アタミー旅行記(後編)

ホテルに到着してフロントでチェックインを済ます。
担当の方がこれまたかなりのいい声で所謂イケメンボイス、イケボの方で、僕もまあまあ声優の方とお仕事したことがあるのだけれど、その中で比べてもまあまあ上位のイケボで、イケボだからフロントなのかフロントだからイケボになったのかという、卵が先かみたいな事を考えてる間に色々と説明が終わっていた。


ホテルだけど、和室を選択していた。コロナ対策なのか、布団は自分で敷いてくれと言われた。夕飯を食べて部屋に行くと布団を敷いていてくれているあの感じがたまらなく好きな僕としては少し残念。夕飯はビュッフェ形式なんだけど、それも対策として細かく時間が分けられてたり各個人ビニール手袋とマスクの着用の徹底など対策がちゃんとなされていた。ロビーに浴衣が置いてあり、同じ柄のものを選ぶ。


僕らは夕飯の時間を少し遅めにして、その前に早速お湯をいただくことにした。
部屋について畳の匂いを嗅いでほうじ茶を一杯啜ってから早速温泉へ。


大浴場はもちろん男女別れており、その中間に温水プールがあったけれどそこはコロナ対策で暫く運用を中止にしているようだった。予約して別途料金を払えば個室の露天風呂を貸してくれるらしいのだけれど、個室露天ってあれ何をする場なんでしょうか?ナニをする場なんでしょうか?


脱衣所に着き裸になり、浴場へ行くと僕と入れ違いで出ようとしていた男がやたらと顔をジロジロ見てきて不審。まあいいか身体洗うかと思って椅子に座って頭をシャワーでぶわっと濡らして、湯気で曇った鏡をシャワーで流し自分を見たらマスクを装着したままだった。不審なのは僕の方だったアヒョー。
凄い見てくるから、こちらも凄い見てやったんだけど「コイツ風呂場までマスクしてきやがるッッ!マスク警察かよッッ!温泉来んなよッ!」と思われたに違いなく、赤面。
誰にするでもなくへらへら照れ笑い小声でぶつぶつ言い訳をしながら一旦脱衣所にマスクを置きにいく。

大浴場には僕以外だと、小さい男の子とそのお父さんしかいなかった。
それにしてもシャワーの水圧が凄い。こんなのはじめてだ。お湯を出そうと捻ったら水圧が凄すぎてシャワーのヘッドが飛び上がり床をのたうち回っていた。俺はこんなにヤル気あるのにお客が来ないんだゼッッ!と言ってるみたいで哀愁があった。


身体を洗い、室内の大きな湯船につかる。うわあぁ気持ちいいだら。郷に入っては郷に従えというか、思わず静岡弁になってしまう。
その隣にシルキー風呂といって細かい泡風呂みたいのがあってつかる。うわぁ肌がすべすべになるら。例によって静岡弁。

そこで、ふと浴場を見渡すと誰もいなかった。露天風呂に移動すると、親子はそこにいて、誰もいないのをいいことにお子さんが露天風呂を泳いでいた。
お父さんがそれを窘めたので僕は「全然泳いでていいですよ。お客さんいないし。やっぱ泳ぎたくなっちゃうよね」と言うと、子供はびっくりした顔をしてお父さんの陰に隠れ泳ぐのをやめてこちらを凝視していた。んー、逆に悪いことをしたな。


露天からの景色、目の前は木が生い茂る森であった。視界には開けた空間になっていて遠くの山々の稜線が美しい。最高だった。とても良い気分になり「うっわあ気持ちいいですねえ、人も少なくて」とお父さんに話しかけると、お父さんはビクッとして曖昧な愛想笑いを浮かべ、ううとかあうあうあーとかハッキリしない言葉を発した。しばらくすると子供を連れて出ていった。


あっれ?何か悪いことをしてしまったのだろうか?それとも森の精霊とかだったのだろうか?人間と話すことを禁じられているのだろうか。私達が見えるのですか信じられない!みたいな顔をしていた。思い返せばふたりとも耳が異常に尖っていた様な気もする。

まあ、とにかく自然を堪能できる露天風呂を独り占めである。こんな最高なことはない訳で、僕は少し泳いでみたり、口笛を吹いたり、腰を浮かして陰茎を湯からちょこっと出したり引っ込めたりしながらオポポポポと奇声をあげるなどして遊びに耽った。

段々と空が茜から緋に、そして紺にかわる。トンビが飛んでいて、いいねえと思ったけれど、俺が陰茎をひょこひょこ湯船から出したり引っ込めたりしているから、コレを何か獲物だと思われて急降下してきたらたまったモンじゃないと止めて、サウナへ。



温泉を一時間ほど堪能して身体がぽかぽかだ。彼女と風呂場前で合流。
こんなことがあったよ、と上のことを説明すると「私もマスク着けたまま入っちゃったよ!」と言っていて、心までぽかぽかした。



夕飯は美味しかった。
ビュッフェだと全種類いきたくなる貧乏性はどうにかしたい。
お酒も飲み放題で、珍しく彼女の方からお酒を飲みたいと言いだした。いいじゃん飲もうよ飲もうよ、でも俺はとりあえずご飯食べるねと思っていると、彼女は果実酒を水で割ったものを持ってきていた。
すぐに顔が紅くなってしまうので薄めに作ったそれは、何の味もせず不味いと愚痴る。いやいやこれ水入れすぎだから、基本的には割物とお酒は一対一だからね果実酒もポテンシャルを発揮できなくて嘆いているよ。と言うとお酒を少し足して戻ってきた。上と全く同じやりとりをあと2度して、ようやく甘くなってきたようで満足そうだった。
僕はシェフが焼いてるステーキや、ビーフシチューなどをあらかた食べたあと一旦お皿を片付けて、お刺身と芋焼酎を持ってきて乾杯。

なんか、ただご飯を食べているだけなのにもの凄く楽しかった。凄惨を極めていた。ニヤニヤと顔を真っ赤にして笑う2人は見るに堪えないものだったでしよう。幸悦(サチエツ)だった。



夜、もう一度温泉に浸かろうとしていたけど気づいたらふたりとも布団の上に突っ伏して眠っていた。
起きると22時少し前で、大浴場は23時までとアナウンスされていたのでふたりして慌てる。


大浴場には夜も僕以外にはほぼお客さんがいなかった。
とりあえずまだお酒が少し残ってる感じがしたのでサウナに入り、何回かインターバルしようとして水風呂入ってたら、そのタイミングを見計らったかのようにヨボヨボのおじいちゃん従業員が入ってきてサウナを閉鎖した。
え!と思って「あれ?23時までじゃないんですか?」と尋ねると、少し驚いた表情をしてへへへとかふふふとか卑屈な感じの笑みを浮かべ、そそくさと浴場から出ていった。わ、鹿十された。
他にお客さんがいないから早めに締め作業をして帰りたいンぜこっちは。というオーラが凄まじかった。でもいくら何でも客の問いかけを鹿十するだろうか?もしかしたら鹿十したんじゃなくて僕が何を言っているかわからなかったんじゃないだろうか。つまり妖精。
なんだ、アイツも妖精だったのか。異常に肌が土気色だとは思ったよ。


気を取り直し、露天風呂に行こうと思い外に出る。とてつもない寒さだった。湯につかる。幸せなため息が出る。夜の森は真っ暗なんだけど空は濃紺で、闇の中でも遠くの山々の稜線が確認出来て景色が素晴らしかった。
また少し、腰を浮かせて陰茎を湯に出し入れして奇声をあげる遊びをした。夜だから鳥の心配はいらなかった。夜の森にオポポポポーッという声が響いた。




翌朝6時に起床して朝食前の早い時間にもう一度温泉に入った。普通に賑わっていて朝が一番混んでいた。
露天に入ろうとするも早朝の冷気は凄まじく、温泉との寒暖の差に益々有り難みが増す。

朝食もビュッフェ形式。美味だった。


早めにチェックアウトして、熱海駅までの路線バスを待っていた時のこと。
今日も一日遊んで夜に帰りたいところだけれど、彼女ののっぴきならない事情により、お昼には熱海を発つことになっていた。
色々と勘案した結果13時13分熱海駅発の電車に乗ることになったのだけれども、詳しい説明は省くけど、ここで険悪なムードになる。一言でいえば僕が拗ねただけなんだけど、彼女も彼女で強情でズルい部分があり、険悪なムードのままバスに乗る。

そのバスがなんか生温くて狭くて、山の中を走るもんだから僕は段々と気持ち悪くなってしまい吐きそうになる。乗り物酔いなんて何十年ぶりだろうか。
隣で彼女はテンションがガタ落ちてるというか、おこというか一言も喋らず窓の外を見てる。

早く謝って残り少ない楽しい旅を続けようと思うも、如何せん気持ちが悪く、喋ると吐いてしまいそうで僕も沈黙。



バスが駅に着くと、彼女は無理して明るい声を出して「どうしよっか!」と聞いてきた。
互いにもっと一緒にいたいだけなのである。同じ気持ちだけれど何だか上手くいかなくって険悪なムードになってしまい、さらにその上吐きそうになっている僕。

一旦水を買って、駅前の足湯がある広場の脇で休憩しながら正直な気持ちと謝罪。彼女からも正直な気持ちと謝罪があり、無事楽しい旅行を続けることが出来た。これが僕らの良いところである。格好悪くても素直が一番なのである。

不思議なもんで和解すると気分も良くなってきて、ひとまずサ店に入り午前中何して遊ぶか方策を練ることに。


地域クーポンを6000円分もらったので、お土産を買って何か美味しいものでも食べて帰ろうということになった。
昨日、海鮮丼を食べたから天丼がいいねえ!となり、調べると老舗で評価の高いお店が駅前の商店街にありそこでお昼を食べようとなった。

それまで商店街をウロウロしながら、記念になるようなお土産を探すことになったのだけれど、コレが中々見つからない。
工芸品というか、そういったものを見ても彼女の琴線には触れなかったらしく、まあ干物とかお饅頭とかは沢山あるけれど、僕らは食べ物じゃなくて新居に持っていけるようなお土産を探していた。
粘って練り歩くけれど中々良いものが見つからず「やっぱ昨日熱海城で猫の人形買っときゃ良かったなー」とか軽口を叩いて笑いあった。

目ぼしいものが見つからず気づけば駅から結構離れてしまい、そろそろ時間的に戻らないと昼食もままならないなと思いはじめたその時、汚えファンシーショップみたいなお店の店頭に見覚えのある人形が屹立していた。



なんと腰フリ猫ちゃん人形であるッッ!!



何でこんなところに!!僕が握手をすると大音量でダサい音楽に合わせてダサいダンスをし始めた。
何でこんなところにの驚きとあまりのダサさに、彼女と僕は見つめ合ったまま暫く動けなかった。
僕はもう運命感じちゃって、コレしかない。コレを買うしかない!!とハッキリと彼女に告げる。店の奥を見るとよぼよぼのガラクタみたいなおばあちゃんが茶を啜っていた。地域クーポンとか使えなさそうな店だったけど、もう結構運命感じちゃってるから、コレにしよう!と力説。
しかし彼女はやっぱり、う〜ん…と渋い顔。やはり圧倒的なダサさに躊躇してしまうようだった。



買うのを止して、もう時間も時間なのでお土産買ってないけど駅の方に戻り天丼屋さんへ。

すると激混みであった。

沢山の観光客が押し寄せ、店の周辺に人だかりが出来ていたのである。この時12時。


うっわあ、と思いこれご飯食べたらすぐ帰らなきゃの感じだし、というか電車の時間に間に合うか分からないくらいの混雑ぶりで剣呑。

もうこの老舗はやめるか!と、向かいにあるホニャララ御膳みたいな、少し高そうなもの出してくれそうな店に入ると、そこも満杯というか人手が足りなくて忙しそうにしていて30分はかかるという。

いよいよ焦る。

このまま何も食べれないで、お土産も買わなかったら6000円無駄にすることになる。

さらに隣の店舗を見やると何やら洒脱で空いている店があった。しらす丼屋だった。
もうそこに入る。古民家カフェみたいな様相で洒落ていた。2階に通されて、彼女は釜揚げしらす丼、僕は生しらす釜揚げしらす桜エビの3色丼を頼んだ。


料理を待っている間彼女が急に僕の手を握り真剣な眼差しで「ワガママ言っていい?」と言ってきた。


何だろうか?話を聞くと、何とやっぱりお土産は腰フリ猫ちゃん人形にしよう!というものであった。


何ィッ!!

いや、ま、俺はいいんだけど、しかしそれは無茶な提案であった。

なぜならあの謎のファンシーショップはこの店から10分以上歩いた場所にあり、往復で20分はかかる。しかも場所はうろ覚え。
さらにまだ干物等のお土産を買ってないし電車の時間は13時13分である。12時20分を過ぎてまだ料理が来ていないのである。


これはどれかを諦めなければならない。全部は無理である。
しかし彼女は全部やる!と聞かない。彼女は一度やると決めたことは必ず遂行する融通がきかないというか強情なところがある。まあ、そこが好きなところなんだけど。

しかし現実的に考えて無理である。それをちゃんと説明しても「嫌だ。やる。全部やる」と聞かない。


困り果てる僕。


何で急に腰フリ猫ちゃん人形にしようと思ったのかを、あんなに嫌がっていた彼女が熱弁する。思い出になる、と。これから暮らしていく中で喧嘩したり上手くいかないこともあるだろう。けれど、そんな時にあの腰フリ猫ちゃん人形が踊ってくれれば、はじめてふたりで来たこの熱海旅行の楽しい想い出が蘇るかもしれない!


このように彼女は熱弁したのだ。頬を紅くしながら。
僕は思った。可愛いなあ、と。こんな可愛い生き物がいるのか世の中には。好きだなあ、と。



よおおおおし!!じゃあ、わかった。分業だッ!



僕が走ってファンシーショップに腰フリ猫ちゃん人形を買いに行く。彼女は自分と僕のぶんの干物やお饅頭を地域クーポンを使い切って駅前の商店街で買う。
コレしかないッッ!!


そこで料理が運ばれてきた。


コレがめちゃくちゃ美味かった。何でお洒落で店員さんも若く美人さんだらけで美味しいお店なのに空いているのか疑問だったけれど、きっと皆旅行で来たからには老舗っぽい、ちょっと汚い店で食べたいのだ。

なるほどなあ。人の心とはそういう動きをするよなあ、と思いながらも、急いで食べる。何しろ時間がない。こんなに美味しいものを口の中へかきこむのは忍びない。


会計を地域クーポンで済まし、そのまま彼女にあずけて僕は走った。時刻は12時35分くらいだった。


疾走するYJ。熱海の町は坂道だらけだ。シンドイ。息が切れる。時間的なものなのか昨日よりも人が多い。食事をしたばかりで走るとお腹も痛い。それでも腰フリ猫ちゃん人形を求めてひた走る!!


この辺だったはず!と走り抜けると思った通りの場所に汚えファンシーショップはあった。

息を切らしながら店に入る。
狭い店内には誰もおらず、奥の方でTVの音が聞こえる。


「すいませーん!!この人形下さいッ!!」


するとヨボヨボの老婆が出てきて

「はい、はい、ああこの猫ちゃんですね」
「ハアハア、そ、そうです。コレ下さい」
おそらくこんなにも必死の形相で腰フリ猫ちゃん人形を買い求めた男がかつていただろうか。老婆はその様子を見てビジネスチャンスと思ったのか
「こちらのパンダちゃんは見ました?」
「こっちのわんちゃんはゴロゴロ寝っ転がるんですよう?見ました?」
と他の商品も勧めてくる。僕は敢然と
「いや、この腰フリ猫ちゃん人形を下さいッ!!」と宣言した。


「…そうですかあ?まあね、それ大人気なんですよ」

嘘つけ。そんな訳ねえだろ。俺ら以外に誰が買うんだよこんなもん。

「じゃあ新しいの出しますねえ」

と老婆が棚の引き出しをあけると、箱に入ってない状態で腰フリ猫ちゃん人形がズラッと並んでいた。しかも黒、茶、こげ茶と3色展開していた。

「じゃあ、これね、はい1500円です」


なんと、裸のまま渡された。うおっ!腰フリ猫ちゃん人形裸で持つの!?まあ、でも1500円と熱海城で見た時より300円安くなっている。わ、目のところに小バエの死骸が絡まってるよ。マジか。笑う。とにかく時間がない。



俺はそれを持って走った。彼女の笑顔だけを思い浮かべながら。





結局、全て上手くいった。彼女は美味しい鯵の干物とお饅頭をふたりぶんクーポンを使い切って無事買っていたし、電車も間に合った。



俺は家について早速腰フリ猫ちゃん人形をリュックから取り出し踊ってもらった。

超絶ダサかった。笑いが止まらなかった。愛くるしかった。
熱海、最高だった。





日に日に愛着が増して、初日は20回くらい踊ってもらっていたけれど、最近は家を出る前と帰ってきた時に踊ってもらっている。元気が出る。






名前を決めようとなり彼女にいくつか候補をLINEした。

「アタミーかアッタミン。アタタ、アタ、タミちゃん、ウミちゃん、ネツ、タミアさん、ターミア、ミーアタ、腰フリ熱海さん、タミヤさん、田宮さん」

すると、返信があり

「田宮さんに宜しく言っといてね」



腰フリ猫ちゃん人形の田宮さんと僕と彼女の生活がもうすぐはじまる。

いや、タイトルが『アタミー旅行記』だから名前アタミーかと思ったよ!と思った方。

正解ッ!!




(おしまい)

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