育むひとら3

以前、noteで彼女と付き合いはじめるまでの『可愛いひと』という記事を全部で5話。付き合ってから『愛しいひと』5話。付き合いが軌道に乗ってから『育むひとら』2話を書いてたんだけど、そこで文章にするのに飽きて暫く書いていなかった。


依然、仲良しで御座います。


一緒に生活をしているから毎日絆は太くなってくしねー色々なところにデートに行ったしねー様々なものを食べたのー。
そう、様々なものを食べているのである。




昔、お笑いをやっていた頃に作った『魔法少女トゥインクル・マッチン』というネタの中で、憧れの彼に肩を噛みつかれた少女が「あ、愛って…突き詰めると食べる事ォ、な、ん、だ、なぁ…」と悟り、世界平和の為に農業系の大学に進むことを決意するという下りがあったのだけど(自分で書いててなんじゃそりゃと思うし笑える)、まあ実際に僕はそう思っている。愛とは食べることなのである。









『Il n'y a pas de magasin qui sert de la glace fondue』




これは「溶けたアイスクリームを出すお店はないわ」という意味のフランス語なんだけれども何だか格言めいた響きがある。
別にフランスの諺とかではないんだけれど我が家では有名な言葉だ。


春に浅草を遊覧した際、やっぱ浅草っぽいもん食みたいねとなり、豪奢に天丼といきましょうやとネットで調べたるところ、老舗中の老舗みたいな店が出てきたのでそこで昼飯を食べることにした。店前に着くととっても趣きのある外装と昼飯には少し早い時間にしてはまあまあな長さの行列が出来ていて期待もひとしお。



そして天丼を食べた。冷めていた。衣もモサモサというかタレでビチョビチョだった。そこそこの値段がした。ガビーン。



例えば僕が、人間を椅子のようにして侍らす貴族に飼われる奴隷だったならば、その天丼を涙を流しながら美味い美味いと貪っただろう。主人に忠誠を誓ったに違いない。
なぜなら奴隷というものは温かい食事に慣れてないのですべからく猫舌で冷めたもののほうが美味いと感じるからだ。タレでビチョビチョの衣も、12時間に一度手酌での給水しか許されていないのでタレの水分も有り難い事だろう。そして疎らに生えている歯で咀嚼しようもんなら揚げたて天ぷらのサクサクした衣で歯茎を痛める可能性があり、裂傷など拵えた折には不衛生な環境により疫病にかかって労働力=存在価値を失いかねない。

しかし僕は奴隷ではない。
温かいものが好きだし水も飲み放題だし歯も疎らではないのでそんな天丼はノーセンキューなのである。
咀嚼する度に顔面が灰色になった。彼女の顔面も灰色であった。店内を見渡すと店に入る前はキャッキャッウフフと血色よく笑っていたみんなが灰色になっている。従業員もウェイトレスである枯れたオバさんが嗄れた婆さんを叱責している声がバックヤードから聞こえてきて険悪。

しかし、ひとりだけ快活としている男がいた。僕の隣に座って天ぷら定食を食べている男だ。
なんと彼は美味い美味ヒィと言いながら天ぷらを頬張り、頬張ったものがアツアツの証左である片眼を軽く瞑り口をすぼめてオホホッホッみたいな、火男の様な所作をして嬉々としてアホ面を晒している。なにより天ぷらを噛んだ時にサククッと音がして実に美味そうだ。一体これはどういうことなのだろうか。

おそらく、老舗中の老舗であるこの店には毎日沢山の客が来店する。そのほとんどが天丼を注文するのだろう。長年膨大な数の客を捌いてきた経験からランチタイムの前には大量に天ぷらを揚げておくに違いない。そうしなければ到底店はまわらないのだ。天丼にのっていた天ぷら達は秘伝と思われるタレにビソビソに浸ってドス黒く濡れ、しかも冷めてる。
しかし、天ぷら定食に付随する天ぷら達はそんな事前に揚げた天ぷらではなく、オーダーされてからしっかりと調理するのではないだろうか。塩や天つゆで食べる天ぷらは、タレでびちょらせて時間の経過を誤魔化すことが出来ないからである。

なるほどな。そんな事情があったのだな。
そうなると『天ぷら』という調理法自体に欠陥があるように思える。揚げたてと時間が経ったもので味が違い過ぎる。まあ何だって調理したての方が美味しいけれど天ぷらは違い過ぎる。
しかも僕のような貧民に於いては、天ぷらというのは豪奢な気持ちになりたい時に食むものである。にも関わらず奴隷のような待遇に落胆の度合いがエグい。
ま、ま、ま、ここは一丁調査不足の自分に非がある事にしまひょうか。ネットの情報を鵜呑みにして繁華してる店みたいだしそんな変な物は出てこないだろうという浅薄さ、そして『天ぷら』という調理法の限界のせいでこういった天丼が出てきたという事にしてGAMANしようと彼女に話すと「まあ、でも、溶けたアイスクリームを出すお店はないよね」と、こう言ったのである。


あのね、僕はね、もうね、全身に稲妻が走ったよ。

京都人、イギリス人もかくやというような一流の皮肉だ。


アイスクリームも調理したてと時間が経ったものでは雲泥の差がある。何なら溶けてしまっては商品価値がない。けれどこの店はまるで溶けたアイスクリームを出す店のようだ。けどそんな店はこの世に存在しないですわよね?そうで御座いましょ?と彼女は言っているのだ。
凄い。言葉が鋭すぎる。
何か知らないけどその時の僕はその言葉をグーグル翻訳にてフランス語にしてみたら、格言ぽくなったのでふたりで発音を練習。
さっきまで灰色だった顔色が気づけば桃色になって呵々大笑。周囲から不審がられたのでそそくさと退店した。


彼女は時折こういった鋭い皮肉を言うことが出来る賢い人でそんなところを尊敬している。
それ以降時折出る彼女の一流の皮肉はフランス語に翻訳して我が家の家訓としている。










自分でこんな事を言うのも薄気味悪いのだけれど、僕と彼女はカレーに関しては一家言ある。
なんと、そのカレーが本当に美味いかどうか分かるのである。

や、んなもん誰でもわかるわッと怒鳴り込んでくる人がおられるかもしれないけれど、そんな、カレー好きでしょーラーメンも好きでじょーあどねーハンバーグでほーオムライスれそー死ぬ前にぽんぽんいっぱい唐揚げ食べたいのねんのねんのねんみたいな事を言いそうな人は鹿十と決め込んでいるので悪しからず。

カレー好きのふたりが付き合っているので相当な数のカレー屋さんに赴いている。
下品なのから上等なのまでカレーと呼ばれるものなら色んな種類のカレーを美味しく食べてきた。カレーと名のつくカレーはどんな種類でも好きなのだ。とても美味しくて印象に残っているお店は数あれど、ふたり揃って2度来店した店は実は一つしかない。


そこは下北沢にある『moona』という南インドカレーを出してくれるお店だ。ここのお魚のカレーが絶品である。感動する。

ここのカレーについて吾の拙い表現力で語るのは野暮なのでご賞味アレィとしか言えないのだけれど、ひとつ懸念がある。

このお店は店内とそこに至るまでがちょっと洒脱だし、カレーの街である下北沢の中でも検索すると上位に出てくるお店で、出てくるカレーも沢山のアチャールというか副菜というかそういったもので定食となっており映える。
なので沢山客が来る。ちょっとお洒落した大学生みたいなカップルであったり、付き合う前にこんな感じのお店にデート来ましたよウフフみたいな大学生だったり、サブカルどっぷり漬かってる風の大学生だったり。もちろん無骨な常連客風の独り身おじさんもいる。
しかし、やはり下北沢という街の性質からここのカレーを目的に来店というよりは、古着屋巡りが主目的のお洒落したいゾォって感じの若者が多いのである。

となると、俺と彼女がうめぇうめぇと何回言ったか分からないぐらいうめぇうめぇと言いながら食べてる横で、カレーもそこそこにお喋りに夢中になったり、あまつさえ口説いたりして、何となく、そう何となく!!美味しかったなあくらいの、何ならあんまりだったねくらいのリアクションで帰っていくカップルを3組くらい見た。
いやね、人それぞれ好みというものがある。けれど、このカレーはまず誰が食べても美味い。でもこのカレーは色んなカレーを経てから食べたらよりその美味しさが分かる!みたいなカレーで、メッチャおすすめなんだけどおすすめする人を選ぶカレーというか。
例えば僕の知り合いでギフト☆矢野という方がいるんだけれども、彼なんかは普通のカレーしかカレーと認めない感じの堅物というか、給食のカレーが至高だよねとか白い歯を見せながら本気で言いかねない感じの男で、彼にmoonaのカレーを食べさせたら決して美味しいと言わないだろう。なんなら不味いとか言いそう。多分残す。完食しない。連れていったら不機嫌になりそう。そういったカレーだし、矢野とはそういった男なのだ。矢野さんを連れて行くならやはり王道のカレーを極めた神保町ボンディとかだろう。前は下北の近くに住んでたからアレだけど引っ越しちゃったからカレー誘う機会はもうないのだけれど。寂し。
とにかく下品なのから上等なのまで色んな種類のカレーを経てmoonaのカレーを食べてみて欲しい。黄金体験になると思う。







鎌倉に旅行に行ったり、大久保・新大久保で流行りの渡韓ごっこだったり、ミシュランの星獲得したラーメン屋だとか、お気にのサ店の美味しいケーキ、家の近所の名店『Franky&Trinity』のオムライスだったり。そう、家の近所の飲食店の新規開拓も欠かさない。
お魚定食が美味い店もある。刀削麺のお店も美味い。山椒があまりに利きすぎて唇や舌が痺れてしまいペペペとなった彼女はとても可愛かった。
何となく、記念日には新中野にあるイタリア料理店『IL Vecchio Mulino』でコース料理を食べるのが我が家のしきたりになっていたりする。

もちろん外食ばかりしている訳ではない。毎日の食卓というものがある。彼女も僕も土日が休みなのでデートや外食は土日が多く、ということは平日は自炊している訳です。


矛盾を孕んだ表現になるけれど、家庭料理の域でよいなら僕の料理の腕前がプロ級に達した。先月なんて大人ふたりで食費が2万円くらいだった。
尚且、味もバリエーションも豊富で品数も多い。
我が家では肉のハナマサで肉を大量に買ってきて冷凍しておく。鶏胸肉の週、鶏もも肉の週、豚肉の週とあり、その合間合間に魚の日や牛肉の日や挽肉の日などがある。野菜もたっぷり〜たっぷり〜だ。
基本に因んで一汁三菜を心がけている。

我が家にはオーブンがないのだけれどグラタンなんかも作れる。
回鍋肉や棒々鶏なんかもCookDo使わず作れる。中華風の味付けは砂糖と酢のバランスなのだという真理みたいなものにも気がついた。
我が家で一週間スープと呼ばれているスープは、初日に大量に作ったスープが味やメンバーを変え、最終的にカレーになる。さらに普通のカレールートだけじゃなくグリーンカレーへと進化するルート、鶏ももソテーのソースとなるルートなど岐路が増えた。グリーンカレーは正直そのへんのへたなタイ料理屋や洒落ぶったカフェーで出てくるものより美味いと言い切れる。おお、言い切ったわ俺。

季節の野菜にも対応。この前なんか作ったことないのにレシピも見ずに山形ダシ作ってみた。きゅうりとナスとミョウガを細かく切って、オクラを茹で細かく切って、生姜と白ダシ・醤油で和える。凄く美味。冷奴や自作の鶏ハムにかけ食す。勿論美味。

最近よく作るのはデリ風のカボチャサラダ。カボチャの皮を剥きレンジでチン。
鍋で牛乳を熱しバターとクリームチーズをそこに溶かしてカボチャ投入。最後にミックスナッツを混ぜて完成なんだけどレーズンを入れてもいいかも。これはそのままでも美味い。デザートでも可。食パンに塗ってもいい。もちろんレシピなどなく何となく作ってみたら美味だったので我が家の定番となりそう。


おかずは多かったら翌日の彼女のお弁当となる。


夕飯の写真を彼女は必ず撮る。用途不明の夕飯の写真で彼女のスマホフォルダはいっぱいだろう。
自分で言うのもなんだけど、俺の夕飯は美味い。毎回彼女は美味いといってくれる。そして「ありがとう」も忘れない。食器を洗ってくれる。僕も「ありがとう」を忘れない。当たり前の事じゃないのだ。そんな当たり前の事を知っていて実践している彼女を尊敬する。






鎌倉旅行へ行った時に、ああ、俺にはこの人しかいないなあと思うエピソードがあったのだけど、いつも通り長くなってしまったので、それはまた今度。





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