やさしい雨が結成した時の話

東京アナウンス学院(アナ学)のお笑い科というものがかつてあって僕はそこの卒業生だ。相方である松崎君とはそこでコンビを組んで、のちに太田プロに入った。
養成所としては異例の専門学校というくくりで、なんとアナ学を卒業すると短大卒の資格がもらえる。特に意味はないんだけれど、夢見る高校生が親に学費を出してもらうにはとても良い口実を提供してくれる。
東京アナウンス学院はそんな夢を追いかける若人を応援してくれるとっても良い学校なのです!ここまで言えばアナ学関連の人が支援してくれることでしょう。

アナ学には当時他に、アナウンス科や演技科やダンスパフォーマンス科など多数あったけど、生徒の大部分を占めるのは声優科の生徒達だ。7~8割くらいがそうだった気がする。こんなこと言うとアレだけど、今でこそ声優さんや声優を目指す人などはそれこそ男女共に声はもちろんルックスも良いというかそういう感じだと思うんですが、こんなこと本当は言いたくないんですが、僕らが学生の当時は、まだオタクっぽいというか暗そうというかまあ簡単に言えば芋。芋ですね。芋っぽい人が多かった。そんな芋達が全国各地から集ってくる訳で、はじめて仲間や恋人と呼べる人が出来たりして、今まで不遇をかこってきた青春をこれでもか!とアナ学で取り戻そうとする。
恋愛が顕著で、もう至るところで彼らはチュッチュチュッチュしとるんですよ。全く怪しからんですよ。
みんなの休憩所であるロビーの窓際のカーテン裏でチュ。喫煙所になっていた屋上でチュ。トイレでチュ。廊下の死角でチュ。人がいようがいまいが夕暮れの茜射す山手通りでチュ。ってなもんですよ。最後はちょっとロマンチックだな。羨ましいな。

まあ多分俺の認識の間違いで彼らは声優科じゃなくてキス科だったんだと思う。
キス科の生き物ならキス科の生き物らしく、身体を細長くして沿岸の浅い海で暮らしてゆくゆくは天ぷら等になって美味しくなればいいものの、彼らは仲間を大事にする習性があるのか、断れないだけなのか、人が良いのか、キス科ではマルチ商法が大流行した。大流行して信用をなくすもの、借金を抱え込むもの、夢を見るどころじゃなくなって田舎へ帰るもの等続出していた。僕はね、ネズミなのかキスなのかハッキリして欲しかった。まあ今ではそんなことはないと思う、健全で明るく夢に向かって突っ走る若人達で溢れる素敵な学校だと思う。



ちょっと主題と全然違う話をしてしまいましたが兎に角、僕が通ったアナ学というのはそういうところだった。
お笑い科は入学早々、河口湖だか山中湖だかにある合宿所で一泊二日のオリエンテーションを行うのである。新宿にある校舎前からバスに乗って向かうのだけど、このバスの席がかなり今後を左右した。なぜならみんな尖りに尖って入学してくる訳で、自分が一番面白いと思って入ってきて、まだ顔も名前もわからない奴らと一緒になる訳である。

僕は集合時間ギリギリに行った。なぜなら少し遅れてやってくる奴の方が格好いいと思っていたからだ。キャッ。
バスに乗り込むと後ろの方の席はもう占領されていて、かといって前の方には座りたくないなあ。みんなヨソヨソしく、俺の隣には座らせんぞ!みたいな感じで2列2列の通路側のシートに座ったり荷物を隣に置いていたりした。う~む、どいつもこいつも面白くなさそうだ。相手もコイツは面白くなさそうだと思っているんだろうなと思いながら僕は中頃に空席を2つ見つけて、あ、空いとると思ってそこに座った。
そしたら、俺と全く同じ思考のちょっと遅れてくるぐらいが格好いいと思ってる痛い奴がもうひとりいて、それが後にコンビを組むことになる遠藤だった。
遠藤は切れ長の目の背が高いシュッとした奴で、さっきの俺同様中頃までやってくると、もう2つ空いてる席はないことに気付き暫くキョロキョロしたあと俺の隣に座った。

このバスで隣合ったもん同士でコンビを組んだ人達が多かった気がする。
なぜならこのオリエンテーションが終わって通常の授業の一発めでネタを作ってきてやってもらうと言われたからだ。
なので、とりあえずバスで隣合って少し打ち解けた人とネタを作ってみようか、となるのが自然な流れだった。


松崎君は、その最初のネタ見せでピンネタをやっていた。その頃の彼はパンパンに太った角刈りの男で、九州男児丸出しだった。九州男児感が凄かった。ネタはそんな感じとは裏腹に凄い作り込まれていて優等生というか、そんな感じのネタをやっていて講師の先生に一番誉められていた。僕は松崎君の第一印象は「まあコイツとは絶対コンビ組まないだろうなあ」だった。なんかドヤ顔が鼻についた。


僕が遠藤と組んだ『ババンコク』というコンビは結構トントン拍子で毎月行われる学生ライブのお客さんの投票でも割と上位の位置につけた。
僕らの学年の筆頭は現在もマセキ芸能社に所属している『あきげん』というコンビだった。僕は僻みでも妬みでもなく、あきげんのネタを面白いと思ったことは一度もない。一度もだ。だけど個人個人は面白いと思っている。あきげんのボケ担当の秋山は、一緒に暮らしていた女性と口論になり、お湯を沸かしに一度台所まで行って戻ってきて再び口論をして、お湯が沸いたらわざわざとりにいってぶっかけるとかいうサイコ野郎だし、ツッコミの石井元気は東京に出てきてはじめて出来た彼女がGカップだと自慢していたので、これは妬みから俺と遠藤が「まあ、元気くんはGが好きだからなあ。まず元気のげはGだし、彼女はGカップ。そんでGジャンGパンGショックで野球はやっぱりジャイアンツが好きなんでしよう?元気と彼女でペアルックでGジャンGパンGショックでGのロゴマーク着けたキャップかぶって野球観戦して家に帰ったらGだらけの部屋でGカップねぶるんかい!」とからかっていたらマジギレするような可愛い奴だ。なのにネタは全く面白くなかった。よくお客さんにはウケてたけど。
二位は『連戦姉妹』という姉妹の漫才コンビだった。先日長い闘病生活の末、ツッコミ担当である妹の方のわかなが天国へ旅立った。連戦姉妹は面白かった。女性のツッコミって入りづらくて流れやすいんだけど、わかなはツッコミが上手かった。わかなの笑ったエピソードで僕が覚えているのは、何度か手術をしているのだが、頭に溜まった髄液をおしっこと共に体外へ排出できるように身体の中にパイプを通すという大手術をしたそうだ。髄液は無色透明そして無臭なので、彼氏とエッチをしてるときに自分が今、愛液で濡れているのか髄液で濡れているのかわからない!とガハハと豪快に笑うわかなに俺は感動して感銘を受けつつ俺もスゲー笑った記憶がある。そんなに接点はなかったけど、格好いい女だったな。

そんな、あきげん、連戦姉妹、ババンコクが僕らの代の三本柱だった。


アナ学は二年制で、調子がいい奴らからどんどん事務所が決まっていく。一年の終わり頃ババンコクは所属する事務所が決まった。遠藤はナベプロを狙っていてナベプロのライブのネタ見せ等に通ったりもしたけれど最終的にババンコクは、サワズという今はない事務所に決まった。僕らが入った時、サワズにはお笑いはユートピアさん、BOOMERさん、磁石さんしかいなくって、色々と優遇してくれそうだった。
現に入ってすぐ、二年生の初め頃にサワズの社長から「爆笑オンエアバトルの前説にいかせるから一回見学ね」と言われ見学に行ったら「前説の次は本番出るから強いネタ用意しといてね」と言われ、前説行く前にババンコクは解散した。このあとやさしい雨で爆笑オンエアバトルに挑戦するのは実に四年後となる。やはりチャンスは逃したらそれくらい巡ってこないのである。


さあ、何で解散したかと言うと、方向性の違いだった。や、バンドか。と最もなツッコミが聞こえてきそうですが、その通りだから仕方ない。ババンコクはコントをやっていたのだけれど、遠藤はもともと漫才がやりたかった。俺は最初からコントがやりたかった。コンビ組み立ての頃は漫才もやっていたけど、ふたりとも下手過ぎてすぐコントに。ネタは完全に遠藤が書いていたから、遠藤がヤル気がなくなってしまえばババンコクはそこまでである。

ババンコクが解散する前、このままだとマズイとなり1人加えてトリオにしよう!という案が出た。


ふたりで協議を重ねた結果、このふたりの内どちらかだな、と。
ひとりめが菅田といって人殺しみたいな奴だった。明らかに社会不適合社で人ともあまり関わらない孤高の存在だったけど、発想だとか言い回しが面白くてババンコクにはない要素だった。
そしてふたりめが松崎だった。松崎はピンでやったりコンビでやって解散したりしてその時はピンだった。授業で一回松崎と俺でコントをやらないといけない時があって、その時に結構しっくり来たのと俺も遠藤も結構シュッとしたふたりだったから、松崎の見た目は大きなアクセントになる。

そんなトリオにしようかどうしようか、と言ってたら事務所も決まって今度オンバトいかせるからみたいな話がドンドン進んでしまい、俺らは早めに解散した。

そして、僕はひとりでやるつもりはなかったから、誰と組むかなーっとなった時に、コンビなら松崎だろ、と思って僕が松崎君を誘いました。主題は引っ張った割にアッサリですいません。


今ではオタクキャラ全開ですが、当時は隠していた。
というのも、組んで一年か二年くらい経った時にアキバ系のネタやってみようか、と俺が言ったら、何か意外とアニメとか秋葉原駅とか詳しくて、え?何お前オタクなの?と聞くと、しぶしぶ頷いたのである。
なんなら松崎は九州出身だからお笑いやるなら大阪いけばいいものの、わざわざ東京にあるアナ学にやってきたのはオタクの聖地秋葉原にいけるからだった。

なんでそんなキャラあるのに隠してたの!と問い詰めると、なんと彼は恥ずかしそう「お前に嫌われると思ったから。オタクだとバレたら怒られると思って」と言ったのだ。スゲー笑った記憶があります。


僕はコンビを組むと決めた時に『松崎と解散したらお笑いを辞める』と決心してコンビを組んだのです。そういう覚悟のもとにコンビを組んだ。コイツと売れる。コイツを売る!と。
まあ、まさか自分から解散を言い出すとは当時全く思いませんでしたが。
まあこういう結末になった通り僕はお笑いをやってきて何ひとつ結果は残せませんでした。しかし、ひとつ、功績と言えるのは、松崎を見つけたことだと思います。僕は面白いものを見る目だけはあるんですよ。


そんな松崎が一度だけ、お笑いを辞めると言ったことがあったんですが、それはまた別の機会に。

次回はコンビ名について。

よろしければ支援していただけると、なんと僕が人間らしい生活をおくることが出来ます!にんげんになりたい!