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ミャンマーについて

1.歴史

1948年
イギリスから独立。
1962年
ネ・ウイン将軍のクーデター。ビルマ社会主義計画党の一党独裁体制となる。
ビルマ式社会主義が行われる。鎖国状態となり経済は停滞した。
 
※ビルマ式社会主義
ビルマ式社会主義は科学的社会主義と異なり、唯物論を否定し仏教を根幹に位置付ける。東側諸国の異端であるユーゴスラビアを除き、東側諸国とは疎遠であった。国内ではビルマ共産党と敵対しており、文革以降ビルマ共産党を支援する中国とも関係が良くなかった。
アメリカに対して瀬戸際外交を行い、ビルマ共産党討伐と引き換えに支援を引き出すなどしていた。

※ビルマ共産党
1939年にアウンサンを総書記として結成。
毛沢東の死後、ビルマとの関係改善を志向する中国からの支援が減らされ、麻薬を主要な資金源とした。麻薬を主要な資金源とする中でインド系の指導部と、被指導部である麻薬生産地域の少数民族の力関係が次第に転換。最終的にインド系指導部が追放され、1989年にビルマ共産党は崩壊した。少数民族からなる後継勢力がワ州連合軍としてシャン州の一部を統治している。

1988年
1988年8月8日に始まった「8888民主化運動」によってネ・ウインは退陣し、ビルマ式社会主義は終焉した。しかしソウ・マウン国軍最高司令官がクーデターで権力掌握し、民主化運動は鎮圧され新たな軍政が始まる。
2007年
サフラン革命。サフランは僧衣の色から。燃料価格の値上げにたいして僧侶含め人民が大規模デモ。軍に鎮圧されたが、民主化が始まる。
2011年
民主化。
「アジア最後のフロンティア」として外国資本が流入。もちろん日本帝国主義も参入。
2021年
クーデターにより軍政が始まる。軍政反対のスト・デモが闘われている。

2.民族 

大きく分けて8つ、細かく分けて135の民族が住んでいる。
人口のうちビルマ族が7割であとの3割が他の民族。
イギリスが分割統治のために一部の民族だけキリスト教に改宗させるなどした影響が今も残っている。
国軍とは別に、少数民族の独自の民兵組織が複数存在する。国軍の支配が及ばず民兵組織が支配する地域が今もある。

3.ミャンマーかビルマか 

文語体がミャンマーMyanma(မြန်မာ [mjəmà])で、口語体がビルマBama(ဗမာ [bəmà])。
元々はいずれもビルマ族を表している。
なお、ビルマ語は文語体と口語体の使用域を厳格に区別する言語らしい。

3.1.ビルマ語の国名 

独立運動の中で、将来独立したときの国名をどうするのかという話になる。
1930年代、アウンサンらの指導する独立運動団体タキン党は口語体のဗမာ (Bama)をビルマ族に限らず少数民族まで包括する名称だとする新しい解釈を与えた。
一方、1948年の独立時に、当時の政権は文語体のမြန်မာ (Myanma)をビルマ族に限らず少数民族まで包括する名称とする新しい解釈を与えた。それで、ビルマ語の正式国名はမြန်မာ (Myanma)となった。

3.2.外名(英語名) 

一方、外名(英語名)は日本軍占領時の傀儡政権がBama、1948年の独立時がUnion of Burma、1962年のクーデター後がSocialist Republic of the Union of Burmaというように、BamaやBurmaが採用されていた。
ビルマ語を話さない少数民族からは、ビルマ語名のMyanmaよりも英語名のBurmaの方がなじみのある名称であった。
1988年のクーデター後、1989年に軍事政権が英語名をBurma からMyanmarに変更したが、これは少数民族からすればビルマ語国名のMyanmaを押し付けてくるものであり、ビルマ族が少数民族を支配することを意味した。

外名変更に対し、米英仏豪加などは軍事政権を認めない立場からミャンマーでなくビルマと言い続けたが、その後2011年以来の民主化のなかでミャンマーと呼ぶ例が増えてきた。
独日露中印などは早くからミャンマーを採用している。

権力者はさておき、労働者人民で軍事政権を認めない立場から、ミャンマーでなくビルマという呼称を使い続ける人々もある。

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