人の評価は何で決まる?

社会ではいろんな形で人を評価します。成績や業績、友達の数、フォロワーの数などなど、評価項目は多数あります。

仏教で人を評価するということはありませんが、「これができるひとは優れている」というモノはあります。

といっても、数字的に評価できるモノではないので、世間的な評価とは違います。

では、仏教で「優れている基準」とは何か、それは「恩を知っているか否か」です。

恩とは「因を知る心」の事です。つまり自分の因果を知ることです。

例えば昔話に「鶴の恩返し」がありますが、あの話は悪い見方をすれば「鶴が人間の姿をしておじいさんの家でタダ働きした」なんて夢も希望もない話になってしまいますが、この話をこんな見方をする人はいません。なぜか

それは鶴が「恩」を知って、それに報いる話が鶴の恩返しだからです。仏教的に言えば鶴が自分の因果を知って、感謝し、それに報いる話だからです。

ここで言う鶴の因果とはなんでしょうか?時系列的に見てみますと、鶴が罠にかかっていた時、この時鶴は自分の行いによって罠にかかってしまいました。このままではこの先待っている運命は、狩人に捕らえられ、羽を抜かれて食料にされるか、剥製にされるか…何にしても「死」です。

つまり、鶴の運命はこの時点で「死」だったんです。ところが、そこへ現れたお爺さんによって解放されました。このお爺さんのお陰で鶴の「死」という運命が「生」に転じてしまったのです。

これは因縁果で言えば、本来自分の行動(因)によって罠(縁)にかかり、「死」という運命(果)になったのが、お爺さん(縁)によって鶴が助けられて安全な場所に逃げた事(因)によって「生」という運命(果)を得た、という事です。

本来死ぬはずだった運命を生きる運命に転じる「縁」になってくれたお爺さんの「恩」を深く「知った」鶴が、その恩を「感謝」して、それに「報いよう」とする話が鶴の恩返しです。

これは日常生活でも言えることです。今、あなたが生きている中でどんな「恩」があったでしょうか?

まずは、親があなたを生まなければ今ここにいませんね。ですから親に恩があります。あなたと楽しく遊んでくれた友達、彼らが居なかったらあなたは独りでした。いま結婚されている方なら、旦那さんと奥さんとそれぞれ何かしら支え合っています。共働きならどちらかが働かなくなれば家計は火の車、どちらかが金銭管理しなければ、どちらかあるいは両方が家事育児しなければ…「旦那は何もしない」「嫁はグチばかり」なんて夫婦もいるかもしれませんが、そんな夫婦でも何がしら互いに恩があるのです。

この恩を知って、感謝し、報いる事を仏教では
・知恩
・感恩
・報恩
と言われます

この3つについては知っておかなければならない事があります。以前、この「恩」の話をしたとき、ある人が

「自分は報恩が最も強いですね。だって恩に報いないと意味ないじゃないですか?」

と言った人がいました。この人は、「恩」のことをわかっていません。

なぜか?知恩、感恩、報恩の3つは「恩の感じ方のタイプ」ではないのです。知らない恩を感謝する事はできませんし、感謝していない恩を報いる事はできません。

知恩、感恩、報恩とはひとつながりのものです。知った恩を感謝し、感謝した恩に報いる。

どれか一つが長けているとか、どれかのタイプに属するとかではないのです。

そして、自分は知恩ならできていると思っても、ではなぜその「知っている恩」を感謝し報いていないのでしょうか?厳しい言い方ですが、行動に起こしてないということは、どこかで「恩」をわかってないところがあるのでは無いでしょうか?

先の鶴の恩返しでは、鶴は自身がお爺さんから受けた恩を知ったから、恩に感謝し、感謝したからその恩に報いようとしたのです。その報い方は、自身の羽を毟る、身を張ったものでした。そこまでの報恩は、よほど大きく恩を知り、感謝していなければできません。

こう考えると、私たちは一体どれほど恩を知っているでしょうか?恩を知ると言うことは意外と難しいのです。そして、この「恩を知る」人が、仏教で言われる優れた人です。

最近この「恩を知る」ことについて考えさせられる話がネットの投稿にありました。とあるアパート住まいの方が、このコロナショックで経済的に苦しい状況を強いられたそうです。仕事が休業になったのか、詳しいことはわかりませんが、この状況でもアパートの家賃は発生する、なんとも悩ましい状態だったそうです。

そんな時に、アパートの大家さんから一通の手紙が届いたそうです。内容は要約するとこのような形でした。

「みなさんコロナショックで苦しい事と思います。なので、みなさんに2万円を送らせていただきます。今月の家賃は2万差し引いた額で振り込んでください。」

その内容の手紙とともに現金2万円が入っていたそうです。この投稿には手紙と現金2万円の画像が載せられていた。

この手紙をみてこの人は「絶対この大家さんについていく」と書き込んでいました。ネットなので信憑性は色々言えるかもしれませんが、そこはここでは置いておいてください。この話を出したのは、この大家さんは恩を知っている人だということを言いたかったからです。

アパートの大家さんからすれば「自分の物件に入居者を住まわせてやっている」と取ることもできます。ですが、もし入居者がいなくなればこの大家さんは一気に収入がなくなって、物件は事実上負債になってしまいます。

そうならず、これまでアパート経営できていたのは「入居者が住み続けてくれていたおかげ」とも言えます。大家さんはその事を知っていたのでしょう。

ですから、このコロナショックで入居者達が苦しいだろうと思い、入居者達を守るために自分が身銭を切る形を取ったのです。まさに、これは「これまでアパート経営できていた因縁果を知っている」からこそできる事です。

自分がアパート経営するという行動(因)だけあっても、入居者(縁)がなければ経営できません。経営(因)に入居者(縁)が結びついてくれたおかげでこれまでの経営者生活(果)ができていたのです。これはまさに「恩」です。この大家さんにとって入居者は「恩人」だったのでしょう。その恩を知っていたからこそ、感謝していたのではないかと思えます。

そして、今コロナショックでその「縁」である入居者達が困窮している。この時こそ、これまで自分の経営者生活するという「運命」に深く関わってくれた入居者達を守ることで、これまでの「恩」に報いようとしたのです。その行動が入居者に2万円送り、更に今月家賃を2万減額という措置です。

この行いは仏教の観点では非常に優れた行いと言えます。自分の今の状況を当たり前にせず、また奢ることもなく、自分の運命に関わってくれた「縁」となってくれた人たちを忘れていないのですから。

このような人こそ仏教で「優れた人」と評価される人です。

これは、世間的に見ても優れた行為です。この措置によって入居者達は生活が幾分か楽になりますし、どこにでもアパートがあるならこういう大家さんのいるアパートに住みたいものです。このアパートから出ていく人は、それ相応の事情でもない限りはいないでしょう。

逆に何もしなければ、入居者は生活に困窮し、家賃未払いが続きます。減額したら当然家賃収入は減りますが、減額しなかれば、やがては入居者が満額の家賃を用意できず、減額した分すら入ってこなくなりかねません。そうなれば、アパート経営はもうできません。

もし減額して、僅かでも家賃が入っていれば、大家さんも経済苦しくはなりますが、細々とアパート経営できる程度は収入があったかもしれませんし、もし入居者が出ていけば、次の入居者を探すのは、コロナショックの中では至難の業です。

仏教的に優れているというのは、日常生活や世間的に見ても優れているとわかるかと思います。仏教と聞いて、日常生活とは違うものと思われる人もいると思いますが、実は密接なものなのです。

今、社会環境の大きな変化を迎えている時だからこそ、自分の因縁果を見つめ、自身の恩を知る努力をしてみてはいかがでしょうか?

恩を知れば感謝せずにおれず、感謝すれば報いずにはおれません。そうして起こす行動(因)は、いつか必ず善い運命(善果)に結びつくはずです。

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