希望と絶望のループ〜魔法少女まどか⭐︎マギカ〜

 こんばんは、椎名花です。

 ふと、「希望と期待を持った時に能力は発揮され、絶望した時に溺れてしまうもの」という仮説が立ちました。

 大タイトルを持ち出して、自分の話をするのもあれなので、その流れで思い出した大好きな「魔法少女まどか☆マギカ」について考えてみようと思います。

この記事はネタバレを含みます


「魔法少女が希望を振りまく存在だとすると、魔女は絶望そのものさ」

 そんなことをきゅうべえが言っていた気がする。

鹿目まどかの希望
初期 何の役にも立てなくて、人の役に立てる存在になりたい

美樹さやかの希望
片思いの幼馴染の恭介を助けたい→助けた人になりたい?
恭介のバイオリンをまた聴きたい?

巴マミの希望
生きたい

佐倉杏子の希望
父親の説法をもっとたくさんの人に聞いてほしい

暁美ほむらの希望
鹿目まどかの安否

 こうやって書いてみると京子ちゃんとさやかちゃんは、他者を祈りの対象にしている。

「魔法ってのはね、徹頭徹尾自分のために使うもんなんだよ。他人のために使ってもろくなことにはならないのさ」

的なことを杏子ちゃんは言っていた気がする。

 このあたりから、杏子ちゃんとさやかちゃんのラストシーンが見えてくる。

 杏子ちゃんは、さやかちゃんのことを最初は、他人の為に祈りを使う愚か者だと思っていたのかな。杏子ちゃんは、自分の生き方を正当化するためにさやかちゃんと対立し、ボコボコにしなければならなかった。

「今から、坊やの手も足も潰してやって、それこそあんたなしじゃいられない体にしてやるのさ」

 杏子ちゃんは恭介君の家の前でもやもやしているさやかちゃんに、こんなことを言って、二人は決闘に向かう。だったかな。

 そして、決闘の場でまどかが現れ、さやかのソウルジェムをトラックの荷台に投げおろす。

 そして、ソウルジェムという魂と、その器である体に分かれたのだという事実が判明する。

「ゾンビにされたようなもんじゃないか」
「修復可能な体だから、戦いを生き抜けているんだよ(要約)」

 第一の真実に戸惑う杏子ちゃんとさやかちゃん。

 「魔法は自分のために使わなければならない。自分は間違えてしまった」
というのが杏子ちゃんの主張。

 「魔法をじぶんのために使わない。そのためにも他の魔法少女にも頼らない」
というのがさやかちゃんの主張。もしくは……正しくありたいという強がり。

 さやかちゃんにとって、希望と期待の存在であった魔法少女像となった巴マミへの思いが逆に固定観念となってしまっていた。

 まどかの安否を最優先する、ほむらちゃんの行動を何もかも勘違いして他の魔法少女=悪という考えになってしまった。

 善人の悪いところは自分の正義感が強すぎるところだと思う。正義感というと響きはいいが、ただの自身の固定観念でもある。しかし、正義を執行することが彼らにとっては幸せなのだ。

 そして、さやかちゃんは、ひとみと上条恭介が結ばれてしまい、自分の祈りが何だったのか分からなくなってしまい、絶望に身を落とす。

 祈りとは何なのだろうか。わたしは、祈りとは、自分のそれてしまった座標をゼロに戻すことだと思っている。自分は何を願っているのか、望んでいたのか。自分は何に希望と期待を見出したのかを思い出す行為だと思っている。

 わたしは、別にその日その日で生きているし、夢も3日経てば叶うようなものばっかりだから、祈ることはそうそうない。

 だけれど、彼女たちは、命を懸けた、魂をかけた願いなのだ。

 祈りが、座標から外れていくほどにソウルジェムは濁っていく。

 だから、何か大きな行動をする時は、自分の根本の希望と期待を明確にすることが大事なのだろう。

 なんか、好き放題かいていたら1500字になってしまった。

 疲れたのでここまで。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。もしかしたら続くかも。

 ありがとうございました。

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