オレオのようでいてオレオではないモノ

日本に生まれ育ったならば誰しも一度くらいはコップにミルクをなみなみ注いでよお、そこにオレオをDUNKしたものに齧り付き「んほお〜」と感嘆したことがあると思う。
オレオとは言わずもがな、白くてあっまいあっまいクリームをちょっぴりビターなカカオクッキーで挟んだ『国民のおやつ』の事である。

御多分に漏れず僕もオレオが好きで、たまにとっても食みたくなる。ハミハミしたくなる。

そこで久しぶりに、生乳を熱処理したものをコップにたぷたぷに注いでよお、俺はよおッ、其れがテーブルに飛び散るのも吝かではないッ!てな勢いでオレオをDUNKッ!!してやろうと思って衝撃迸る。
稲妻が身体を走り抜けて僕は打ち拉がれてしまった。

何が起こったのか今から記すのだけど、話は今年のバレンタインまで遡る。







今年のバレンタインに彼女がお手製のチョコレートチーズケーキをプレゼントしてくれた。

美味しく作れる簡単レシピをネットの海から拾い上げ振る舞ってくれたのだ。
そのレシピで作るとオレオが必要で、彼女は近所のスーパーに買い求めたが売っていなくて、ならば近所のコンビニに向かうもそこでも売っていなくて途方に暮れていたのだけれど、ふと泣き腫らした瞼にオレオの紛い物みたいなお菓子『ノアール』が飛び込んできた。
彼女はそれでもってチョコレートチーズケーキを拵えてくれた。大変美味だった。

で、レシピ通りに作ると『ノアール』に余剰が出て、我が家のお菓子の定位置である電子レンジの上にそれから暫くノアールが鎮座坐していた。

ある時、小腹が空きノアールを一摘みするとどエラい美味で驚いた。記憶の中にあるオレオよりもクッキー部分がパリッとしていて食感も良く、一枚食べて小腹は満たされたのに脳が欲して、気づけば一袋を平らげていたのである。

紛い物でこんなに美味しいのならば本家のオレオはどんだけ〜と思う。しかしそれは当然の思考であろう。
大分前に、オレオの会社なくなったとかなんとか言うようなニュースを聞いたことがあるようなないような気がしていたりしなかったりしたので、もうあのオレオは食べれないのかもしれないと寂しく思ったものです。




それから幾何かの月日が流れ、ふと近所の薬局へ生活の品々を買いに出かけると何ということでしょうオレオが店頭に並んでいた。ワォ。
パッケージのブルーの感じがシックで決まっていた。控えめながらも味に対して確かな自信が窺え好感の塊。しかも安価ときた。同じ枚数でノアールは300円近くしていたのが、オレオは200円もしないというか何なら150円を少し飛び出たくらいで、その価格設定に俺はオレオを恋しがるあまり自分が狂ってしまったのかと不安になった。頭がかわいぽうな人になってしまったのかと不安になった。
深呼吸をして冷静さを取り戻すと、いや狂っているのはオレオ側だ!もしくは薬局だ!と気づき、で、即買い。
俺は興奮していて何の為に薬局に行ったのか忘れオレオだけ買って家に帰った。足早に。


そしてコップにミルクと胸いっぱいの期待を注いだ。早速びちょびちょにしてやろうと思ったけど、素で食べずにいきなりDUNKするアホンダラがあるかれボケと自嘲。
まずはそのままオレオに齧りついた。


ザクッ!!


一瞬何が起こったのか分からず固まってしまう。口の中に広がった味から受けたイメージと真摯に向き合ってみると、そこには荒涼とした砂漠がただただ広がっていた。ぼうとその風景を眺めていると軈て砂塵が舞って目に入りしかめ面。


そう、美味しくなかったのである。


何たる事か。紛い物であるノアールがあんなにも美味しかったのに、本家のオレオがこんなにも不味いなんて事があり得るのだろうか?
いや、そういう事は往々にしてある世の中には残念な事に。俺はその事を儚み、その無常に涙を流したのである。
試しにミルクにDUNKしてみるもののクッキー部分がボロボロと崩壊して、奴隷の食べ物としか思えないソレを前に倫理感も溶解。誰にも聞かれることのない声量でガビーンと呟くと、精神がささくれだった僕はそこから殺人以外のありとあらゆる犯罪に手を染めることとなる。




ここまで読んでオレオとノアールの真実を知っている方、もう少しお待ちを。
最近僕はその真実を知る事になる。




先日、オレオをハミハミしたくなり当たり前のようにノアールを買い帰宅。
其れを食べて幸福に包まれ「やっぱノアールだわ。美味だわ」と彼女に言うと「何でもっと違う感じにしなかったんだろうね」と言ってきた。
味はもちろんのこと、ノアールの見た目は完全にオレオだ。クッキー表面の模様もオレオ然としているし、パッケージもオレオの青の部分が赤になってる程度の違いしかなく完全にパクリましたよ感が満載なのである。


味が本家を越えているので、もう全然違う感じでブランディングすればいいのにとすら思う。恥ずかしながら、僕はバレンタインの一件までノアールの存在すら知らなかった。

ノアールに興味が出てきた我が家。すると彼女がネットの海から情報を拾い上げ、驚愕の真実を知る事になる。



オレオを作っていたヤマザキナビスコは数年前にナビスコとの契約が切れてオレオの販売が出来なくなってしまったらしい。
現在のオレオは中国の会社が作っていて、元々オレオを作ってきた会社はヤマザキビスケットと社名を変更して、オレオと似た商品であるノアールをオリジナルブランドとして立ち上げたのだ。


つまりわかり易くざっくり言うと、現在のオレオはオレオであってオレオではなく、ノアールはオレオではないけど本当はオレオなのである。

余計判りづらくなったねごめんね。俺の個人的な感想と妄想による解釈はこうです。



大人の事情でオレオを販売出来なくなっただけに留まらずその利権やレシピまでもが巨大資本に盗まれた訳だ。
しかし職人達は諦めなかった。元々美味しかったオレオをさらに改良して、より純度の高いオレオを完成させたのだ。それがノアールなのである。

全ての事柄において、進化し続けなければ如何なる事柄も退化していくのは世の理である。

現在のオレオは、苦労に苦労を重ね開発・進化してきたオレオではなく、レシピだけで作っている、数字だけで作っている魂の入っていないオレオなのである。完全に滞っていて『オレオ』という巨大な看板に完全に胡座をかいた巨悪なのである。
しかし、職人達には今まで培ってきたノウハウと何より無から開発し進化させてきた魂とPRIDEがあった。

確かにノアールの方が価格は高い。しかし食べ比べてみたら分かる。瞭然としている。その価値がある。価値がギンギンに光っている。


僕はノアールが紛い物だと思っていた。紛い物が本物を超えた例だと思っていた。それは間違いだったのだ。
本物が偽物扱いされ、その偽物を想像を絶する血と汗と涙の結晶の末、凌駕していったものがノアールだったのだ。本物が本物を超えていったのである。


これから我が家はノアール。ノアールを崇拝していく。ノアールを崇める宗教があったら入りたい。
ノアールとノアールに携わる全ての方々に称賛と感謝を、そしてこの文章の向こう側にいるオレオを愛する全ての方々に伝えたい。ノアール美味しいよッッと。


現在のオレオは、オレオのようでいてオレオではないモノ。そしてまたノアールも、オレオのようでいてオレオではないのだ。




完全に偏見に充ちているのと、個人の感想・妄想が入っているのは自覚しているので悪しからず。

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