可愛いひと4

こんな文章を読んだら目が腐る。嘔吐が止まらない。思えば偏頭痛のはじまりはあの文章でした。と言われかねないのだけど、最近思っていたことがある。


みんな普通に暮らしているだけで、毎日沢山の人に出会うじゃないですか。
いや、私は移動手段が徒歩か水牛しかない辺境の地に住んでいます。私は一般的価値観に照らすと驚愕の土着信仰がある土地から出たことがありません。みたいな、出会える人の絶対数が少ない方は違うかもしれないけれど、都市部に住んでいれば電車に乗るだけで、街を歩くだけで、数百数千下手したら数万の知らない人と毎日すれ違う。
否。辺境の地に住んでようが驚愕の土着信仰のある土地から出たことなかろうが、なんなら部屋から出てこない引きこもりだろうが、今やインターネットが当たり前にある社会でSNSを通して世界中の人と出会える時代だ。

その中で知り合いになれる人もいれば、何度すれ違っても知り合いにならない人もいるし、出逢いと呼べるほどの出会いになる人もいる。

生活の中で、綺麗な人や格好の良い人なんてのは溢れる程いるし、エッチな気を喚起させる人も沢山いるけど、付き合いたいと思えるような人には中々出会わないですよね?何故なのか。

そうなると、やはり付き合いたいなと思う人というのは、美醜や性欲は当然ありつつも、それだけではない不可分の領域が個々人にあり、分別するという意識もないまま無意識にその基準を通過した人のみが、付き合いたいと思える人ということになる。
沢山の出会いという分母があるにも関わらず、付き合いたいという条件がつくと途端に数が少なくなる訳です。

そんな数少ない付き合いたいと思える人と出逢ったなら、これはもう必ず交際したい。

で、その為に努力するということは素晴らしい事ですよね。結果如何に関わらず自分を人間的に成長させる。たとえ上手くいかなかったとしても、人間的に成長しているから他の誰かにとっては『付き合いたいと思える人』になってる可能性もある。


なんの話をしているんだこのヒポポタマスは!と謗る方がいるかもしれないのでわかりやすく言うと、恋っていいよねえええぇぇ!キャアアアアッ、キャ、キャアアアアッッ素ッ敵だよねえええええええええええ!ニコニコニコニコーもうさ、もうさあああああああッッ何か何か何か甘々だよねえええッッ!という事です。


みたいな事を最近思っていて、まあそんな事を思っている36歳フリーター独身魚座B型末っ子長男太り気味は正直かなりヤバいんだけど、で、上記のような事を最近思っていたから、何でそういう会話の流れになったかは忘れたけど、意中の人にソレを言ったら「テメーはJ.Y.Parkかよ!」と言われた。

僕は甚だしく世間に疎くJ.Y.PARKが何なのか分からなくて、まさかここでどこかの観光名所である公園の話をする訳はなく、それに名前はなんか聞いたことあるけど何の人か全然知らなくて、語感からミュージシャンかな?バンドかな?と推察。もしかしたらその方、もしくはその集団が過去発表したる楽曲の中にそのような文言が含まれていたのか?と思い赤面。伝わるかわからないんですけど、この感じ僕好きなんですよ。指摘されて恥ずかしくなるやつ。


話を戻して、そういった少女漫画的思考回路というか、ふわふわした脳の素養は元から吉本純ことYJの中にはあるんだけど、もう最近はずっとそうで、ずっと恥ずかしいですよ。
見た目はおじさん中身はJK。それがYJなのである。YJのJはJKのJなのである。








この前の月曜日、ちゃんと社会人やってる意中の人の仕事終わりに夕餉を共にした。
職場から出やすいということで19時45分に渋谷駅に集合。
昔、カレー屋さんを渋谷で検索したところあまり数がヒットしなかった記憶があるんだけど、当日の昼間検索したら沢山出てきた。増えたのかナー!と嬉しくなり、何軒か美味しそうな店をピックアップ。
夜、渋谷に向かう電車の中でもう一度検索すると、数がぐんと減っており驚。どういう事かというと、昼間しか営業してない店多数だったり、カレーなくなり次第営業終わりの店多数なのであった。
そういえば昔検索したときも、夜に検索してたような気がする。

あちゃあ。と思い、じゃあどこで飯食おっかなあと考えてたら、そういえば前から行ってみたかった店あったな!と思い出す。

そこは、あっちの方なんて説明すりゃいいのかな、大きな歩道橋があるとこなんだけど、あのヒカリエの奥の、昔から大きな歩道橋あったけど今は凄く綺麗になってる歩道橋から見える、窓に『トンテキ』とでかでかと書かれた店。
言わずもがな、トンテキとは豚のステーキのことである。男子大学生垂涎の食堂みたいな感じなんで女性と行くような店ではないけど、前からずっと気になっていた。まあ、そこを提案してみようと思い、渋谷駅前で待機。


意中の人が現れて今日もやっぱり可愛い。髪型のセットも違うし鞄も違うし服も可愛いし、仕事終わりで疲れてるのにキラキラしてたので、合流して僕は「お仕事お疲れ様です。あと好きです!」と思わず言ってしまった。
思わず「好きです」と言ってしまったんですが、これは前に好きなドラマの話をしてて、意中の人は『のだめカンタービレ』が好きと言っていたので、そこでこのような台詞があったなあというパロディという要素が根底にあるので、恥ずかしくなく自分の気持ちを伝えられる便利な手法なのである。これで「好き」が解禁。ラッキーである。

女性と行くような店ではないんですが、と前置きして行きたかった店を告げると、いいですよーとなり移動。
店に着いて食す。美味しかったんだけど期待値が高すぎて普通だった。量が多かった。俺が大学生だったら通うなあと思ったけど、大学行ったことないからわかんないなと思った。


店を出てそのあとサ店に入る。珈琲を奢ってくれた。何の話をしたのか覚えてないけど、楽しくお喋りをしていたらあっという間に22時くらいに。意中の人は明日も仕事が普通にある。月曜日だし一週間がはじまったばかりである。
早めに帰ろうとは思うものの、帰りの電車の感じから渋谷から帰ると全然一緒に帰れないというか、渋谷駅までしか一緒にいられないよう寂しいようなどと思う。

なんかしれーと、ちょっと歩きます?と聞くと、なんと、いいんですか?と言われ、いやいやコチラこそいいんですか?と聞き返したるのち、手を繋ぎ歩きはじめた。

相変わらず何の話をしたのか忘れてしまいましたが、意中の人はサービス精神が旺盛というか、コチラが嬉しくなるような言葉を沢山呉れる。
「今日はこれ(夕餉の予定)があるから仕事頑張れました!」とか「この先の人生、こんな楽しいことあるのかなとか思っちゃいますねー」とか。
それについてはまあ絶対あるっしょと思う。だって何となくプラー歩いてるだけなんだから、もし僕とお付き合いしてくれたらこれから先はもっと楽しいですよ、なんなら今はスタート地点ですよ、と思う。

楽しくて時間の感覚がバグるので、30分歩いたのか一時間歩いたのか定かではないけれど、大江戸線が通る駅に着き、結局意中の人の最寄り駅までいけしゃあしゃあと着いていってホームでさようなら。遅くまで連れ回してしまい、明日の朝ちゃんと起きれますか?と聞いたら「じゃあモーニングコールしてください」と言われ、するするするー!と心がわっぴゃい跳び跳ねる。翌朝モーコー。寝起きの少し嗄れた声も可愛くて好きです。




その帰り、東中野から歩いて帰ってみたんだけど中野坂上からの方が近かったし、途中から雨がまあまあ降り始めて散々だったんだけど足どりは軽やか。
歩いてる最中に、あ!今日も写真とるの忘れた!と気づいた。
どういう事かと言うと、やっぱり寝る前とかに意中の人の写真を見たいというか、一日の終わりは意中の人の顔で終わりたい。あと単純に顔を暗記したいというか、黒子の数や場所まで覚えたいし目を閉じたらありありと瞼の裏に顔を思い浮かべられるようにしたいと思うので、写真が欲しい。

ここで、あまりのキモさにこの文章を読むのを止める方が続出しているとは思う。思うけど写真は欲しい。
なので、もう直截に「写真ください!」とLINE。「よくばりセット下さい!」とLINE。
よくばりセットとは、人は自分のスマホの中に必ず三枚くらいは見栄えの良い己の写真があるもので、その三枚ないし五枚くらいをセットで貰うということである。
よくばりセットを呉れ!とゴネれば、一枚くらいは写真を呉れると思ったのに、呉れた写真は何だか顔がちゃんと写ってないうつむき気味の写真であった。これにはYJ憤慨。激昂。今インカメで撮った写真でもいいのに!
でも、なんか下の方からスマホの画面を見れば顔が見えるような気がして、ま、これはこれで趣があって大変よろしいというか、ま、よしとした。





木曜日。夜に電話したら絶対会いたくなっちゃうなあとは思ってたんだけど、夕、個人的にちょっと不快になることがあり、こんな気持ちで意中の人と会うなんて勿体ないなあと思い、まあ、でも声は聞きたいなあお喋りはしたいなあと思うので電話。
不思議なもので、何でもない会話をしているだけでくさくさした気持ちが和らいでいく。
気づけば二時間くらい喋っていて、わ、だったら自転車走らせて会いに行けば良かった!と思ったし、言う。すると「会いに来てくれないの?」と返ってきて、イッヤー僕は全然会いに行きたいんですけど如何せん零時を越えているし迷惑をかけてしまうなあと思い、断腸の思いでコレを断る。会いに行かないのが決定したのでもう少しお喋り。


しばらくすると、ちょっと一呼吸おいて真面目な声のトーンなった意中の人が言葉につまりながらも、真剣な様子でこんなことを言い出した。

「あのね、いっぱい会いたいなあとか可愛いなあとか好きだなーって言ってくれて嬉しいんだけどね、なんかね、きっとね、この先私の好きの方が上回っていって、空気読めずにわがまま言ったりして嫌われたらどうしようとか、呆れられたりしそうで怖い」みたいな事を言い出した。



あのね、僕は、正直何を言ってるのかわからなかった。けど、わかる事があってこれはきっと呪いなのだと思う。

僕は心霊現象みたいなことは信じてはいないのだけれど、呪いはあると思っている。
なぜなら呪いとは相手に言われた言葉だからである。またはされた行動。

意中の人がこんな悲しい事を言うのは、きっと過去の恋愛の呪いなのだ。
どんな事を言われたのかは知らないし、どんな対応をされたのかも僕は詳しく知らない。でもこんな悲しい事を考えてしまう呪いがかけられているのだ。

確かに、人の気持ちとは少し先の事もわからない。心がわりは人の常である。
しかし。常套句ではあるけれど、人はいつか必ず死ぬけれど死ぬ為に生きている人はいないじゃないですか。
まだちゃんと始まってもいない恋愛に、相手に、恐れを抱いてしまうなんて、こんな悲しい事はない。この呪いをどうにか解いてあげたい。


僕に何が出来るのかはわからないけど、とりあえずYJ恋愛史の中で、相手に「好き」を上回れた事はほぼない。過去、いつだって俺の方が好きだった。俺の「好き」を上回れたら大したもんよ。

それに僕は対話を面倒くさいと思わない。嫌な事は言うし嫌な事は言って欲しい。その上で双方が納得出来る道筋をふたりで考えていきたい。それは大変な作業なんだけど、それは嫌じゃない。

そして吉本純はフェードアウトしない。
僕としては考えられないんだけど、世の中には結構な数なんとなく連絡が疎遠になり自然消滅をはかろうとする男がいるのである。ちゃんと交際しているにも関わらずである。
吉本純はそんなフェードアウトはしない。必ずきっかり完全暗転である。
そういえば関係ないけど、やさしい雨のコントもオチはきっちり完全暗転のものが多かった気がする。もっと照明を多用した方がいいと師匠に言われたことがあるな。



『呪い』の反対は『祝い』である。祝いの力でもって呪いを解き放ちたい。

僕は近々、好きです付き合って下さい!と中学生ばりの告白をしようと思う。
大人の恋愛にはそんな文言は必要ないと言う人は沢山いるし、その方がスマートだとは思う。
でもね、俺はね、そんなのは糞だと思う。

愛の告白は祝いだ。それがたとえ成就しようがしまいが、した方はともかく、された方は何かしらpositiveな気持ちになれるものである。自信になったりするものである。


もちろん上手くいくに越したことはない。
こんな駄文を最後まで読んでくれた方々には、目が腐る。嘔吐が止まらない。偏頭痛のはじまりはこの文章を読んでからだ、と思わずに、イッケエエエ!と応援してもらいたいものです。


その応援は、僕にとっての『祝い』となるんだから。




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