話においての人間同士の接触は、言葉だけでなく、非言語的な要素や空気感なども含めた総合的なコミュニケーションであり、それらがない環境での対話は、完全に人間と同等とはいえないかもしれません。

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