育むひとら4



『好き好キッス』って知ってます?
普通にキスしてると思ったら、おもむろに相手の口を全部口の中に納めて塞いで、自分の肺の中の空気を吐き出し相手に吸わせて、逆に相手の肺の中の空気を吸って、空気=愛の交換を繰り返し、二酸化炭素でいっぱいになって苦しいねえーッつって、愛って苦しいもんなんだねーッつって笑い合うヤツなんですけど。
世の中のカップルはみんなコレやってると思うんだけど僕はそれを『好き好キッス』と呼んでますね。








僕には昔、「俺はこの娘と結婚するんだろうなあ」という女性とお付き合いしていたことがあった。7年半付き合ったけれど結婚しなかった。結婚するしないの話し合いを重ねる内に仲違いになり別れた。25歳の頃だった。

その時に思ったことは、言い訳が出るうちは結婚出来ないなということ。
しない、出来ない、まだ早い。それについての理由は探せばいくらでもあって、そんな事が口から出る内はどうやら『結婚』というのは無理そうですねと思ったのだ。







昨年の6月にお笑いを辞めて、次にやりたい事もなかったけれど、当たり前のように生活は続くので働かなければならない。

恥ずかしながらお笑いだけの収入では生活出来なかったので週3日コンビニエンスストアで深夜にアルバイトする生活をもう随分長いことやってきた。
引退後、そのアルバイトにプラスして久保田くん(元いい塩梅、現あはは)に紹介してもらった芝公園駅から程近い『タイ国専門食堂』というその名の通りのタイ料理屋さんで働きはじめて、両方合わせて週5日働く生活を約一年続けてきた。


他にやりたいことがないからといって、お笑い辞めてやりたかったことがアルバイトなのか?と言われれば勿論違くて、生活をリスタートした時に飲食業をやりたいなとは漠然と思ってはいたものの、その何でも出来そうと勘違い出来る初期衝動は日々の安穏に削られていった。そして何より僕は日々の情熱を彼女に注いでいた。彼女が楽しく生活出来るようにと生活していた。

何となくこのままでは良くないなと思いながらも生活のリズムは安定してるし、彼女に合わせて土日休みだし、いかつい贅沢は出来ないけれどなんにも我慢せず楽しく生活が出来てしまうので、コンビニのバイトは辞められなかった。辞め時を失っていた。が、が、が、急に降って湧いた話のようにそのコンビニが9月いっぱいで潰れると8月の終わり頃店長から告げられた。
正確には、潰れる訳ではなくオーナーが他のオーナーに丸ごとお店を譲渡するのでコンビニ自体は存続するけど、引き続き働く?Uどうするの?と決断を迫られて僕はこんなチャンスないゼッ!!と思いコンビニバイトを辞めた。




さ、37歳にして人生初の就職活動である。どうしたらいいかわからなかった。
僕は何にもしてこなかった。そして何者でもなかった。大学も出てないから学歴もないし、就職に有利な資格などはひとつもないどころか普通免許すら持っていない。誰もが中学生の時に受けるといわれている英検3級すらもってない。



ま、ちょっといきなり何か詳細に書くのが面倒臭くなってきて端折るけど、ここから色々あって就職が決まるんだけど、それについてはまた今度書く。
タイ国専門食堂という素晴らしいレストランの話と新しい職場の事はまたの機会に詳しく書くからぜひその際は店まで飲みにきてね。

僕は『vivo daily stand』というお店で働くことになります。ひとりでも気軽に立ち寄れるワインのバル。値段的にも気軽に寄れる。基本的にワンオペだそうなので、配属が決まったらその店は僕の頑張り次第というか、城になるみたいです。
そして会社の方針で僕はソムリエになる為の勉強をはじめることになるそうでWAKッWAッKが止まりませんね全く。
まだどこのお店かとかも全く決まっていないし、研修も始まってないのでそれが終わりお店が決まった際にはぜひぜひ遊びに来て下さいね。そして何かしらSNSで見かけた際は拡散なり口コミなり友達連れだって訪れたり、宣伝を心からお願いしますッッ。もう少し先の話です。9月はのんびりします。






さ、僕の仕事の話はどうでもいい。これは僕が彼女との惚気話を書く日記なのだ。

8月の後半、なんだか気持ちがぶわあッとなって「結婚してください」といつでも言いそうになっていた。
『なんだか』と言ったけれど後々考えると明確で、コンビニのバイト辞めることが決定したからだと思う。
20歳からお笑いをはじめて、仕事がない時もバイトしてても遊んでても常にどこか頭の片隅でネタを考えているというかネタを拾おうとしていた生活があって、それがなくなり、さらにコンビニのバイトもなくなって、自分の人生史上最も何もしていない期間が訪れた。
学生の時だって、学校があるし勉強があるし部活動や塾やバイトと色々することがあって、そんな時よりも何もしていない期間が訪れたのだ。

普通、そんなに何にもやっていなかったら荒むというか、くさくさして周囲に当たり散らしたり、精神が淀み腐り怠惰に拍車がかかったりしそうなものだけど、毎日がね、まあ、楽しかった。精神的に充実していた。

それはやはり一緒に生活している彼女のおかげだと思う。

彼女といると日々透明な気持ちで物事にリアクションが出来るように感じる。

新しい味や未体験の事はもちろん、同じことをしてても行ったことある場所に行っても新しい発見や感情が芽生えたり、コレって当たり前の事なのかもしれないけれど僕はソレをとても素敵だと思う。


そんな人は僕にとって今までもこれからも彼女しかいないように、思える。


という気持ちがぶわあッとなってしまって、まあこの「俺にはこの人しかいないぜッ」という気持ちは付き合いはじめた頃からずっとあったのだけれど、8月の後半からのぶわあッは常態のぶわあッよりもずいぶんと勢力がつよつよのぶわあッで並のぶわあッではなかったのだ。


夜に少し家の近所をふたりで散歩することが増えた。ぶわあッを何度もぶつけそうになったけど、何か出来なかった。勇気が足りなかった。たまには遠出したりすることもあって。



ある週末、家から渋谷の方まで歩いて行った。渋谷のでっかい歩道橋あるでしょ?広場みたいになってるやつ。あそこちょっと気持ちの良い場所だし、ちょっとふたりの思い出の場所なんで、このぶわあッをぶつけるのもいいかななんて思っていた。


その日は何だか佳い夜で、彼女は元来あまりお酒は強くないのだけれど散歩しながらの飲酒にあまり慣れていないから通常の自分のペースよりもぐいぐいいっちゃって、渋谷の歩道橋に着いた頃には気持ち悪くなってしまってグロッキー。適当なベンチに座り少し休憩すれば回復するかと思ったら中々せず一時間くらい経過しても気持ち悪いまま。立ち上がると貧血みたいな症状が出るとのことで少し横になろうか、とひざ枕。やがて彼女は寝た。
しばらくすると太ももに伝わる振動と音で歯ぎしりしているのがわかる。本気寝だ。可愛かった。

起きると「う…吐く」と脇の植え込みに少し戻していた。ビシャァァロロロという音と共に微かに「…見ないでぇぇ」と言っていてエロかった。エロスだった。kawaiiとELOSが混在していた。

とっくに終電はなくなっていたのでTAXiで帰宅。今夜もプロポーズ出来なかったな、と何度目だろうか忘れたけれど、そう思った。




こういうのはやはり勢いが大事なんだろう。
何度も言おうと思うけど何でか言えない事が続くと、アレ?このままプロポーズしていいんか?とか思ってしまう。
パカッと箱を開いて指輪を渡すのが定番だろうけど、用意していない。用意してからの方がいいのだろうか。とか。


9月18日になると、お付き合いをはじめて一年になる。
僕は何だか、その一年記念日の前にプロポーズをしたかった。
記念日をまとめたくなかった。毎日がSpecialとは言え、記念日は多い方がいいでしょう。
そして、焦っていいことなんてないんだけれど、18日を過ぎたら何かが決定的に遅いような気がしていた。



そうこうしているうちに13日。
タイ国専門食堂のお昼休憩中にスマホを見るとvivoから採用のメールが来ていた。
取り急ぎ彼女に受かった旨をLINE。仕事が終わり22時頃中野坂上駅に着き、家路に続く横断歩道を渡ろうと信号を待っていると彼女が向こう側に立っているのが分かった。
信号が青に変わる。彼女は勢いよく走ってきて僕に飛びついた。「おめでとう!やったねえ!」と言いながら、組み付いてきて小外刈りを仕掛けて僕を倒そうとしてくる。笑った。笑ってた。





『ぶわあッ』という音が中野坂上に響いたと思う。




近所にいい感じの広場があってそこに座ってお喋りしていると、これからは生活のリズムが変わること、一緒に生活しているもののすれ違いの生活が予想されることに「まあ、今まで通りとはいかないね」と、彼女は少し不安そうにしていた。


なんかね、その顔を見た瞬間に僕は「結婚してください」と言った。

そんな不安な顔を一瞬でもさせたくなかった。
この言葉がそんな下らない悩みを吹き飛ばせたらいいのに。

他の煩雑な事情が、余計な感情が、色んな言い訳が、用意していた思惑が、その一瞬にはちっとも介在せずに、単純に、この人と一生一緒にいたいと僕は思ったんだ。


川崎鷹也の魔法の絨毯でもギターで弾き語りたい気分だったのに、頭の中で流れてきたのは、テンテンテッテテテレテ~というラテンのリズムのイントロであの味のある声。三木道三の♪一生一緒にいてくれや〜♪というダサダサミュージックだった。俺にはお似合いだと思った。



彼女はしばらく泣いたあと、よろしくお願いしますと言って握手した。








その夜。

何だかふたりとも疲れてしまい眠くて、寝る寸前にまた気持ちがぶわあッとなって俺はおやすみのチウに見せかけて、もうね、しつこいくらいに彼女に『好き好キッス』をお見舞いした。


キレてた。少し険悪なムードになった。




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