『解散』について思うこと

正解のない事柄について想う時、人それぞれ意見があっていいし、生きていると人生は正解のない事柄だらけだったりする。つまり世の中の事柄ってほとんどが人それぞれ勝手に想っていい事だらけなのだ。



今日、というかもう昨日だけどういろうプリンが解散を発表してて僕はTwitterで知った。こんな駄文を読んでる方でういろうプリンの事を知らない人はいないと思うけど一応説明すると、東京のお笑いライブシーンではその名を知らぬ人はいないだろうと思われる人力舎の面白い漫才師である。そのういろうプリンが解散したのである。


僕は『解散』という言葉が嫌いでね。僕がかつてやっていたお笑いコンビの「やさしい雨」が解散した時に、やさしい雨解散かあと言われるのが本当に嫌だった。
何を言ってるんだコイツは?と思うだろうけどコンビの『解散』って、敗北感がとてつもない言葉じゃないですか?
互いにお笑いを続けていく上での解散なら『解散』でいいんだけど、やさしい雨のように、単純に僕が敗北してお笑いを辞めるだけなのに、その結果としてやさしい雨がなくなるだけなのに、やさしい雨解散と言うと何だか相方の松崎君まで敗北したような響きがあって凄く嫌だった。違う!と。敗けたのは俺だけだから!と。

だから「やさしい雨解散」というのは、僕としては「吉本面白くなくてお笑い辞める。よって現行のやさしい雨は一旦終了」みたいな言い回しをして欲しかった。面倒臭いし、そんなに文字数使ってらんないし、結果解散なんだから『解散』なんだけど、そういう気持ちだった。


お笑いコンビが解散すると、寂しい!とか勿体ない!とかもっと見たかったのに!という無責任な意見をお笑いファンの方々の間で散見するけど、こんなにありがたいことはない。素晴らしい。そんなに尊い気持ちはない。元来ファンとは無責任なものであるし、無責任であるべきである。

なのに、その尊い気持ちを逆手に取って「そんなに寂しいとか、好きだったって解散してから言うなら、もっと前から声を大にして好きって言えよ。劇場に足はこべよ。金使えよ」なんどという脅迫まがいの意見が飛び出たりする。それは芸人からとかお笑いファンからとか、全然興味のない人からとか。


こんな意見は糞だ、と僕は思っている。


そもそもお笑いで成功するというのは現実的に言うと、人気者になる、もしくはその面白さが世間一般に広く評価されお金を沢山稼ぐということでしょう?
お笑いを辞めるという決断をした時点で、そうではない訳だし、敗けを実感して辞めるのだから、ライブシーンで多少の人気があったところで当人の意見は変わらない。上の意見は的外れもいいところである。
さらに、芸歴10年を超えるような売れてない芸人の、お笑いを辞める辞めないという決断はそんなものには左右されない。辞めたいから辞めるのである。

ファンとは尊いものである。ファンという気持ちが尊いのである。

もちろん、ファンの言葉は力になりそれを糧に頑張れる。普段から声を大にして言ってもらいたいものであるけど、そこに責任は生じない。おのおのが好き勝手にやるべきなのだ。



だから勝手に言わせてもらうと、ういろうプリンの解散は寂しい。もっと見たい。何でやめるんだ!なんどと、いちファンとして思うんですよね。
ふたりとも幸せになって欲しいなあなんて思うんですよね。

野暮ですけど。そんなに関わりないけど。




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