地方創生はうまくいく?

地方創生という言葉を耳にして久しいですね。地方ではかなり叫ばれている言葉です。

過疎化する田舎や地方都市を活性化させようという取り組みはとても良いことだと私は思います。とくに災害の多い日本なら、地方を住みやすくし人口を都市と地方で分散させる必要があるように思います。

ですが、地方創生や地域活性化はあまり上手くいったという話を聞きません。成功例は確かにありますが、地方創生の話の数に対して成功例は少なく思います。どうしてでしょうか?

もちろん、理由を一概に言うことはできませんし、私も地方創生の専門家ではありません。

ですが、仏教の観点から見るとひとつだけ言えることがあるので、それを書きたいと思います。

それは自利利他と我利我利です。

地方創生を掲げる取り組みでよく「地域に活力を」とか「若い力を」などの言葉を目にするように思います。若い人がいなくてマンパワーが足りない、地域経済が衰退して活力がない等の問題がありますでしょうから、このような言葉が出てくるのは道理かと思います。

ですが、実際に何もないところから活力は湧いてきませんし、若い人が発生するなんてこともありません。活力にしろ若い人が増える事にしろ、何かしらの因果関係があるのです。

ですから、活力や若い人材を生み出す「因」を起こさなければ、活力や若い人材という「果」はありえません。

その「因」つまり行動としてよく見受けるのが「地方の魅力を発信する」とか「IターンUターンを呼びかける」「地域特産物をアピールする」などが多いように思えます。

ですが、「呼びかけた」から「人が来る」なんて単純な因果関係だけで世の中は成り立ちません。

当然「縁」もあります。以前書いた通り、因果の道理は行動「因」と外的要因「縁」と結びついて結果「果」が生じる「因縁果の道理」ですから、その時の時世だって絡んできます。「農業ブーム」や「移住ブーム」などが起こっていれば、地域のアピールによって人は集まるかもしれません。

ですが、そのようなブームが起こっていなければ、一概にアピールしても人は来ません。ブームや時世に応じて地域のアピールポイントを変えていたら、地域が成り立ちません。「あの時は農業ブームだから農業を活性化させ、次のブームは伝統工芸だから伝統工芸を活性化…」なんてしてたら、地元住民は大激怒でしょう。

時世に合わせようとしても、コロコロ変わる世間の声に合わせられるわけがありませんし、合わせてもすぐ飽きられます。ではどうしたらよいでしょうか?

仏教的な観点から言えば「まず与えよ」ということが言えます。

これは先程の「自利利他」の考え方です。自利利他は、時折誤解されることもありますが、「自分が儲けて、それによって相手も儲かる」ではありません。「自分が与えて、それによって相手が良くなり、自分も良くなる」という事です。最も結果的に前者になることもありますが、本来は後者です。

ですから地域活性化を目指すなら「うちの地域に来たら良いことあるよ」ではなく、「まず、地域が人に何かを与える」という事です。

例えば、とある地域が県外に対して伝統工芸や農業など、地場産業云々をアピールしている。果たしてどんなところだろうと言ってみてみると、確かに何やら昔ながらの産業が息づいている街だ。しかし、住民は行政の対応に不満たらたらで、行政の悪口ばかり…では、移住する気が失せてしまいます。

IUターンや移住はその地域に住むことになるわけですから、行政が良くない地域には住みたいとは思えません。

地域住民の生活をまず良くしなければ、その地域が住みやすい地域になりません。住みやすい地域でなければそこに住みたいとは思わないでしょう。

もちろん「住みやすさ」以外に多くの要因がありますが、この要素は無視できないはずです。そして、ここを忘れている行政は少なくない気がします。

まず、行政が地元民に良い生活環境を与える。そこから地域住民がよくなり地域活動が活発化して良くなる。さらに、それを見た他県の人が住みたいと思い移住してきて、若い力が増えてより活性化して良くなる。この形が地域創生における自利利他の形ではないでしょうか。

その地域に住む人を無視してただ、移住者を募るだけでは、与える物がなく、誰も幸せになりません。地域創生を掲げる人は今一度考えてみるべきことではないでしょうか。


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