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空が動かない

 夜、歩きながら空を見上げると、大きないわし雲が薄く広がっていた。で、ぼんやりと眺めているとふと思ったことがある。最近の自分、空眺めてないなあと。

「月が浮き立って見えるなあ、空が澄んでいるからかなあ、秋だなあ」くらいに思うことはある。最近はひとつだけ目立って明るい星があるので(名前は知らん)、それを見るのも好きだ。

 でも、子どもの頃はもっとちゃんと空を見ていたはずなんですよ。
 いまの私は基本的に、夜に浮かぶ月や星くらいしか目を向けていない。昔はふつうの昼の空でも、大してキレイな風景でなくてももうちょっと空に意識を向けていた記憶があるのに。

 幼い頃は、雲が動くのをぼうっと眺めるのが好きだった。風が強い日はおそるべき速さで雲が流れて、少しずつ形がくずれていったりする。そういうのを見るのが好きだった。
 最近はどうだろう。最後に空が動いたのはいつだ? もう五年くらいは動いていないかもしれない。

 思えば道端の花とかも全然見なくなったな。自分の世界ではもう何年タンポポやマーガレットが咲いていないことか。「マーガレット」っていう響きがもう懐かしすぎる。


 でも逆に昔より意識するようになったことがあって、それは音。
 車の走行音。木が風でゆれる音。マンホールの下を水が流れる音。この季節だと、虫の声にも意識がいくようになった。
 原因はやはり、昔よりも音楽をたしなむようになったからだろう。

 ちょっとした環境音に耳を向けるたび、聞こえているのに聞こえていない音がたくさんあったんだなあと感じる。「音」とすら思っていない、まったく意識の外の音がね。
 そういうなんでもない音も、意識して聞いてみると不思議なハーモニーのように感じられて、「あれ、この世界ってもしかして音楽であふれているのでは?」って感じますよね。
『4分33秒』という曲の存在を知った時、「ほーん(芸術家様の考えることはようわからんわ~)」くらいに思っていましたが、いまならほんのちょっとだけわかります。いやわからんけど。


 同じものを見ていても、そこから得られる情報量は知識や興味の有無によってまるで変わる。
「白って○色あんねん」的なヤツも、自分は曲がりなりにも絵を描く人間だからわかるんだけど、「何言ってるんやコイツ……」って思う人も中にはいるんでしょうね。

 同じ時間に同じ道を歩いていたって、その風景で何を見て何を見ないかは人によってまったく異なるのでしょう。
 自分はあらゆる方向において知識ゼロ人間なので「雲がわたあめみたい!」「なんか変な虫おる!」「あれムクドリじゃね?」程度のものですが。

 日常からちょっとした「いいもの」を見つけて作品に昇華させる力がクリエイターには大事なんだろうな。自分には無理です。
 まあでもなんでもない日々を楽しく過ごすに越したことはないので、もうちょっと感性をみがきたい。
 そのためにとりあえずおそら見る。

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