『運命の人』

物語に出てくるような人生はなかなか歩めないけれど、誰の人生にも、どんな物語にだって負けない素敵な瞬間が必ずあって、透明な気持ちでその瞬間と向き合いたいものですね。



まあ、何ていうか今から偏差値が低い人みたいな事を言うけどさ、それに俺だって子供の頃からずっと信じてこなかったけど、コレを聞いた後におっさんの戯言と鼻で嘲笑ってもらって結構だけど。まあ、聞いてってよ。


つまりさ。


俺が言いたいのは『運命の人』はいるってこと。











2021年11月18日。大安。かねてよりこのnoteで純度100%の惚気話しを垂れ流してきた例の彼女と入籍致しました。

友人知人先輩後輩、果ては家族から「お前は嫌な奴だから一生結婚出来ない」と言われ続けてきましたが、致しました。至った、とも言えますイェイ。

区役所の窓口で受理されてから10分程、僕と奥さんは「したねえ!」「したねえ!」という会話しか出来なかったくらいに何だか感無量で、そんな感無量の境地に至ったというのはコレ、度し難い程に頭が目出度いおふたりさんである。



実は今日、ザギンで結婚指輪を作って来た。シースーは食べなかった。
色々と見て周り、お互いが気に入る一生身に付けるItemを手に入れる事が出来て幸福だった。


問題は婚約指輪の方で、まあDIAMONDだね。
甲斐性なしの僕には到底用意出来なかったのである。


すると一ヶ月ほど前、僕の母親が、彼女の為に自分が貰った婚約指輪を譲ると言い出したのだ。
つまり数十年前に親父が母親に渡したDIAMONDの指輪を継承するというのだ。

まあ男として情けないけど、この提案には目頭が熱くなった。彼女は感極まり泣いていた。


そして入籍した日に、僕と奥さんは母親と一緒に渋谷にある百貨店でそのDIAMONDの指輪をリフォームしに行ったのである。
店員のお姉さんが、見た目も喋り方もK-PROの児島さんにクリソツで、指輪についてのアレコレ質疑応答が何だかお笑いライブのリハをやってるみたいで笑った。

これも母と僕と奥さんが色々と好き勝手言って、素敵なモノに仕上がりそうで良かった。

鑑定の結果、父親が頑張って用意したんだなあというのを察せられたりして何十年越しの、知られざる物語があったんだなあと感じた。



それが終わってちょっとお茶でもしようとなり、その百貨店の中にカフェーがあったので適当に入ると、店がPepper君だらけで珍しかった。
久々にこの何か哀愁のあるロボ見たなあと思う。
店のいたるところにPepper君が配置してあり店員の数の5倍くらいいた。
お店の名前も『Pepper Cafe』みたいな感じでどうやらソレを売りにしているカフェーのようだった。

カウンターで注文すると「お席でお待ち下さい」と言われたので、もしかしてPepper君がもってきてくれんの!?と期待したら普通に人間が持ってきた。ショックだった。

飲み物は、変なコンセプトを店につける必要がないくらい洒脱でしかも美味だった。

喉を一通り潤すと母親が徐ろに語りはじめた。それは僕に向けてではなく奥さんに向けてだった。


うちの母親はハッキリ言ってお話しが上手ではない。
お喋りだけど、主語がなかったり時間軸がバラバラだったり自分が分かってる事が相手も分かっていると思って喋るので要領を得ない。それに普段はバカ話ばかりで恥ずかしがり屋で真面目な会話を避ける傾向にある。


そんな母親が、つっかえながらも真面目に丁寧に言葉を選びながら何かを伝えようと奥さんに話しかけていたのである。



それは僕の母親と父親の物語だった。僕も知らない物語があった。
結果的にふたりは上手くはいかなかった。そんな話だった。
どうすれば良かったのか、なぜそうなったのか、そんな所見も随所に見られた。


とても長いような、でもあっという間の短い話のような。結局何を言いたかったのか最後はよくわからない感じで終わったけれど「私はあなたの味方だ」ということを彼女に伝えようとしてるのだけは凄く伝わった。

僕はそれを途中から黙って聞いていたけれど、正直に言うと泣きそうだった。
たまに少し遠くのPepper君がチラチラこちらを見るので泣くのを我慢出来た。何だよアイツ。


大切な事を伝えてくれた母親の話が終わり、そんなに真剣な事を伝えてくれた母親に僕も真剣に応えようと思った。

「俺はもしこの先、母親と奥さんが対立したら奥さんの味方になるからね」とハッキリ伝えた。
すると少し悲しいような、とても満足したような顔を母親はした。僕はその顔を一生忘れないで大切にしたいと思う。


カフェーを出ようとしたら、出口に独りポツンと項垂れたPepper君がいたので、どうした?と触ると「触らないで下さい」とピシャリと言われ笑った。


夜はふたりで馴染みのレストランでご飯を食べた。
素敵な一日だった。









冒頭、思わせぶりな感じで「物語に出てくるような〜」とか言ってたけど、そんなもんは当人の捉え方次第な訳で、いくらでも人生はドラマチックなのである。
こんなことを言うと自分の人生はドラマチックじゃない!とか言い出して器物破損を繰り返す無法者が僕の想像より出てくると思うのだけど、そんな方はその瞬間を透明な気持ちで迎えられていないだけである。

透明な気持ちとは何か。
感情と真正面から向き合い、受け止め、そして放出すること。

感情は普段から動かしていないと大事な時に絶対に素直に動いてくれない。見えないだけで感情も筋肉と一緒だと愚考します。
だからいいことだって悪いことだって損することも得することも喜怒哀楽の0〜100まで、意味があろうがなかろうが確りと味わって生きていかなきゃならないと僕は思うんです。できれば愉しんで。


僕はそれを一生共にしたいと思える人と出会う事が出来ました。運命の人です。
あたかも特別な事の様に書いたけど、こんな出来事は世の中のアチコチにあって、そして繰り返されてきた訳で。
ごく普通の当たり前のことなんですよね。


だからもし、こんな駄文を最後まで読んでるそこのあなた。あなたですよ。

もし、あなたがまだ運命の人に出会えていないなら、普通に、ごく当たり前のように、次はあなたの番だッと僕なんかはね、思うんですよ。








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