ブラックな話は、自分のブラックな部分を肯定してくれるから、少し楽になる。

例えば、エドワード・ゴーリーの絵本はかなりブラックな内容だが、あの絵本が人気なのは、誰もが心に持つブラックな部分を肯定してくれるおかげではないか?

自分の持つブラックな部分「凶悪性」が、まるで絵本に映ったように見えて、そのおかげで自分の気持ちが悪いものじゃない、あって仕方ない物だと認識できるのだと思う。人は認められることで、負担が減る。


僕が思うに、人は誰にも、胸に凶悪性を秘めていると思っている。

そして多くの人が、それを否定する事で自己…というより健全性を保っている。しかし様々な理由、影響によって、その凶悪性は暴発寸前に至ることがある。

その時、その凶悪性の暴発を防ぐのは何だろうか?説得?快楽?忍耐?違う。「共感」だ。


誰かに自分の凶悪性を認めてほしいのだ。周りの人間の評価によって成り立つこの世の中、周りの評価は絶対と言ってもいい。誰もが見て間違っていることは、間違い。悪なのだ。

でも、たった1人だけでも、認められることで肯定性が生まれる。「あなたの凶悪性は誰にでも心に持っているもので、安心して下さい」と言ってくれるだけで、楽になる。結果、凶悪性の暴発は防ぐことができる。

今回は別に、エドワード・ゴーリーの話をするつもりではなかったけど…エドワード・ゴーリーのようなブラックな話は、そんな「凶悪性」、ブラックな部分を認めて楽にしてくれる、そんな効力があると思う。

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