【もはや芸術】願いと欲望と罪と罰を表現した名作:サイレントヒル2①

こんにちは、椎名花です。
この記事は、PS2のゲーム、サイレントヒル2の結末を知っている方に読んでほしいと思っています。
こんな記事でネタバレを知って芸術的な本編をみて余計なフィルターがかかったらもったいない。

これがホラーゲームの曲なんだぜ、、、

はじめに

この記事は、サイレントヒル2のネタバレ考察を
内容に関してはすごく不親切にするものです。
人間のそもそもの心理についてふれていきます。
・ネタバレ考察を見まくったし本編もプレイしたけどそれでも足りない!他人の考察が見たい!
という方におすすめです。

サイレントヒル2が芸術たる所以

それは、
ホラーゲームという枠に収まっても素晴らしい怖さを保ちつつ、枠を超えても人間の欲望、願い、そして罪と罰を描いているということに他なりません。
それぞれの恐怖演出やストーリー展開がメタファーとなっています。
この記事では特にメタファーに関することを掘り下げていきます。

サイレントヒルってなんだったの?

罪や欲望の存在を自覚させる場所ではないでしょうか。
サイレントヒルに誘われてきた人たちは、
いろいろな形で心や身体の安全を危うくされます。
ただ、一人だけ自由に街を探索できる人物がいました。
ローラです。
ローラは自覚するような罪を犯していないから怪物は見えない、というのは有名な話ですよね。
サイレントヒルが呼び起こすのは、あくまで、心の底にある罪の意識なのです。そして、罪を重ねるのか、罰を与えられたいのか、解放してほしいのかも登場人物によって違います。
登場人物の罪や願いを通してサイレントヒルがどう見えていたかをあまりにもあっさり連ねると
・ジェームス
自覚したこと:妻を害してでも自分を守った自分への罪の意識
罪:看病に疲れた果てに妻を○害した
サイレントヒル:異形に襲われながら、霧だらけの表世界と血と錆にまみれた裏世界をメアリーを探して行き来する
→続編で考察します
・エディ
自覚したこと:肥満体型とうまく言い返せない自分の劣等感を煽る存在を害してでも自分を守りたいということへの罪の意識
願い:安心安全に過ごしたかった
欲求:認められたい、受け入れられたいという欲求が屈折していた(のかな、と思っています)
サイレントヒル:自分をけなす人が見えるので、彼らを撃ちながら死体の山ができていく場所
考察:劣等感という自意識と、さらにそれを人を害してでも克服したいという欲望への罪の意識を増大させるように見えていた
・アンジェラ
自覚したこと:安心できないのは自分のせいだという罪の意識
理由:父から長年○的虐待を受けたのち、父を○害、この結末は自分のせいなのではないかという罪悪感
願い:安全な家で両親に安心させてほしかった、自分は変わらなくていいと思わせて欲しかった
欲求:安全な場所で安心したいという欲求が、深い心の傷からずっとあるのではないかと思っています
サイレントヒル:欲求とは対照的に燃え盛る炎の中で父親に見える異形に襲われる
考察:虐待を受けて育った子供にとって安心安全だと思える場所を手に入れることは難しく、火事(=安心でも安全でもない)の中でトラウマを蒸し返しながら、人を害しても安全も安心も手に入らないことへの自意識、親を害したために家族という形まで壊してしまったことへの罪の意識を増大させるように見えていた。
火事=建物=家、意識はずっと生育環境にあるがその家は火事でどこに行っても安心できない、自分が悪いから結局安心できなかったという根本の性格的な罪悪感を暗喩してるのかも!

そして、罪や欲望を自覚させるのは道徳や倫理といったものではないでしょうか。

人をいじめたりして害しても安心は手に入らないし、自分に自認する心がないと蔑まれているのではないかと不安になることは自分にもあります。

あてずっぽですが、比喩を考えるのはとても楽しいです。
なんて最高の作品なんだ!!

次回予告

文字数が多すぎたので、次に行きます。
よければ見に来てください
マリアの話もしたいですし

次回、欲求は願いを生み、願いは欲望を生み、欲望は罪と罰を生む




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?